あの時、私は死にました。だからもう私のことは忘れてください。

水無月 あん

第1話 上

 私、クリスティーヌは、アンガス公爵家の長女で、1歳年上のムルダー王太子様と婚約している。


 今日は、ムルダー王太子様の17歳の誕生日を祝うため、王宮の広間には、国王陛下、王妃様をはじめ、多くの貴族が集まっていた。


 と、その時、突然、きらきらとした光が舞い散った。

 みんなが息をのむ。


 光の中から現れたのは、小柄な少女。

 真っ黒い髪に真っ黒い瞳。この国にはいない色味に、あちこちから驚きの声があがった。


 少女は、大勢の人たちを見て、大きな目をこれでもかと開き、震えはじめた。


「この方は、異世界からの聖女様です!」

と、真っ先に声をあげたのは、長いローブを着た大神官様。


 一気に広間中がざわめき始めた。


「は? 異世界からの聖女!?」

「そんなの、ただの伝説だろう……?」

「でも、確かに、あんな現れ方、普通じゃないわ!」

「それに、あの黒い髪に黒い瞳を見て!」


 大混乱の中、ムルダー様を見た。

 その青い瞳が、じっと、震える少女を見つめている。


 何とも言えない胸騒ぎがした。



 神殿に保護された少女は、名をルリ様といい、年は16歳。異世界では学生だったとのこと。


 しかも、神殿に来て早々に、異世界の貴重な薬を使って、高熱で伏せっていた神官様の熱を、一晩でさげたそう。


 このようなルリ様にまつわる話を、私は、ムルダー様から聞いている。

 というのも、ムルダー様は、毎日、ルリ様に会いに神殿に通っているから。


「王太子様であるムルダー様が、毎日、様子を見に行かれなくてもいいのではないでしょうか……?」

 

 心がざわついて、やんわりと言ってみた。


「ルリはね、ぼくがいると安心するんだって。クリスティーヌと同じ年だけれど、クリスティーヌと違って、かよわいからね。ぼくが守ってあげないと。たった一人で知らない世界に来たんだ。心細いのは当然だろう」

と、ムルダー様。

 

 胸がズキズキと痛む。


 でも、ムルダー様のおっしゃるように、ルリ様は知らない世界に一人でこられたのだもの。心細いわよね……。


「そうですね」

私はそう言って、無理やり微笑んだ。




一か月後。


「我が息子、王太子ムルダーと、アンガス公爵令嬢クリスティーヌとの婚約を解消する。そして、異世界から来た聖女ルリと王太子ムルダーの婚約を命じる」


 国王様の声が、王宮の広間に響き渡った。

 広間中が、どっとわいた。


 国王様の隣に立つムルダー様を見た。

 まぶしいほどの金色の髪に、整ったお顔立ち。そして、海のような青い瞳。


「ねえ、クリスティーヌ。ぼくは、どうしたらいい?」

と、困ったことがあると、すがるように私を見つめてきた美しい青い瞳。

 

 その度に、ムルダー様をお支えするべく、私は奔走した。

 

 なのに、その瞳は、もう私を見てはいない。

 隣に立っている小柄な異世界からきた聖女ルリ様を愛おしそうに見つめていた。


 ああ、もうダメなのね…。



 4歳で王太子様の婚約者になった私は、お妃教育のため、毎日、王宮へと通った。

 最初の頃は、厳しくて泣いてばかりだった私。

 

 家に泣きながら帰っても、両親は「王太子妃になるのだから」と、私を叱るだけ。

 それなのに、2歳年下の妹を、両親は溺愛した。

 妹は、どんどん、わがままになり、私の持ち物ばかり欲しがる。あげないと、私が叱られる。

 3人で出かける時も私は居残り、勉強を命じられた。

 私をのぞいて、仲のいい家族だった。


 でも、そんなつらい日々をがんばってこられたのは、ムルダー様がいたから。

 王太子として厳しい教育を受けていたムルダー様が泣いている時は、私がなぐさめた。2人で励まし合ってきたのに…。


 その時、再び国王様が声をあげた。


「そうそう言い忘れていたが、異世界からきた聖女ルリは、当然、こちらに血縁がいない。アンガス公爵がルリを養女とし、後ろ盾になることを名乗り出てくれた」


 え? お父様が聖女様の後ろ盾になるの?


 見ると、ムルダー様と聖女ルリ様の前に、両親と妹が笑顔で近づいていっている。


 なんだ……、王太子妃になるなら、私じゃなくても、だれでも良かったんじゃない……。

 今までの苦労を思うと、思わず、全身から力がぬけた。


 今まで、家のため、両親のため、妹のため、王太子様のため、ひいては国のため。  

 そう言われ続けて、私の人生を捧げてきたのに……。


 この一カ月、ムルダー様の変化を見て、心の底ではわかっていた。

 ムルダー様の心は、聖女ルリ様に向いている。


 でも、あきらめられなかった。


 今日は、ムルダー様にいただいた、ムルダー様の瞳の色と同じ青いドレスを着てきたけれど無駄だった。

 今まで、精一杯、がんばってきたのに、家族にも、ムルダー様にも見捨てられたってことよね……。


 私の心を支えていた最後の一本の柱がぽきりと折れた。


「……フフ、……フフフッ……。私って、ほんと馬鹿みたい……」


 私は隠し持っていた短剣を、ドレスの中から取り出した。

 私を見た、近くの人が悲鳴をあげる。


 短剣を大きくふりあげた私を見て、ムルダー様が驚いたように目を見開いた。


「待て、クリスティーヌ! はやまるな……!」

と、ムルダー様が叫んだ。


「さよなら、ムルダー様……」


 私はそれだけ言うと、自分の首に短剣を刺した。

 悲鳴のなか、床に崩れ落ちた私。


 遠のく意識の中、「クリス! しっかりしろ!」と、声が聞こえた。

 懐かしい声に、うっすらと目をあける。

 そこには、大粒の涙を流している幼馴染がいた。


「ライアン……」


「死なないでくれ、クリス! おすすめの本を教えてくれる約束だろ!?」


「……ごめんなさい」


「ダメだ! 死ぬな、クリス! ……そうだ、聖女なら助けられるんだろ!? 早く、クリスを助けてくれ!」

  

「……ムリよ! 私の持っている市販の薬で、そんなの治せるわけがない! 私のせいじゃない……。私、自分で聖女だなんて言ってないもん!」

と、聞きなれない、甲高い声。


 でも、もう、頭が働かなくなってきた……。

 ムルダー様のこともどうでもいいわ……。


 ぼんやりする視界には、号泣するライアンの顔。

 出会った頃のライアンと重なる。あの時も泣いていたっけ……。


「……わたしのために……泣いてくれて、ありがと……。ライアン……」


 最後の力をふりしぼって、そう言うと、私は目をとじた。

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