第11話 義弟の噂

あずみから廉が年上女性と歩いていたという噂を聞いたのは、数学の先生が病欠し自習になった今日の3時限目のことだった。


私が数学の教科書を開き予習をしていると、後ろの席のあずみが私の肩を叩いた。


私は少し不機嫌そうな顔を作りながら、あずみの方へ身体を向けた。


「なあに?今は自習の時間よ?」


「大変!数学の問題なんて解いてる場合じゃないわよ。スキャンダルよお!」


話したくてたまらない様子のあずみの顔を見て、私は大きくため息をつき、しぶしぶ話を聞くポーズを取る。


クラス委員たるもの、自らすすんで噂話に耳を傾けるわけにはいかない。


けれど内心私の心は好奇心で一杯だった。


あずみの噂話はソースがしっかりしていて信憑性があるのだ。


もちろんあずみもそんな私の心の内などお見通しで、決して話を止めたりなどしない。


「で?どうしたの?」


私が話を聞く体勢を取ると、あずみは目を輝かせながら口を開いた。


「皐月、有坂って知ってる?」


「うん。知ってるよ。あの背の高い子でしょ?」


「そう。バレー部でセッターの。」


あずみもバレー部に入っていて、エースアタッカーだ。


同じバレー部同士、部活帰りにファーストフードへ寄った時に、その噂が話題に出たらしかった。


「有坂がね、従姉と隣町のショッピングセンターへ、お祖母ちゃんの誕生日プレゼントを買いに行ったんだって。その時に目撃したらしいよ。五代君が綺麗な黒髪ロングの女性と一緒に歩いているところをさ。」


私の胸がどきんと大きく高鳴り、そしてじわじわと痛みが広がっていった。


「そう・・・なんだ。」


廉と義姉弟になる前にもその噂は私の耳に入っていたから、覚悟はできていた。


でも知り合いの確かな目撃証言ともなると、やはり衝撃は隠せなかった。


私はつとめて冷静に聞こえる様に言った。


「その噂、けっこう前からあったじゃない?今更って感じ。」


「そうだけど・・・前は都市伝説?みたいにおぼろげな噂だったけど、今回は違うじゃない?知り合いがばっちり見ちゃったんだもん。皐月、五代君とそういう話、しないの?」


「しないよ。そんなの。」


「あーあ。五代君くらいイケメンだと、同年代の女子なんて対象外なのかもネ。」


「・・・そうかもね。」


「心配?」


あずみが私の顔を覗き込んだ。


「それはそうだよ。だって仮にも家族だもん。それに校則違反だわ。」


「ほんとにそれだけ?」


「そうよ。それ以外なにがあるっていうの?」


「ふーん。ま、いいけど。そんなに心配なら直接聞いてみなよ。五代君本人に。」


「・・・・・・。」


あずみの言葉に私は答えることが出来なかった。


簡単に聞けるならとっくにそうしてる。


でも、それは廉のプライバシーを暴くことになる。


家族とはいえ、まだ私と廉は知り合ったばかりだ。


それなのにそんなことまで口出ししていいものなのだろうか?


それに・・・真実を知りたくない自分がいる。


本当のことを知ってしまったら、どう廉に接したらいいのかわからなくなるような気がしてそれが怖いのだ。


あずみの強い視線を感じ、私は顔をあげた。


「なあに?」


私がそう聞くとあずみは「ごめん。皐月の気持ちも考えないではしゃいじゃって。」と頭を下げた。


「ううん。教えてくれてありがと。あずみ。」


私はあずみの目をみて微笑んだ。





一人で歩く学校からの帰り道、家に向かう足取りが重くなる。


どんな顔をして廉と話せばいいのかわからない。


気持ちの整理がつかないまま、玄関の扉をあけ茶色のローファーを脱ぎ、靴箱へ揃えていれた。


廉の白いスニーカーが靴箱のいつもの場所に置かれている。


廉が家に帰っていることを確認し、私は大きく息を吸った。


大丈夫・・・いつも通り接することが出来るはず。


階段を上り自室へ入ろうとすると、隣の部屋から廉の苛立った声が廊下にも漏れ聞こえてきた。


どうやら廉は携帯で誰かと通話しているようだった。


「そんな急に言われても、俺にだって都合があるんだけど。」


「泣くなよ。泣かれると俺もどうしていいかわからない。」


「・・・わかったよ。これから行くから待ってて。待ち合わせ場所はどこ?」


そんな言葉が断片的に聞こえてきて、気が付くと私は思わず廉の部屋のドアに耳を当てていた。


通話が終わり、しばらくすると廉がドアから出て来た。


ショルダーバッグを持った廉は私に気付き、少しバツの悪い顔をしてみせた。


「お帰り。皐月。」


「うん。ただいま。」


ぎこちない沈黙が私達の間を支配した。


廉がその沈黙を破って軽く私に尋ねた。


「今日は遅かったんだな。」


「うん。委員会があって。廉は早かったね。部活は?」


「ああ。顧問が出張で自主練だったから早く終わった。」


「ふーん。」


私は意を決すると思い切り勇気を出して、廉に聞いた。


「こんな時間からどこに行くの?」


「・・・どこだっていいだろ?皐月には関係ないところ。」


いつになく冷たい声でそう告げられ、私はさっと青ざめた。


そんな私の表情に気付いた廉は、すぐにいつもの口調に戻った。


「なに?もしかしてさっきの俺の声、聞こえてたとか?」


私がためらいがちにこくりと頷くと、廉は少し微笑んでみせた。


「ちょっと口喧嘩しただけだよ。前の学校の友達から急に呼び出されてさ。なるべく早く帰るよ。母さん達にもそう言っといて。」


「うん。」


そう頷いたけれど、本当は廉の言葉をまったく信じていない自分がいた。


そんなの嘘だ。


そんなことくらい私にだってわかる。


そう言い返したいのに言葉が出てこない。


気が付くと私はすがるような目で廉をみつめていた。


行かないで・・・そんな言葉を発してしまいそうな自分を必死で抑える。


「皐月、なんて顔してんだよ。」


「だって・・・廉が遠くへ行ってしまいそうで。」


「大袈裟だな。すぐに帰ってくるって。」


廉が私の頬をそっと撫でた。


いつになく優しいその仕草に、私の頬が熱くなる。


「じゃあな。」


それだけ言い残し、廉は駆け足で階段を降りていった。


玄関の扉がバタンと閉まる音を、私はただぼんやりと聞いていた。


その日の夕飯は半分も喉を通らなかった。


私は冬実さんに尋ねた。


「廉君って・・・夜遅くに帰ってくることもあるんですか?」


肉じゃがに箸を伸ばしていた冬実さんが少し考えるような仕草をした。


「そうね・・・。たまに遅く帰ってくることがあるかな。多分友達と遊んでいて盛り上がってるんじゃない?でも12時までには帰ってくるから心配しなくても大丈夫よ?」


「別に心配なんか・・・」


「ふふふっ。じゃあそういうことにしといてあげる。過保護なお義姉さん。」


冬実さんはそう言って笑うと、ジャガイモを口の中に入れた。


その日、廉は深夜に帰宅した。


廉・・・こんな遅くまでどこで何をしていたの?


廉の部屋のドアが閉まる音を聞いてからも、私はしばらく寝付けなかった。






「ふーん。それは女だね。間違いない。」


今日はママと月に一度のディナーの日。


黄色いツイードのスーツ姿のママは今日もカッコ良い。


耳に光る金色のピアスも決まってる。


たまには銀座にあるフランス料理屋でフレンチでも食べない?とママに誘われた時から私は廉のことをママに相談しようと決めていた。


ママは出版社で恋愛エッセイを書く小説家の担当になったこともあるらしいし、こういった問題に的確なアドバイスをくれる気がしたのだ。


ママは仔牛のモモ肉ポアレ・キノコのクリームソースを綺麗に切り分けながら、一通り私の話を聞いてそう断じた。


「・・・だよね。」


「で?皐月はどうしたいの?」


私は冷水が入ったコップをみつめながらしどろもどろに言った。


「うん・・・廉の問題だから口出ししない方がいいことは判ってる。でも・・・なんだか心配なの。本当に好き合ってるならいいけど、この前の電話の様子がおかしくて・・・」


「はあっ!」


ママが大きな声でため息をつくと、一気にまくしたてた。


「なんかもどかしいなあ!もう廉君にはっきりと問い質してみるしかないんじゃない?皐月は仮にも家族だし義姉なんだからそれくらい突っ込んでもいいと思う。でもこのまま静観するのもひとつの方法だよ?どちらを選ぶかは皐月次第。」


「うん・・・。」


私の冴えない顔を見て、何故かママが微笑んだ。


「なに?」


「皐月、廉君が好きなのね。」


ママの思いがけない言葉に私はうろたえた。


「好きじゃないよ!ただ家族として心配なだけで。」


「皐月はいつも自分以外の人に対しては割とドライじゃない?私と圭亮の離婚のときもどこか他人事のように眺めていたし。」


ママにそんな風に思われていたのだと初めて知った私は、声を荒げた。


「そんなことないよ!私はすごくショックだったよ!」


「そっか。ごめんごめん。でも今回のあんたはいつもとちょっと違うなって思ってさ。」


「・・・・・・。」


たしかにママの言う通りかもしれない。


今までの私は他人の問題に首を突っ込むなんて面倒な真似を避けてきた。


でも・・・廉の事をもっと知りたいと切実に願う自分がいる。


「いっそ廉君を尾行してみるとか。」


ママがふとそんなことをつぶやいた。


「尾行・・・?」


「そう。ふたりの様子を影から観察するの。」


ママがいたずらっぽく笑った。


「なーんて冗談。そんな探偵みたいな真似、危ないからしちゃ駄目だよ?」


そう言ってグラスの赤ワインを飲むママに私も軽く尋ねた。


「そういうママは?彼氏出来た?」


「仕事が忙しくてそれどころじゃないわよ。」


ママが大きく片手を振った。


「パパが再婚して、ショックじゃない?」


尚も言い募る私に、ママは少し困った顔をした。


「うーん。ショックと言えばショックだけど、安心している自分もいるのよねえ。」


「安心?」


「だって圭亮は淋しがり屋だからこの先もひとりで生きていけないと思うし。皐月だっていつかは圭亮の元を旅立っていくわけだしね。これでやっと肩の重荷が降りた気がする。」


「ふーん。そんなものなのね。」


私のドライな性格はこの母から譲り受けたに違いない。


「冬実さんって人、私と正反対なんでしょ?」


「そうね。ママが赤色なら冬実さんは青色、ママがひまわりなら冬実さんは百合って感じかな?」


「じゃあ私も圭亮と正反対の男性と恋しようっと。」


「うん。そうしなよ。私、ママにも幸せになってもらいたい。」


「じゃあ彼氏が出来たら、まず皐月に紹介するね。」


「うん。約束。」


ママは小指を出してウインクをした。




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