9
結局、午後の授業をどう過ごしたであろうか。私はつい先程の記憶さえも靄がかかって輪郭すら捉えられなくなっていた。それ程までに私は幾度と無く繰り返される日々に辟易し、それに慣れてしまっていたのだ。
今日も今日とて放課後は自習室で勉強の真似事をしていた。明日は数学の課題の提出日であったのでワークとノートを開く。周囲は大学の過去問を解いている中で、私だけが課題を少しずつ消化するだけの歪な空間。ここに居るだけで私は様々な場面で聞いてきた受験を美化する話が脳内を駆け巡った。それはどれほど耳を塞ごうとも意味は無く、どれほど頭を壁に打ちつけようが消え去ることは無かった。私はつい先程まで斜軸回転体の体積を求める数式を書いていたはずなのに、何故か今は意味不明な呪詛を書き連ねている。
仕舞いに耐え切れなくなって部屋を出る。しかし幻聴は消えることなく私に纏わりついてくる。誰もおらず人目につかない場所で私は水筒の水を飲んで落ち着こうとするも、自由奔放な流体は気管に入りそうになりむせ返って余計に苦しくなった。ゲホゲホと咳き込んで嗚咽する。倒れ込んでも苦しみから解放されない。もがきながら行く宛もなく逃げようとする。何から?逃げて何になる?そんなことに答える余裕は最早なく、ただただ恐ろしいものから逃げようとしていた。
そこは丁度窓のない場所で、かつ9月のこの時間は日は沈みかけであったがまだ誰も蛍光灯を光らせていなかったので仄暗い空間となっていた。顔を上げても暗さで世界の輪郭を捉えることは出来ず、光を求めようと10mほど離れた窓を見ようと近づいても今度は遠くのビル群の直上にある太陽の光が窓越しに入って目がチカチカするのみで何も好転しなかった。
「あ゛……う゛……う゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛!!」
汚い悲鳴に似た何かを発していた。不安定になる呼吸と心拍数の上昇を感じた。しかしどうすることも出来ず、ただもがいていた。
誰が私をこんな状況に追い込んだの?誰が望んだの?誰の為?何で何で何で何で……私?私は……ッ!私は……どうして……いつもいつも……いつもいつもいつもいつもッ!!
思考は全くまとまらなかった。私の理性の発する警告は何の意味も為さなかった。ただ何か得体の知れない恐ろしさと混沌が私を支配していた。今まで目を逸らして生きてきた疑問は許容量を裕に超えて津波となり、理性が築き上げた外界との交わりを断つ高い堤防は跡形も無く瓦解する。私を絶望の渦に飲み込む。目の前がより曖昧になる。いつの間にか無意識のうちにずっと床を叩いていた手は赤くなり、血が滲んでいた。
私は突然立ち上がり意味も無く走り出した。カウンセリングルームのある角を曲がり階段の方へ向かう。その階は最上階であった。私は踊り場の胸の高さ程度の壁をよじ登ろうとする。自分でも何故そんなことをしているのかは分からない。ただ何かに支配された私は止められなかった。嗚咽しながら、涙で顔を歪めながら、ひたすら登ろうとした。その瞬間、壁にかけていた足が外れる。一瞬、死を感じる。しかし踊り場の方へ落ちてしまったため軽く背中を打っただけであった。
しかしそれでは私を支配するものは満足出来なかったのか、今度はうつ伏せの体勢で階段へ進む。泣き喚いても止まらなかった。遂に私の手は床を捉えられず体は階段を転がり落ちる。痛み、苦しみ、全てが感じられなくなる。あぁ…これが私の望んだものであったのだろうか。下の踊り場の壁に体を打ちつけた刹那、私はふとそんなことを考えていた。
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