第4話 「2023年8月23日、慶應義塾高等学校野球部が甲子園で優勝の意義と意味」
慶應義塾高等学校107年ぶりの(2度目の)優勝という事実よりも、過去、日本高等学校野球連盟が統轄して行なわれてきた高校野球の全国大会史上初めて、「高校生の、高校生による、高校生のための野球」によって優勝を実現した、という意義がありました。
彼らが標榜してきた「エンジョイ・ベースボール」という言葉には、「自主独立・自主独往」の精神が込められている。
そして、高校野球という一つのアプリケーションばかりでなく、あらゆる分野で、この「自主独立・自主独往」の精神を発揮することで成果を上げることができる。また、私たち日本人だけでなく世界中の若者が「自主独立・自主独往」の精神を発揮できる。
それを野球という場で証明したところに、大きな意味(価値)があるのです。
地元の声援に縛られず、政府や野球連盟といった剽軽者(定見の無いお調子者)に惑わされず、韓流マスコミの安っぽい煽動に乗せられず、ひたすら、「自分の目で見、自分の頭で考え、自分の心のままに行動する」という、「自主独立・自主独往」の精神を、100名を超える慶應義塾高等学校野球部員たち(監督・コーチ含)全員で実行し優勝という形で実現した。
かつて、王貞治氏は「高校野球にはあまりにも『悲劇のヒーロー』が多すぎる」と、マスコミによって高校生球児の純粋な心が歪められ、芸能人化され、偶像崇拝の対象に祭り上げられることでマスコミの飯の種にされている惨状を嘆きました。
王貞治氏のような(一般のプロ野球人と異なり)プロとなっても高校生の時と同じ純粋・純真な心で野球を極めて(楽しんで)きた人にとって、現在の「高校野球」というのは、天下りや韓流マスコミによって、芸能化・商業化された極めて俗っぽい世界に見えるのでしょう。
プロ野球というのは、一つのエンターテインメント(娯楽・演芸・余興)ですから、涙や笑いや事件が「作り出される」のは致し方ない
しかし、高校野球とは、あくまでも純真な心を磨くための一つの修行の場であり、プロになっても現役を引退されてからでも、高校生の純真な心で野球を・人生を追求されてこられた「生涯修行者」王貞治氏にとっては、魂の聖地とも言えるほど大切なものです。
今回の「慶應義塾高等学校野球部による甲子園優勝」とは、その意味で、本来「聖地」であったはずの高校野球の純粋さを、100年ぶりに元の位置に取り戻した、ということなのです。
韓流マスコミの煽り立てる商業主義・芸能化、又、野球連盟という天下り官僚主義に汚染されすっかり俗っぽくなってしまった高校野球を、野球をやる人間が純真な心で楽しむ本来の高校野球に取り戻した。高校生らしい才気と煥発、知性と理性、ピュアな心と豊かな感性によって「自分たちの中で本当に楽しめる野球」を作り上げた。
そして、それが単なる自己満足ではなく、3,486校が競う甲子園で優勝するという、万人の理解と賞賛を得る、目に見える普遍的な結果を生み出すことができた。
「セリフなんか要らないわ。私たちには顔があったのよ」(無声映画時代の、アメリカの或る名女優の言葉)
「韓流マスコミ(くだらないセリフや解説)なんか要らないぜ。オレたちには、10万年からの原始日本人・縄文人の歴史に蓄積された知性と鍛えられた理性、そして豊かな感性があるのだから」
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