9:このままパクッと喰われてなるか!
「ど、どうも初めまして。私、アンズって言います。まずは、えっと……その、私に『龍の繰り人』の資質を見出してくださいましてありがとうございました。――で、あのですね、このまま私、閉じ込められているわけにもいかないわけでして……よろしければ、あちらにいるザクロさんとともに村に返していただければと思うのですが……」
龍神の炎の瞳は動かない。私は説明を続けることができずにただ固まる。
ま、まずい。これ以上何も浮かばない……
立っているだけでも結構つらい空気なのだ。喋ることができただけでも大したもんだと自分で自分を褒めてやりたくなるほどである。
う……どうしよ。というか、私、赤の龍神様に会ったら、訊いておきたいことがあったのに……
文化調査員試験の面接でのやり取りが過ぎる。何のために私が文化調査員を目指したのか。それはこの国のためにできることがしたい、自分でも何かできるんだってことを証明したい、そんな気持ちや憧れは確かにあった。でも、文化調査員を目指そうと思ったきっかけはもっと別のところにあった。
今が絶好の機会だって言うのに――
私は龍神様に会ったら、自分の出生について訊くのだとずっと願って、それで今ここにいるのだった。
もう、こんな機会は得られないかもしれないっていうのに……
ぐっと握る拳に力が入る。
私の生まれた場所は定かではなく親を知らない。
わかっていることといえば、見つけて保護されたのがこの周辺だったことくらいだ。だから地域を支配している龍神様なら、とりわけ赤の龍神様であるなら私の親がわかるんじゃないか、私がどこから来た存在なのか知っているんじゃないかと思ったのだ。
もしも逢えるなら、お父さんとお母さんに逢いたい。大きくなったんだよって伝えたい。今まで捜索してもらっても見つからなかったけど、龍神様なら、目の前にいる赤の龍神様なら知っているかもしれないんだから。
そんな望みがあって、赤き龍神の祭りの調査の仕事が入ったと聞いてすぐに立候補し、勇んでここを訪ねたというわけだ。
だというのに、いざ対面してみればこの有様。情けないにもほどがある。
うう……千載一遇の好機だっていうのに、んなこと訊けるかっていう空気をまずはどうにかしたい……
赤き龍は何も喋らない。このまま動かないのかと不思議に感じ始めたときだった。
龍神はその大きなあごを開くと、私に向かってぱくっと動かした。
「はうっ!?」
咄嗟に身体が反応した。
私の身体は後方に跳躍し、水面に着地。くるぶしまで水に浸かり、湖の水がぴちゃんと撥ねる。
こ、これはぱっくりもぐもぐってやつですかっ!!
そういえば、と思い出す。
私は『龍の繰り人』の候補であり、その一方で龍の生け贄として捧げられてしまった身であることを。
「も……問答無用で私をぱくっと食べないでちょうだいっ! ま、まだ話は終わってないでしょうがっ!」
心臓がバクバクと大きな音を立てている。胸元を押えると、その鼓動が伝わってくるほどだ。
怒鳴る声を無視し、龍神の頭は私を見るなり追ってきた。なかなか素早い動きだ。
「ちょっ……私の話を聞く気がないわけっ!?」
水に浸かった状態では動きにくい。私は陸地を目指して移動。そのあとを大きなあごが迫ってくる。正直、生きた心地がしない。
「そっちがその気なら、私だって攻撃させてもらうんだからね!」
精神統一を行いたいところだが、そんなに落ち着いて行動できるほど私は訓練されていない。それでも、自分がやろうとしていることを脳内で丁寧に作り上げる。
「我が周囲に満ちる大気よ、陽の関係に基づき爆ぜよっ!」
指先に炎を生む様を想像し、示すがごとくその手を龍神の口の中に向ける。
空気が膨張し、龍神の口元で爆ぜた。ごうっという大きな音が空間を振動し伝播していく。
私の身長と同じくらいの真っ赤な炎が生まれ、龍のあごを焼く――そう思われたが龍神ものんきに構えているわけではない。
ずいっと大きな図体にしては俊敏に後退。炎の直撃を免れていた。
くっ、そう簡単にしとめられるわけがないか――って、うっかり怒らせちゃったりしてないかしら……?
怯んでくれれば交渉の余地はあるかと考えたのだが、龍神は私から距離を置くと、その狙いを別に向けたらしい。頭を持ち上げると目をそらした。
まさか。
龍神の視線の先にはザクロの姿。角灯を背にこちらを見守っている影が見える。
まさか、やめてよ。
そしてその瞳に彼を映したかと思うと、ずるりと動き出す。
一気に、ザクロの元へと。
やめてよ、止まってっ!
背筋を悪寒が走った。
「やめてっ!」
迷っている場合ではない。自分が怪我をしようとも、何の関係もないザクロを巻き込むのだけは嫌だった。文化調査員の誇りとして、ここまで導いてくれた礼として、彼を絶対に救わなければいけない。
間に合えっ!
危険を承知で、私は自分の足元を爆発させる。ぬかるんでいる地面に含まれた水分を一気に水蒸気に変えたのだ。
空気が膨張し軽い私の身体は吹き飛ばされる。痛みが足元から上ってくるが気にしている場合ではない。どうせ熱風でちょっと火傷を負ってしまったくらいに違いない。
っつ……でも我慢よ、アンズ!
続けて空中で爆破を起こし、方向変換。根性で龍神の前方に割り込んだ。それと同時に手足を目一杯伸ばし、私を一飲みできそうなくらいに大きい龍神の頭を抱えるつもりで立ちはだかる。
行かせるもんかっ!
龍神がこの勢いで突っ込んできたら、どううまくいったところでザクロとともに龍神の腹の中行きだ。それでも何もしないよりはマシ――私は自分の身体が龍神に飲み込まれていくのを想像しながらぎゅっと固く瞼を閉じた。
そして――
あれ……?
痛みも何もなかった。噛まずにごっくりとされてしまったのだろうと思いながら目を開け……私は自分の目を疑った。
いつの間に私の前に移動したのだろうか。燃えるように煌めく赤い髪、炎が揺らめくように輝く赤い瞳――とても印象的な容姿の青年ザクロの心配げな顔が、状況を飲み込めずにぽかんとしていた私の瞳に映っていた。
「ったく、自分の周囲を爆破して移動するだなんて、どうかしてると思うぞ」
ぽんっと大きな手のひらが私の頭に載せられる。そしてぐりぐりと撫でられた。
「ちょっ……馴れ馴れしいっ!」
「それだけの元気があるなら大丈夫そうだな。無茶しやがって……焦ったじゃねぇか」
後半の台詞は呟くように。そして彼は私を引き寄せてぎゅっと抱き締めてきた。ザクロの胸に私の耳がくっついて、その早まっている心音が聞こえた。
本当に焦っていたんだな……
心配してくれたことがちょっとだけ嬉しい。
だけど、これはこれ、それはそれ、よ。
私はこの状況に流されることなく、ザクロの手をのけて距離をとった。彼は一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべ、しかし次の瞬間には満面の笑みに切り替えていた。
「これは一体何の冗談なの?」
さっきまで戦っていたはずの龍神の姿はなく、代わりにザクロからその圧倒的な気配を感じ取れた。ばらばらだった気配が一つに融合したかのような自然さがそこにある。それまでのザクロにあった違和感は、今はきれいさっぱりなくなっているのだった。
「俺は冗談で命を懸けたりするような趣味は持っていない。ただ仕来りに倣って、君にどの程度『龍の繰り人』の才があるのか試したに過ぎない」
言って、ザクロは肩を竦めて見せる。
「試したって……」
「で、その結果、俺は君を合格とみなした。ちなみにあの儀式、試験であると同時に『龍の繰り人』と龍を結びつける契約の意味もこもっているんだ。それを抜けなくこなした君には充分に才能がある。よく頑張ったな。疲れただろ? 里に帰ってゆっくりしようじゃないか。準備もある程度整った頃だろう」
にかっと破顔したのを見て、私はやっと彼の言っている意味を理解した。つまり彼は、私が初めに想像したとおり赤き龍だったのだ。
「もうなんなのよーっ!?」
霧でぼんやりと霞む山中に、私の動揺する叫び声が響いていったのだった。
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