第2話 「ああ、韓流・・・」

2023年8月の時点の日本で、大手テレビ局、全国紙、文藝春秋・中央公論・正論・週刊文春・週刊新潮・週刊現代・週刊ポスト・週刊毎日等々、日本を代表するマスコミには、2001年のアスレチックスにおけるスカウターたちのような「経験と知識のいっぱい詰まった?記者や編集者」が沢山存在するようです。


そして、もし、かのビリー・ビーンが(日本語が堪能で)、少なくとも「2023年8月23日の慶應義塾高等学校野球部の甲子園優勝」に関する、日本の新聞や雑誌の記事を読んだなら、映画「マネー・ボール」の場面のように


「Guy’s , you’re just talking !(あんたら、おしゃべりばかり)」

「Talking・・・like this is business as usual.(くだらないことばかりをベラベラ、それが仕事だと思っている)」


しかし、


「It’s not.(違う。そうではないはずだ。)」

と、仰るでしょう。


更に、こうも仰るかもしれません。


「あんたら、新聞や雑誌の記事で飯食ってるなら、もっとマシな記事や野球の解説をしろよ。」

「どの新聞も、簡単な試合経過を書き、街や学校の様子をレポートしているにすぎない。」

「いつまで経っても、韓流タウン情報誌並みの「地元の商店街は大喜び」「選手の家族は涙」「107年ぶりの優勝」「長髪可の自由な野球部」といった、直接、野球の戦いに関係ない、世間話レベルの記事・記述ばかり。


「もっと、勝者と敗者双方の戦い方がどう良かったのか、何がまずかったのかを、王貞治氏や多くの一流専門家たちから聞いて、それを野球の素人でもわかるように優しくかみ砕いて解説すべきだろう。」

「お涙頂戴的な、感傷的・感動的、「記録的 !」なお話なんて、カレーの薬味のように、ほんの少量で十分だ。」

「今の新聞記者や雑誌編集者の書く記事程度なら、日本全国、どこの高校生、否、中学生の新聞部員でも書ける内容だ。」


「高校野球」の記事なのに、「高校野球で優勝」した特別な記事なのに、韓流スターの写真とバカ話ばかりの3流韓流娯楽雑誌のような、読者の頭を空っぽにする記事ばかり。

「新聞社にはスポーツ部という、スポーツ理論や運動生理学やスポーツ心理学を学んだ知的体育会出身の記者が(昔は)いたはずなのに、現在では韓流芸能スポーツ記事を書く人間程度しかいないのだろうか。」

「天下の4大新聞の記事がこの程度とは、情けない。」

「少なくとも40年前は、こんな幼稚な記事はなかったはずだ。」



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