ベリア、絶体絶命のピンチに陥る。

「強くなったわね。ベリア」


 自分は、決して無能なんかじゃない――。

 娘がそれを「証明」してから、リリスへの侮辱は劇的に減っていった。

 体罰もなくなり、天界での仕事にもゆとりが生まれた。ベリアも、自然と母の仕事を見よう見まねで覚え、同じ様に業務をこなせる様になった。


「天国と、地獄、どちらの世界でもやっていけそうね。ここまで複数の業務をこなせるのはベリア、あなたが初めてよ」

「ありがとう… お母さん… あのさ。お兄さんたちは、天界の仕事の手伝いをした事がないの?」

「息子たちは… ルシフェルの『希望』だった。『男にはなんとしても魔王の跡取りになってもらう』と、私の仕事に目を向ける事さえも許されなかったわ」

「そんな」


 母リリスは、娘ベリアにとても優しい、美しい女神であった。

 だが今にして思えば、きっと自分と同じ女として生まれたベリアに対する「情」だったのかもしれない。息子を2人も失った身にしては、さほど悲しんでいる様には見えなかった。

 どちらかといえば、その事が切欠で夫の本性を知った。と、顔で表しているかのような。


 そんな安泰も、ずっと続くと思っていた。

 でも、それは大きな間違いだった。

 ある日を境に、とつぜん、ルシフェルがリリスを地獄の奥底に封印したのである。




「はあああああ!!」


 ベリアの広範囲に渡る攻撃魔法が、加勢してきた魔王の手下たちを次々となぎ倒す。

 今日まで溜めてきた邪悪な心は、充分ストックしてある。先の強烈な爆風で数千人規模の手下が焼き払われていったが、これでもまだベリアは本気ではなかった。


「なぜ、母を閉じ込めた! 同じ事の繰り返しで、一体、何をそこまで恨みがあるの!?」


『恨みなどない! いずれ、世界の全ては『無』に還る! 男だ女だのという、くだらない概念を全て取り払うには、もうその道しか残されていないのだ!』


「まさか、母を閉じ込めて天界を機能しなくすることで、全世界のバランスを崩壊させようという魂胆…? 一体、何を根拠にそんなことを!! 魔王とはいえ、何の罪もない人々まで巻き込むなんて、どこまで自分勝手なんだよ!?」


『貴様は何も分かっていない!! 今、世界は狂い始めている! また、同じ過ちが繰り返されようとしている! もう、これ以上の修復は無意味なのだ!!』


 つまりは人類に対する絶望。喪失。デフォルトの執行――。


 ルシフェルは平和ではなく、破滅を望んでいる。

 性別の概念を失くし、全てが1つの種になるという事は、序列がなくなるということ。つまり、自らが最強であり続けたいルシフェルは、そんな未来など望んでいないのである。


 自分にとって不利益なものは、自分もろとも排除する。

 それが彼の目的であった。あまりにも身勝手で、救いようのない“手段”――。


『おのれ…! 無意味な抵抗を…!!』


 ルシフェルは見立てを誤ったのだろうか?

 ベリアの戦闘能力と、その手にかき集めてきた力が予想以上に膨大だからか、気が付けば自分まで圧倒されているのだ。手下は、もう殆ど残っていない。


「これで…!」


 ベリアの会心の一撃。

 今日までかき集めてきた力を使った、「悪」に「悪」をぶつける事による対消滅。

 その全てをルシフェルに注いだのであった――。




『ぐわあああああああ!!』


 巨大な一刀を受けたルシフェルが、地獄全体を包み込むほどの断末魔を上げる。

 マグマのような高温の流血を起こし、その場でゆっくりと倒れた。


 大きな地震が起こる。

 漆黒の雲がただよう空に、ぽっかりと赤い空の「穴」が出来た。




 ベリアが、仰向けに倒れたルシフェルの前へ、ゆっくりと降り立つ。

 これで、良かったのだろう――


「!?」


 一瞬の出来事だった。

 ルシフェルが倒れている場所から、突然、大きな爆風が襲い掛かってきたのだ。


「くっ…!」


 ベリアは爆風で遠くへ吹き飛ばされた。

 だが、幸いにも大きなダメージには至っていない。離れた後方へと着地し、全身に被った煤や、かすり傷から滲み出る血を拭う。


『フフフフフ… フハハハハハハ!!』


 ルシフェルの高笑いが響く。

 倒れただけで、完全にやられてはいなかったのだ。あの時、トドメを刺すべきだったか。


『爪が甘い! 今日まで、数つもの下界を混沌へ導き、滅ぼしたと思っている!?』

「!?」

『いずれ、貴様がこうして訪れる事は予知していた…! 貴様に出来て、我に出来ぬものなどない! さぁ、我に集いしこの邪悪な力を前に絶望し、ひれ伏すがいい!』


 この瞬間、ルシフェルの周囲から、翼竜や人族の手下が煙とともに再び生み出された。

 ベリアの視線が、遠のく。


 ベリアの知らない間で、幾つかあったはずの下界が、消滅していたなんて…

 その下界の中には、何の罪もない人々まで巻き込まれたはず。だが、ベリアのいた天界に召されていないという事は… その人達も全て、養分として地獄に堕とされたということ。


「ルシフェル! お前を、絶対に許さない!!」


 ベリアは激怒した。

 ルシフェルがそこまでむごい事をしてきたのには失望したが、悲しい事にベリアが溜めてきた邪悪な心は、もう殆ど残っていない。

 だけど、その少ない力を最後のトドメに駆けて、前に進むしかなかった。


『無駄な足掻きを!』

 彼がかざした前方、復活した手下たちがベリアへ一斉攻撃を仕掛けてきた。


「邪魔するなあああ!!!」


 ベリアが血走った目で、襲い掛かってくる手下たちを次々となぎ倒していくが、振り出しに戻った今、最初の時とはわけが違う。

 力を殆ど使い切り、冷静に戦う余裕を失っているせいで、敵の攻撃を避けきれないのだ。


「うぐっ…! うあっ…!!」


 四方八方から責められ、何とか抵抗するも飛ばされてしまうベリア。

 今、ここで最後の邪悪な心を使ったら、ルシフェルを倒すチャンスがなくなる。その焦りからか、反撃もその殆どが空振りで、どんどんダメージを負っていった。


「うっ…」


 ベリアは地面に転がりながら倒れた。

 まだ、なんとか自力で立ち上がれるけど、思うように早く動けない。


『ここまでだ、無能。さぁ、消えるがいい!』


 ルシフェルが大きく振り上げた拳が、こちらへと近づいてくる。

 このままでは、トドメが刺せない。その場から逃げるにも、今からでは間に合わない。


 もう、ダメなのだろうか――。ベリアは絶望した。




『ぐおおおおおお!!』


 その時だった。

 ルシフェルの拳が、突然横切ってきた“なにか”に打たれ、大きくのけ反ったのだ。

 その攻撃は絶大で、拳に大きな穴が空くほど。


「…え?」


 助かったのだろうか? ベリアは目を大きくした。

 正に危機一髪だった。横切って来たのは、一体…


「させるか! 私利私欲で娘を殺そうだなんて、あんた父親として最低だよ!!」

「そうよ! 母親と、今日まで1人で頑張ってきた娘に、なんて酷いことを… そんなの、私達が許さない!!」


 ――聞き覚えのある声だ。


 ベリアの盾となるように、ストっと降り立ってきたのは、複数人の女性達。

 しかし、それは地獄に堕とされた死者や、その類ではない。彼女たちはなぜか、生きている姿で、そこに立っているのだ。


 ベリアは驚愕した。その目を疑った。

 ルシフェルの拳を弾き、助けにきたのは、まさに目の前にいる女性達。どれも見覚えのある風貌であった。

 宝飾ブランド次期会長、シスター、猫娘、そして聖火騎士…


 ベリアが、今日まで転生や転移を導いてきた「悪女」たちが、駆けつけてきたのである。


(つづく)

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