エピローグ

「というわけだからベリアちゃん。息子は、君との婚約を破棄する意向だ」


 黄褐色の、彫刻が施されたような建造物が多く立ち並ぶ、近世の街。

 その一角のビール商で出稼ぎのバイトをしていた、ディアンドル風の衣服に身を包んだベリアに告げられたのは、まさに普通なら耳を疑うような内容であった。


「婚約破棄…? なぜ?」

 ベリアはバイト先を抜け、その格式が高そうな中年男性に質問をした。

 男性は少し気まずそうに、書類に目を通しながらいう。

「それが、息子には他に好きな人が出来たのだが、とても聡明なお方でね。ご両親も各方面にとても名が知れた方々で、この街の経済にも尽力を注いでくれると仰った」

「へぇ。その人達の名前と紋章は? 話の内容からして、相当有名な方なんでしょ?」

「それは… 申し訳ないが、ご内密にということで」


 ベリアは内心、鼻で笑った。

 目の前にいる、婚約破棄を言い渡してきた男の父親である中年男性のその返答。おかしい。

 正当な婚約破棄の理由として、結婚相手の存在くらいは明かしてもらわないと納得できないからだ。相手が貴族級に有名人だというのなら、なおさら。


 それにもう1つ、重大な疑問が残っている。

 肝心の、ベリアと婚約していたはずの相手、つまり目の前にいる男性の息子がこの場にいないのだ。父親に言わせておいて本人が不在とは、最早一種のギャグだろうか。


「で? この街のルールだと、貴族から婚約破棄を言い渡された相手は、3日以内にこの街を出ていかなきゃいけないって決まりだっけ? 確か宗教的なものだとか、何とか」

「…飲み込みが早くて、助かるよ。仕事が出来て、話の分かる子を手放すなんて、私としてはとても心苦しいものだが、神官達の定めたルールには従わないとだからね」

「そう。分かった。じゃあ、その書面にサインすればいいんだね? で、あなたはすぐにそれを神官達の所へ届けてくれると。それが確認できたら、私もすぐに荷物を纏めてここを出ていくとするよ」


 そういって、エプロンのポケットからメモ用紙とペンを両方取り出すベリア。

 もう、書面にサインする準備は出来ている。男性は、少女が一向に反論する事なく無表情でペンを持つその姿に、驚きを隠せないでいた。


「…きみ、辛くないのか? こんな素直に受け入れる子は初めて見たぞ?」

「そりゃあね。だって息子さんとはこれまで2,3回しか会った事がないし、交際らしい交際も一切していない。この街へやってきた私の所へ突然現れては『婚約しましょう!』なんて言われて、ビール商のバイトを紹介されて、しかも結婚当日まで顔合わせをしたらダメという決まりなんでしょ? それじゃあ、息子さんに対する情もへったくれもないかな~」

「ムッ!」


 男性は眉間に皺を寄せた。息子をバカにしたような態度を見せられ、腹が立ったのだろう。

 だが、それでも揺らぐ事がないのがベリアだ。少女は男性から渋々提示されたその書面に、スラスラと婚約破棄承諾のサインを入れたのであった。




「…ふむ。この通り、聖座本山宛てに手紙を送ったぞ。それでは、ベリアちゃん」


 ベリアの署名から僅か数分後。

 まるで監視のようにベリアに見つめられている中で、男性は書面を封筒に入れ、それを聖座協会へと届け出した。

 これにて破棄は成立。追放措置に伴い、ビール商をクビになったベリアが満更でもない表情で、手際よく自分の荷物をまとめたのであった。


「あの子、この街に思い入れがないのかしら? まるで私達、侮辱されている気分だわ」

「ホント、前から見ていて思ったけど、貴族相手に失礼で可愛げがない子よね~」

「ふん。そんな態度だから、婚約を破棄されたのだろう。ざまぁないな」


 なんて、いつしかゾロゾロと集まってきた見物人達からは、コソコソと陰口を叩かれる始末。だが、ベリアにとっては最早どうでも良かった。

 こうして、民衆から背を向け、ベリアは街を出るために足を進める。


「それじゃあ、達者で。この街へのモンスター被害、また再発すると思うけど、自分達で頑張って退治してね~」

「は? な、何を言ってるんだあの娘は。ふん、もう会う事はないだろう。さらばだ」


 と、男性も鼻で毛嫌うかの様に見送る。ふと、ベリアは足を止めた。


「あ、そうそう。この街が少し前からモンスターに襲われなくなって、一部では夜中に何者かが火の玉を作り出し、それでモンスターが退治されて街が平和になっているという噂。あれ、ぜんぶ私が1人でやってきた事だから」

「…え?」


 衝撃の事実だ。その瞬間、男性は今日一番に目を大きくした。

 ベリアがその証明として、街の噂になっている「火の玉」を片手の平から発現、披露したのである。


 すると、それを見た民衆も次々と驚きの声を上げた。この後は予想通りの掌返しだ。


「ま、待ってくれ! このままだと、街は再びモンスターの餌食に…!」


「え~? 無理だよ。もう婚約破棄は成立したし、宗教的に今更取り消しなんて不可能でしょ。なら今まで追い出してきた女性達、皆この街に呼び戻さなきゃ割に合わないよね?」


「なぜ、こんな大事なことをもっと早くに言ってくれなかったんだ!? この事が分かっていれば、君を追放する事もなかったのに!」


「だって聞かれなかったんだもん。それに、私が出ていった所で街はすぐに壊滅しないよ。あんたら貴族が権力をひけらかし、ただ食っちゃ寝だけして少女達をやっすい賃金で働かせ、儲けの大半を懐に入れたらあとは架空の結婚相手と宗教のせいにし、街から追い出すというバカな習慣をやめて、代わりにモンスター退治に行けば。だけど」


「ぐ、ぐぬぬ…!!」


 男性のその睨んだ表情が、なんとも悔しそう。正論だから何も言い返せないのだ。

 こうしてベリアは嘲笑うような表情で、再び街から背を向けた。


「というわけで、私はもうこの街の人間じゃないから、あとは自分達でなんとかしてね。それじゃあ」

「そんなぁ~!!」


 なんて、街の人々がこぞってベリアへと手を差し伸べるが、時すでに遅し。

 誰も自分の所へ寄せ付けないよう、ベリアは全身を炎のオーラで纏い、本当にこの街を去っていったのであった。




「さて、これで何件目かな?『ざまぁ』できたの」


 下界の空気は、思ったよりも悪くない。


 魔王がいなくなった今、多少の性悪な人間はなお点在するが、これもある種の「運命」なのだろう。

 天使と悪魔、両方の側面をもつベリアに課せられた使命、ともいうべきか。


「さっきの展開で、奴らから邪悪な怨念を無事回収できたし、あとはこれを世界で困っている人達のために使うとするか。さて、どこに使おう? 病院? 児童養護施設?」


 なんて独り言を呟きながら、ふと、別の村が見えてきた所で足を止めた。

 ベリアが、不敵な笑みを浮かべる。


「おっと、新たな『悪』の臭いがするね。次はあの村にしよう」




 もう、誰かの転生や転移に任せる必要はない。

 上界をリリス1人で統治している今、今度はベリア自身が、世の黒幕達を「ざまぁ」する立場に回ったのだ。彼女は、最後にこういって村へと歩いていった。




「邪悪な心を、平和をもたらす願いへと変える――。さぁ、ざまぁ無双と参りましょう!」



【悪女を導き案内人、ざまぁ無双と参りましょう!  ―完―】

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