きまぐれ短編集

斑猫

第1話 きつねの火遊び:1

 自分が人間でありながらも狐の血を引いていて、あまつさえ狐の持つ不思議な能力をも具えている事は、それこそ小学校に通う前の、ちんまりした子供の頃から把握していた事だった。

 その事が判ったからと言って、特に大きな事件が起きた訳じゃあない。両親から気味の悪い子供などと迫害されたりもしなかった。というか俺のそうした特徴はすんなり受け入れられた。父さんも母さんも、先祖には化け狐がいて、お前は先祖返りしただけなんだ。そんな風に笑っていただけだったと思う。

 実際に化け狐として暮らしている親戚と言うのも俺は知っていた。その親戚はゴロー叔父さんといって、父親の弟にあたる人だった。

 実の叔父と言っても、ゴロー叔父さんの事を俺は歳の離れた兄のような人だと思っていた。二十代前半と言っても通用するほどに若々しい事と、真面目さと親しみやすさを絶妙に織り交ぜた態度が、ゴロー叔父さんのお兄さんらしさを醸し出していたのかもしれない。もっとも、俺には姉と妹が一人ずついるだけで、実際には兄なんていないんだけど。

 そして、狐の血が目覚めた事について、一番真剣に受け止めたのもまた、このゴロー叔父さんだったのだ。両親や伯父や伯母などは人間として暮らしていたために、狐の血がもたらす力について多くを語る事は無かった。だからその手の話はゴロー叔父さんが一番詳しく知っていた。生まれつき狐の血に目覚め、化け狐として生きる道を選んだのだから。その証拠だと言わんばかりに、ゴロー叔父さんの腰からは四本の尻尾が飛び出していた。

 狐の血について、そして俺たちの一族の事について、ゴロー叔父さんは顔を合わせるたびに教えてくれた。

 俺はもちろん狐の血に興味を抱いた。だがそれとともに、ゴロー叔父さんを疎ましく思い始めたのである。


「――という訳でして、政木狐まさききつねという存在を登場させる事によって、九尾の狐は玉藻の前のような邪悪で淫蕩な存在ではない事、元々は善なる神獣としての側面を持つ事を伝えたかったのだと思われます」


 久しぶりに大学の講義に顔を出した俺の顔には、苦虫をかみつぶしたような表情が広がっていた事だろう。途中までは特段問題は無かった。だが、準教授の話が脱線したあたりから雲行きが怪しくなった。何だよ政木狐って。そもそも八犬伝なんて言われてすぐにパッと思いつくやつがどれくらいいるんだか。

 ああそれにしてもケッタクソ悪いな。そんな事を思いつつも、俺は退席する事は出来なかった。出席は授業の最後に取るからだ。出席票と称した小さな紙が配られ、そこに学生たちは学生番号と名前を書いて提出せねばならない。その紙が配られるのは授業終了の五分前であり、それより前に退出してしまったら、この俺は、島崎政信しまざき・まさのぶは欠席しているという扱いになる訳だ。

 全くもってみたいな狡猾な手段を取るじゃないか。そう思った次の瞬間、俺は自分の考えのおかしさに吹き出しそうになっていた。何せ俺自身、妖狐の血を引いているのだから。


 顔面偏差値がやや高めの、しかしありふれた大学生にしか見えないこの俺には秘密がある。人間として暮らしてはいるものの、俺は玉藻御前の玄孫という事だ。

 玉藻御前というのはアレだ。三大悪妖怪の一端として伝わる九尾の女狐である。妖狐たちの中では最強格の存在である事は、妖狐だとか妖怪の事を少し知っていれば解る話だ。妖狐の尻尾の上限は九尾なのだから。ちなみに俺は二尾だったりする。最初は一尾だったけど、高校生の時に二尾に増えたのだ。

 在りし日の玉藻御前がどんな妖狐だったのかは解らない。伝承通りに残虐で淫蕩な女狐だったのかもしれないし、そんなのは殆どデマだったのかもしれない。

 だけど、確実に言える事が一つだけある。玉藻御前の血を引く連中、要は祖母だの大叔父だの叔父たちだのの親族は、揃いも揃って腰抜けばかりという事だ。大妖怪である玉藻御前の血をフル活用する事など考えず、ただただ社会の在り方に従って子羊のように生きている連中こそが、俺の父親であり叔父たちだった。もちろん、祖母の代から既に半妖で、そこから人間の血が濃くなっている事も関係しているのかもしれないけれど。

 特にいけ好かないのは、末の叔父の源吾郎だ。末の叔父は父の兄弟の中でも、唯一妖狐の血を目覚めさせ、若い頃から妖狐として生き続けている存在だった。末っ子だったからご先祖様である玉藻御前の血を一番濃く受け継いだのだ。源吾郎叔父は折に触れてそんな事を俺たちに言っていた気もする。

 しかしその源吾郎叔父の態度ときたら、全くもって情けない物だった。

 俺にしてみれば、源吾郎叔父は小市民的なサラリーマンでしかなかったのだ。上にも下にも気を配らねばならないし、力は正しく使うべきだ。いたいけな子供だった俺に対して、真面目くさった様子でそんな事を言ってのけるような男だったのだ。

 家庭面ではどうかというと……やはりというか何と言うか、愛妻家で子煩悩な妖物に過ぎないのだ。妻を敬い子供らに穏やかに接するその態度は、良き夫・良き父としては模範的な物なのかもしれない。だが、三大悪妖怪として名高い玉藻御前の末裔としての振る舞いとはちと違うのではないか。そんな風に俺はついつい思ってしまうのだ。まぁ、源吾郎叔父の妙に生真面目な所は宗一郎伯父さんに似通っている気もするし、穏やかで優しい所は父や庄三郎叔父さんに似ている気もするのだけれど。

 とはいえ、ただただ大人しくニコニコしているだけじゃなくて、地味に小言が多いわけだから、俺は源吾郎叔父に辟易する部分もあるという事なのだ。

 全く、源吾郎叔父は社畜に身をやつしてしまったがために、妖怪として大切なものを喪ってしまったのだろう! 妖怪の世界は力が物を言うのでは無かったのか? あの偉大なる玉藻御前の末裔だというのに、小市民めいた暮らしで満足している源吾郎叔父はとんでもない腑抜けではないのか……? そんな考えが、俺の頭の中ではいつまでもいつまでも渦巻いていた。

 別に俺とて、玉藻御前が抱いていたという野望を再現するだとか、そこまで大それたことを考えている訳ではない。しかし、俺は半妖――それも八分の一近くまで血が薄まっているのだ――でありながらも、妖狐の血と能力をしっかり受け継いでいる。それを活かさずにぼんやりと過ごすなど、それこそ罰当たりという物であろう。

 そして今の俺にはそれが出来る。ぐっと伸びをしながら俺はほくそ笑んだ。大学生活はまだ始まったばかりであるが、それでも高校時代までとは段違いに自由になった事を肌で感じていた。実家を離れて一人暮らししているのだから尚更だ。

 最近は源吾郎叔父も仕事や子育てに忙しいらしく、俺に顔を合わせる頻度も減っていた。まぁ、俺も俺で動くにはその方が都合が良いのだけれど。


「あーあ。これから何処に行こうかな」


 つまらなかった講義の口直しとして、俺はキャンパスを抜けて歩を進めた。駅の付近はごちゃごちゃとした繁華街や歓楽街が広がっている。このところの俺は、その辺りで遊ぶのが楽しくて仕方が無かった。

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