第2話 神社で火の玉と火の獣が

 火の玉が浮かんでいた。

 青白く鈍く光る揺らめく野球ボールほどの火の玉が、拝殿に上がる階段の手前辺りで、空気を焼く音も立てず、焦げ臭さも漂わせずに浮かんでいたのだ。

「これって、あれだ、そう! プラズマだ」

 正気に戻ったはずの内山が典型的文系の浅知恵を披露すると、それを不服に思ったのだろうか、火の玉は蛇行しながらこちらに向かい始めた。

その時。僕らの背後からも音が聞こえてきた。石畳を擦るその音は、確かテレビで見たことがある、なんだかっていう大きな爬虫類が太い尾を振りながら地面を這うのに似ていた。恐る恐る僕も内山も振り向いた。衝動なのか好奇心なのか、二人して振り向いてしまった。そして、二人して絶句した。そこには紅蓮の炎をまとった、そう本当に爬虫類に見える四足歩行の生物が、やはり僕らの方に向かって這って来ていたのだ。それもかなりの速度で。オリンピックの一〇〇メートル走決勝をスタンドからではなくコースに突っ立って見ていたとしても、それをゆっくりとさえ感じられるほどの速さ。自転車が突っ込んでくるよりももっと圧迫感がある。スクーターというならオートバイ、オートバイというならジープ。そんな接近。内山が腰から崩れた。誰かに首をトンされたみたいな感じで地に臥せった。慌てて身をゆすってみたが、どうやら気を失ったようだ。気が弱いのに肝試し気分で来た結果が失神とは。それより、火の玉と炎の獣の板挟みの状態を、内山を抱えて打開しなければならないと気付いたのは、ゼミ生の失態にあきれたおかげだった。とはいえ、武道の経験はおろか、ケンカもろくにしたことのない、戦闘能力ゼロの僕ができるのは逃げることだけだが、失神中の同学を引っ張らなければならない上に、対峙しているのがヒトではないということは、簡単に逃げ切れるのだろうかと懸念するのは当然。では、その具体的方法など思いつくはずもなかった。大学の教養講義で習った内容を思い出そうとして、絞り出せたのはせいぜいミツバチの八の字ダンスで、情報伝達ならいざ知らず何の回避行動の役にも立たない。

 とたん、火の玉が勢いを増した。今度は燃え盛る音まで。しかも、野球ボールほどの大きさが、みるみるうちに二倍にも三倍にも、いや数倍の大きさになった。その途端、急加速で突進して来た。

 さらには、火の獣の方も、こちらはこちらでスピード上げ、疾走を始めた。

 ――ヤバイ!

 思って、腕で顔を塞いだ。今にして思えば何の回避策にもなってなかったのだが。付け加えるなら、本当に何の防御策にもなってなかった。

ところが、僕も内山も重傷、ましてや落命しなかったどころか、わずかな傷害も火傷も微塵もしてなかった。というのも、火の玉と火の獣は、僕らそっちのけで争い始めたからである。きっと闘争だ。猫がボールと戯れるのとは違い、決してじゃれ合っているようには見えなかったから。時には空中戦を、ほとんど肉弾戦を、あるいは炎を弾丸にしたり、またはビームみたいにして放射し合ったりなんてことも。それなのに、境内の草や手水舎の柱などなどに飛び火しても光りはするものの、発炎しないあたり、現実的な生物間の生存競争ではまるでないことを改めて実感させられた。この間に逃げれば良かったと思うのはまさに今更で、当時はただただ唖然として、テレビでも見ているような気分で、逃げることはしなかった。

 どれくらい格闘し合っていたのかしれないが、空中に浮かぶ火の玉、地を這う火の獣の対峙関係の構図ができあがり、火の獣がそれまでにない火炎を口から放った後、火の玉が消えた。神社の屋根まで届いた火炎だったが、それまでの火の攻防と同じで拝殿を延焼させることはなかった。

 思わず火の獣を見た。火の獣は不動のまま、僕をじっとその鈍く光る爬虫類の眼で見つめてきていた。目が離せなかった。熊やイノシシに遭遇した時には目を逸らさずに後退するのが回避行動だと聞いたことがあるが、この時の僕はそんなつもりで火の獣を見ていたわけではない。もしかしたら今度は僕が攻撃されてもおかしくはない状態だったのに、僕はその火の生物がいったい何者なのか、ただただ見ていたかった。

 それなのに。今はそう思う、それなのにと。けれど、その時は正直、

 ――助かった

 安堵以外に浸る感情はなかった。生暖かくも、ひんやりともしない風が境内をそよいだ。決戦中に漂った燃焼臭さはすっかり消えていた。

瞬きをした後の視線は御神木にあった。確か火の玉と火の獣との争いで火のとばっちりを受けたはず。それから辺りを見た。草も柱も、屋根も境内いたるところにあった火の光は消えていた。はっとして足元を見直した。あの火の獣はいなくなっていた。そこいらの火の光と同じように消えてしまったように。

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