【完結済】皆から愛される龍の巫女は想い人を決められない

白井銀歌

第1話:巫女にされた事務員

 上品なお香が焚かれ、柱の表面が文様や彫刻で埋められた豪華な部屋の中。

 中小企業の事務員だったはずの私は、なぜか中華風の衣服をまとった大勢の人にかしずかれている。


「龍の巫女さま、どうかこの国をお救いくださいませ!」


 こんな光景、映画かドラマの中でしか見たことないんだけど。

 どうしてこんなことになったのか。

 いつも通り、出社して残業で終電を逃してタクシーに乗っていたことまでは覚えている。

 ちなみに今日で十日連続出勤だった。


「人手不足で異常に働かされてたから夢でも見ているのかしらね……」


理央りおさま、夢ではございません。我々が召喚の儀式を行ったのです」


 理央は私の名前だ。私の名前を知っているなんて、この人は誰だろう?


「あの、どこかでお会いしたことがありましたっけ?」


 私の問いに、銀色の刺繍が入った高級感のある紫色の着物に長い髭を生やした知的な眼差しの年配の男性が答える。


「いえ、初にお目にかかります。私は翠応すいおう。この国の宰相をしております。こちらは私の息子の翠蓮すいれんです」


「はじめまして。翠蓮と申します」


 白と青を基調にした着物に長い銀髪を肩に垂らした美青年が、私の目の前で片手をもう片方の手で包む動きで挨拶をした。

 中国の映画でこんな仕草を見たことがあるような気がする。

 言葉は通じるが、あきらかに日本ではないということを認識して思わず周囲を見回してしまった。


「えっと、あの。私……」


「驚くのも無理はございません。ここは理央さまの暮らしていた世界とは異なる場所でございますから」


 異なる場所……?

 そう言われても困惑するしかない私を見て、翠蓮が進言する。


「父上。巫女はお疲れのようです。話したいことはありますが、まずは疲れを癒してからにしてはいかがでしょう?」


「その方がよさそうだな」


 宰相は近くにいた女官を呼んで、指示を出した。


「では理央さま、また後でお目にかかりましょう」


 案内された先は良い香りのする綺麗な風呂だった。

 湯船には桃色の花びらが湯船に浮かべられている。

 普段は仕事が忙しすぎてシャワーで済ませることも多かったし、そもそも手足を伸ばして浴槽に浸かるのなんて何年振りだろう。


 湯船から出た後は女官たちに丁寧に髪や体を洗われた。

 自分でできると言ったのだが「お世話するよう言いつけられておりますので」と拒否されてしまった。

 しょうがないのでされるがままになるしかない。

 こんなことをされるのは幼い時以来なので落ち着かないが、汚れが落ちていくのは純粋に気持ちがいい。


「巫女さま、こちらへどうぞ」


 汚れを落とした後は丁寧に髪と体を拭かれて、隣の部屋に移動した。

 そこで寝台にうつ伏せで寝そべるように言われる。

 何が始まるのかと思いながら横になると、女官が花の香りのする小さな壺を持ってきた。


「失礼いたします」


 女官が壺の中身を手に垂らして、私の手足に塗ってきた。どうやら香油らしい。

 そしてその油で手足をマッサージし始める。

 良い香りに包まれながら疲れをほぐされると、あっという間に睡魔が襲ってきた。

 どれぐらい眠っていたかはわからないが、急に地面がぐらりと揺れる感覚と何か物が倒れる音がして目が覚めた。

 地震だろうか……?


「巫女さま、大丈夫でございますか?」


「……あっ、ごめんなさい。いつの間にか寝ちゃってた。ねぇ、今、地震が起きませんでしたか?」


 慌てて起き上がった私に、女官が同意する。


「えぇ、また揺れましたわね」


「また?」


「ここ数か月、毎日のように地震が起きておりまして……日に日に揺れが強くなっているように思いますし、恐ろしゅうございます」


 女官は不安そうな表情で答えながら倒れた香油の壺を片づけた。


「さぁ、巫女さま。こちらの着物にお召替えくださいませ」


 金の刺繍が入った白い豪華な着物に着替えさせられると、櫛で髪を丁寧にとかされ結上げられた。金色の花の飾りがついた簪を髪に刺して、化粧を施される。


「いかがでございましょう?」


 女官が持ってきた姿見を見ると、そこにはどこかの姫君のように飾り立てられた自分がいた。


「ありがとう……なんだか自分じゃないみたい」


「巫女さまが先ほどまでお召しになっていた着物は変わった形でございましたものね」


 女官はスーツを珍しそうに手に取って眺めている。


「こちらは洗って保管しておきますのでご安心くださいませ」


「ありがとう。よろしくお願いします」


「では宴席を用意しておりますので、参りましょう」


 新しく用意された高級そうな履物に若干の不便さを感じつつ、長い廊下を歩いて行くと、豪華な広間に案内された。

 部屋の中は水晶や珊瑚の装飾品で飾られていて、丸い飾り窓からは庭園が見えている。


「巫女さま、こちらにご着席くださいませ」


 女官が椅子を勧めた。既に席には宰相とその息子の翠蓮、そして黒い着物を着た見知らぬ青年が座っている。

 青年は他の二人に比べて服装こそ地味だが、艶のある黒髪と整った顔立ちに気品と清潔感が感じられた。

 深い海のように澄んだ青い瞳が印象的だ。


青蘭せいらんだ。その……よろしく頼む」


 彼は緊張しているのか少し照れたようにはにかんだ。


「理央です。よろしくお願いいたします」


 私が会釈をしたのを見て、宰相が穏やかに目を細めた。


「理央さま、なんとお美しい。天女が舞い降りたかと思いましたぞ」


「そんな……いえ、ありがとうございます」


 正直、自分の容姿の美醜なんてよくわからないけど、女官たちに綺麗に磨き上げてお化粧もしてもらったのでその甲斐はあったようだ。


 大きな食卓に着席すると、家鴨あひるの丸焼きや海老や蟹を炒めた物やあわび入りのお粥などの高級そうな料理が次々と運ばれてくる。どれも良い香りがしていて美味しそうだ。


 そのとき、女官が宰相に近づいて小声で何か報告した。


「うむ……ならば仕方ないな」


 宰相はあとひとつ残っていた空席に目をやった。どうやらこの席の人物が来ないことを話していたらしい。

 女官と話し終えた彼は酒杯を手に取った。


「では、宴を始めましょう。我々は龍の巫女である理央さまを心から歓迎いたします」


「えっと……ありがとうございます」


 どう返事したらよいものか、戸惑いながらも宰相に礼を述べると、優しく微笑んで彼は酒杯を飲み干した。


「ふぅ、良い酒ですな……さぁ、理央さまも、召し上がってくだされ」


 料理はどれも美味しかった。最近は簡単な食事で済ませることも多かったので、こんなご馳走は久しぶりだ。

 私の満足げな表情を見た宰相がおもむろに口を開いた。


「さて、巫女さまをこの世界に呼んだ理由をお話しせねばなりませんな」

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