婚約者が死んだのに、結婚するってどういうことですか?
ATライカ
結婚
青空の下どこまでも広がる草原を馬が走り、その馬上の女の若草色の髪が揺れる。
馬がやがて丘の上にある小さな平屋の屋敷へと帰って来ると、その玄関先に老齢の男が立っていた。緑の糸で施された刺繍が美しいマントを着た男だった。
女は男へと馬の速度を落としながら近付いて行き下馬する。彼女は黒いマントとズボンの乗馬服と言った出で立ちで、それらに施された深紅の刺繍がよく目立っていた。そんな彼女へと、男は近付いて行き頭を下げる。
そして、心地よい風の吹く中、口を開いた。
「お嬢様、御婚約者様のハンス・シュテルン卿がお亡くなりになられたそうです」
その言葉に女性は思わずほっとしたような表情をしてしまい、それをすぐに首を振ってから残念そうな物へと変える。
だが、その表情も、次の言葉に眉をひそめ困惑した物になった。
「しかし、婚約関係は継続し、予定通り式を上げるそうです」
「なんて?」
御令嬢に似つかわしくない口調で素っ頓狂な声を上げる。男も驚くのは仕方がないと、目を伏せながら口を開く。
「予定通り、シュテルン卿と式を上げます」
「?」
言葉の意味が意味が分からないのか、彼女は首を傾げながら振り返って馬の方を見る。馬がそれにくりっとした目で『知らんがな』と見つめ返してきたので、もう一度男へと向き直る。
「ユージェニーお嬢様、結婚です。結婚ですよ」
「……相手が亡くなられているのに?」
「はい。お相手は亡くなられていますが、結婚です」
ユージェニーは今度は腰に手を当て、空を見上げた。遠くの方に入道雲が見えた。今は夏、夕方あたりから雨が降るかもしれない。
そう、今は夏。当初の予定通りなら、晩夏に国を出て、件のハンス・シュテルンと秋に結婚式を上げる事になっていた。そして、冬口に船を使って北西にある海向こうの領地に行くのだ。そのように、何年も前から決まっていた。
「うん。もう一度聞きましょう。結婚?」
「結婚です」
馬が『いい加減認めろ』と嘶いた。
風が吹き、僅かな汗を攫って行って、ユージェニーは何も分からんと呟きつつ、揺れるセミロングの髪を抑える。
結局、ユージェニーは半信半疑のまま夏至を祝う祭りを終えた後、生まれ育った草原の国を出発し、立秋のころにハンス・シュテルン卿と対面することになる。
「ええと……ハンス・シュテルン卿?」
だが、そのハンス・シュテルン卿は、ユージェニーよりも背が低く、白い仮面をかぶった、長い銀の髪が特徴的な女性だった。
理解が出来ないと、ユージェニーは眉を顰めながら頭を掻く。誰も不作法者とは言わなかった。
「いいえ。ハンスの代理である、アンリ・シュテルンです。ユージニア様」
サイズ違いの男性の礼服を身に纏い、そのぶかっとした礼服で体のラインがよくわからないことにはなっている物の、声や仕草から明らかに目の前にいる人物は女性。
ユージェニーは腕を組み、唸る。
「何も分からん……」
褒められた態度ではなかったが、これはユージェニーの完全なる素である。
彼女の後ろに立つ、民族衣装を着た侍女も困惑した表情をしていて、主人の態度を咎めることは無かったし、アンリに付いている燕尾服の執事らしい男性と司祭服の男もさもありなんという困った表情をしていた。
「説明いたしましょう」
そう口を開いた、いや、口を開いたのかは白い仮面をかぶっているために分からないのだが、とにかく、アンリが言葉を発した。
「ユージニア様がハンスと結婚するのは事実です。しかし、ハンスはもう冥界に旅立っており式に出ることは叶いません。そのため、同じ血を引く私がハンスの代理として立つことになりました」
ユージェニーはそこじゃないと言いかけ、口をつぐみ、やっぱりいうべきかと声を上げる。
「いくら代理を立てようと、ハンス様は亡くなられているのでは?」
「その説明は私がいたしましょう」
そう言って一歩前に出てきたのは、ローブに袈裟を付けた黒い司祭服の壮年の男性。ユージェニーは彼のことを、死者が行くという冥界を治める王、冥王に使える神官かと当たりを付けた。
「まず初めに、この一連の儀式は冥婚と呼ばれるものです。婚約関係にあった男女の内の片方が婚姻するまでに亡くなられた場合、その近しい血を持つ人物と結婚することで冥界に旅立った方と間接的に婚姻関係を結ぶことができるのです」
「はあ……」
ユージェニーが気の抜けた返事を返す。
「ここからが大事なのですが、冥婚をした場合、いくらかの供物が必要になりますが、その死した方を現界に呼び戻すことが可能になるのです」
なるほど、ようやく合点がいったとユージェニーは頷く。この結婚はハンスを冥界から呼び戻すための儀式なのか。
「とはいっても、多くの制約や条件がありますが……その説明はまた後程いたしましょう」
部屋にノックが響き、司祭は説明を後回しにする。ユージェニーは今すぐ聞きたい気持ちを抑えて、立ち上がる。
彼女の装いは、彼女の国の民族衣装ではなく、ハンスやアンリの国である、王国の様式のドレス姿だった。
そして、一日目は王国の、二日目はユージェニーの国である草原の国の伝統にのっとった結婚式が行われ、そのまま二日目の夜へと矢のように時間が過ぎていく。
結婚式を終えたユージェニーとアンリは、共に同じ寝室に入り、大きなベッドに並んで腰かけていた。
二人とも薄い寝間着を着ていたが、アンリの方は相変わらず白い仮面をかぶっていて、ユージェニーはベッドの上で胡坐をかき膝を立て、そこに肘を付きながらぼうっと窓の外の月を眺めていた。
二日に渡る結婚式は幸運にも雲一つない晴れに恵まれて、式そのものは両国の貴族の盛大な祝福もあってか大成功に終わっていた。ハンスがいないという事を除いては。
「ユージニア様」
「なんでしょう?」
ランプの火も揺らめかないほどの小さな声が響いた。
アンリの声は涼やかで細く、ユージェニーの小声でも大きく通り抜ける声とは正反対だった。
ユージェニーは頬に付いた手をどけて、そんな彼女の事を見る。彼女は白い仮面をユージェニーに向け、それから頭を下げた。銀糸の髪が肩から零れ落ちる。
「我々の文化に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」
その言葉にユージェニーは目を丸くさせる。それから、バツの悪そうな表情をして、窓の外を見て、それからアンリへとまた顔を向ける。
「いや、それはまあ……国を跨いでの結婚ですし、覚悟の上ですよ。こちらこそ、私達の結婚式は騒がしかったでしょう?それに、こうして寝室に閉じ込められますし」
王国の結婚式は、国教会の聖堂と冥王の教会両方を使った荘厳な物だった。それと打って変わって、草原の国の結婚式は、新郎新婦が同じ盃の酒を酌み交わす以外は、神も人間も身分も何も関係なく地べたに座って、飲めや食えやの大騒ぎをするものだ。
案の定アンリを含め王国の人々が戸惑っているのが、上座に座るユージェニーからはよく見えていた。
その上、結婚式が終了したその直後から寝室に二人を閉じ込めた今の状況である。とどのつまりは、「さっさと子供を作れ」という事である。とはいえ、今回は新郎には代理が立てられている上に女同士なのだが。
「そう、ですね。少し戸惑っています」
「私も同じ気持ちですよ。冥婚については戸惑っているけれど、結婚それ自体は覚悟していたことだし。それに……新しいことを知れるのは楽しい」
ユージェニーは結婚式の時のアンリの様子を思い出しながら、彼女も同じ気持ちではないだろうかと、自分の感情を吐露する。すると、アンリは小さく笑い声を上げ、口元に手を持って行ことして仮面に手を当ててしまう。それから、慌てて頷き、ユージェニーの言葉に同意した。
それから、寝室に沈黙の幕が下りた。伝統だとは理解していても、初対面で同じ寝室に入れられるとどうしても気まずい雰囲気がお互いにあって、緊張がある中ただ時間だけが過ぎていく。
そしてその沈黙の幕を裂いたのはアンリの唸るような声だった。
「ううん……」
ユージェニーがアンリの方を見ると、彼女は頭を振りながら仮面越しに額を押えていて、明らかに眠気を我慢している様子だった。そしてそれに気づいたユージェニーが口を開こうとしたその時、事態は次の展開を見せた。
「あー、あー」
先ほどまで唸っていたアンリが突然明瞭な声を出し、おもむろにベッドから立ち上がったのだ。それにあっけにとられたユージェニーが声を上げる間もなく、アンリは夢の中で歩くかのようにふらっと振り返った。
「貴女がユージニア?」
ユージェニーは首を傾げる。最近首を傾げてばかりだ、と思いながら。
「失礼。申し遅れました、俺が貴女の婚約者である、ハンスです」
「ええっと?」
そう言って胸に手を当てるアンリに、ユージェニーは相変わらず疑問符を浮かべていたが、とりあえず相手が礼をしているのだからと、自分も立ち上がって頭を下げて礼を返す。
「戸惑わせてすまない。これが冥婚なんだ。今回は妹の体を借り、現世へと戻ってきた」
そう言って、アンリ改めハンスが自分の体を指しながら言うのだが、彼か彼女かは終始体をふらふらとさせていてかなり危なっかしかった。
「それにしても、違和感が凄い」
「とりあえず座ってください」
「ありがとう」
男が女の体を使っているために体のバランスがおかしいのだろう、ユージェニーはそう当たりを付けながら彼の手を取って、ベッドに座らせる。
二人、大きなベッドに腰かけて、ハンスはユージェニーのことを見上げ、ユージェニーは白い仮面を見下ろす。本来なら逆だっただろうに、奇妙な瞬間だと二人ともが思った。
そして、最初に言葉を発したのはハンスだった。
「改めて、俺が君の夫となったハンスだ。言いたいことはあるだろうけど、とりあえず時間には限りある。この風習はどれくらいの期間なんだ?」
「明日の朝までです」
「時間は少ないか」
ハンスが頷きながら、仮面の顎の部分に手を当てる。ユージェニーは言動や仕草が先ほどのアンリとまったく違うことに、本当に死んだはずのハンスが返ってきたのかと理解する。
すると、その表情がユージェニーの顔に出ていたのか、ハンスはまずはそこから説明することにした。
「然るべき手順を踏んで冥婚をしたから、冥王様が、儀礼なり式典の時に現世に戻る事を許してくる事になっているんだ。それなりに対価は必要だがね」
説明を聞いたユージェニーは努めて理解をしようと努力し、頷く。
「この次は……冬至の死者の日かな。その時は、霊魂として戻ってこれるだろうけど、それ以外は妹の体を、こんな風に借りる事になると思う」
アンリの体を借りたハンスは、短い腕を広げ、細く高い声でそう語る。それに対してユージェニーは真剣な表情で問いかける。
「その間、アンリ様は?」
「眠っているはずだよ」
「そうですか」
ひとまずそれにほっとしたユージェニー。それを見たハンスは小さく笑う。
「アンリのことを心配してくれてありがとう。これなら、妹の事を君に任せれれるよ」
「と言いますと?」
「すでに予定されている様々な儀式や、これからあるかもしれない冥王様からの依頼、それらに対する俺の代理として、アンリは君について新領地へと赴く事になる」
ユージェニーは絶句した。
ここ数日の関係だろうとタカをくくっていたのに、もしかしたらアンリとの関係がこの先ずっと続くかもしれないのだ。それはアンリにとっていかほどの負担だろうか。
「それでは、アンリ様の人生はどうなるのです?一生ハンス様の代わりになるのですか?」
「……残念ながらね」
白い仮面でハンスの表情は見えなかったが、その声色は申し訳なさそうだった。
確かに、貴族として生まれたからには、その義務に振り回されるのはそうだったろうが、それが兄の代わりをするなどとは思いもよらなかったはずだ。
ユージェニーだって、文化の丸きり違う他国に嫁いで、その上何があるか分からない新領地へと行くことを覚悟しきれていないのだ。心中察するに余りある。
「アンリは、心優しい子だ。頼んだよ」
「……はい」
ユージェニーは自分が出来る範囲で彼女のことを支えようと決意しながら頷く。
「それでだ。察していると思うけど、これから君達は予定通り新領地へと行くことになっている。日程は死んだ私には分からないけど、冬の間に船で向かう手はずだ」
そこまで言った後、ハンスは深呼吸をして、仮面越しに自分の妻のことを見据えた。ユージェニーはハンスが一際真剣な雰囲気になった事を察し、唇を引き結んで夫のことを見た。
「私達の頑張りによってお互いの国の未来が変わると言っていい、私は時々しか関われないけど、出来る限り力を尽くすよ」
「はい、分かっています」
国の未来とは少々大げさかもしれないが、事実、二人の肩には多大な責任が圧し掛かっている。
少しずつ進歩していく医療技術、公衆衛生の発展により、徐々に増えて行く人口。それに伴い、ひっ迫していく食糧事情。それから資源問題。特に食料が問題だった。
王国はもう農耕地に出来る土地が無くなっていて、一方の草原の国は広大な土地のほとんどがやせていて耕作に向かない。それによって、もうすでにいくつかの問題が二人の国には起こり始めていた。
結果として、二つの国は新たな土地を国外へと求めた。海を挟んで二つの国の北西にある、人が住んでいない島に目を付けたのだ。十年ほど前からそこへ両国が開拓団を送り込んで少しずつ開拓を続け、何とか新しい領地として自立できるめどが立ち始めていた。
そして、新領地の最低限の基盤を整え終わった今、両国の大貴族である二人がそこへ移り住むことによってその開拓地を安定させようという狙いがあった。
だからこそ、その重役を担うハンスを呼び戻すために冥婚と言う手段に王国は出たのだ。
「書類でしか現状は把握できていないけど、はっきり言って順調とは言えない。俺達が導いて行かないといけない」
ハンスは決意に満ちた声色でそう宣言し、ユージェニーも勿論とそれに頷く。
「手始めに……紙とペンってあるかな?」
「あ、はい。こちらです」
ハンスのその問いかけに、ユージェニーはこの部屋に押し込まれる前に神官に手渡された筆記用具を置いていたテーブルへと、彼の事を導く。手を引かれれば何とか歩けるハンスが椅子に座ると、彼はすぐさまペンを取り、紙へと何事かを書きつけていく。
「一応私が全権を持つことになっているからね。それを君に移譲するよ」
「分かりました」
ハンスは自分が持つはずだった権利を全てユージェニーへと移す旨の書類を書いていく。つまり、ユージェニーが新領地の領主となるのだ。
そして、早々にそれを書き終われば、次は彼の知り合いへと向けた手紙を書き始める。
「次は私の“友人”達だ。幾つかの名前は覚えておいて欲しい。きっと手を貸してくれる」
そう言ってハンスが音読しながら書き上げて行くのは国内の有力者のみならず、他国の人間だったり、素性が知れない者まで多岐にわたった。はっきりって、ユージェニーは腹芸に苦手意識を持っていたので、この情報を扱い切れる自信は無かった。
とはいえ、すぐにそれらの人脈が必要にはならないだろうと二人は判断していた。まず必要なのは領地を安定させることだ。
結局ハンスが書き上げる手紙に終わりが見え始めたのは深夜を大きく回った頃で、後は彼が手紙を書き終えるだけとなり手持無沙汰になったユージェニーは大きなあくびを上げてしまう。
「む。すまない。先に寝ていてくれて大丈夫だ」
「では、お先に……」
そこでユージェニーははたと止まる。ハンスは今はアンリの体を借りている。ならば、アンリは休めないのではないのか?
ベッドへ向かいかけたユージェニーが足を止めたのに、ハンスが首を傾げながら振り返る。
「何か?」
ユージェニーは少し迷いつつ、こちらを見上げるハンスへと視線を下ろした。
彼女は、今早急に終わらせなければいけない“友人”に関わることや、眠たい自分自身のこと、そして目の前の兄妹のことを考え、それから口を開いた。
「アンリ様への手紙も書いておいてください」
「ああ……、そうだね」
ハンスは深く頷き、早速机へと向かいなおしてペンを手に取る。
「……そして、もう一つだけ」
ハンスが紙へと落としかけたペン先を空中で止める。
「出来れば、アンリ様へも仕事を割り振ってあげてください」
「それはしかし」
「私は腹芸が苦手でして」
一拍。
「それから、戦う事や狩りは得意なのですが、それ以外はてんで駄目でして。とにかく、お願いします」
振り返ったハンスにユージェニーは頭を下げる。その新緑色の髪が揺れるのを、ハンスは見た。それから、彼は、彼女の国の文化を思い出して、ややあって頷いた。
「分かった。アンリは神学や魔法に詳しい。きっと君の力になってくれるだろう」
「ありがとうございます」
ユージェニーはもう一度ハンスへと頭を下げてから、誰もいない大きなふかふかのベッドへと向かったのだった。
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