一雫中毒
みかみ
第1話 飴屋の青年いわく
「一日たった一粒しかお召し上がり頂けないんです。それが決まりなんです。できればお買い上げすぐに召し上がって頂きたいのです」
え、そうなの? と僕はハンドタオルで汗を拭く手を止めた。誕生日に同僚から、からかい半分でもらった『TANBE』という名前刺繍入りのハンドタオルである。
そうなんですよ。と、飴売りの青年は初見の客である僕に申し訳無さそうな笑顔を作った。
藍染風の
茶室のある高級旅館か神社仏閣あたりで庭掃除でもしていたらさぞかし絵になりそうだな、などとどうでも良い事を考えながら、僕はこめかみから流れて来た大粒の汗をまた、ハンドタオルで拭きとった。
今この青年が座っているのは、高級旅館でもなく神社仏閣でもなく、オレンジ色の電球が照らす小さな屋台の中だ。
「困ったな。これ、手土産にしたいんだけど」
「お土産用にお求めになる方もいらっしゃいますよ。勿論、一粒でよろしければですが」
宜しくは――ない。
なにしろ、商談先の社長のお孫さんにと思って店先に立ったのである。戦時中じゃあるまいし、その一粒がどんなに美味かろうが、それを『土産』だと称した瞬間、ケチのレッテルを貼られるに違いない。そして僕はきっと商談を逃す。上司にどやされる。下手すればボーナスを減らされる。
子供にやるつもりだ、と僕が用途を告げると、飴屋台の青年は「ああ~……」と歯切れ悪く、菩薩のような顔をしかめた。一見細身の割にがっしりとした前腕を組み、首を傾げて唸る。
「幼いお子さんには向きませんね。以前、ここの飴を孫に与えた老夫婦がいらしたんですが、そのお孫さんがもっと食べたいと呼吸困難起こすほど泣き喚いてね。困り果てたそのご夫婦、県を三つもまたいで翌日の飴市に買いに来られたんですよ」
子供をターゲットにできない飴屋なんて、やる意味あるのだろうか。いや、それよりも――。
「なにそれ。ちょっと怖いんだけど」
飽食時代まっただ中を生きている子供が飴玉一つを求めて、息ができなくなるほどダダをこねまくるなど、どれほどの中毒性であろう。
僕は目の前に並んでいる色とりどりの飴をまじまじと見た。
種類ごとに透明な四角いプラスチックケースで分けられた陳列は、祭のどんぐり飴屋台そのままである。しかしケースを満たす中身はどんぐり飴ではなく、色も形も様々な有色透明の塊だ。宝石の様な飴、というものはよくSNSで紹介されているが、ここに並ぶ飴の輝きは宝石特有の硬質で暴力的な輝きとは異なっていた。眺めていると、『甘露』という単語がふと頭に浮かぶ。こういうこってりとした輝きを持つアクセサリーを好む女性は、多そうだ。
不思議だが、僕にはこれらの飴が宝石よりも魅惑的に思えた。もしかして、変な薬でも入っているのだろうか。
「麻薬は入っていませんよ」
僕の頭の中を読んだように青年が言ったものだからギクリとする。僕は、笑ってごまかした。
「もしかして、この一列、全部そんな感じなの?」
僕は、市立図書館と駐車場の間に伸びている細く暗い裏路地の奥に目をやった。青年が営む飴屋を先頭に、この裏路地には、ずらりと同じような飴屋台が並んでいる。
一見、縁日のようでもあるが、全て同じ店というのは、見ていて異様なものである。
ええ、まあ。
青年は苦笑いを浮かべると、僕の方に大きく身を乗り出して屋台から顔を出し、裏路地に並ぶ飴屋を覗きこんだ。
「作り手によって若干、味の癖は異なりますが。効能や一人一日一粒の決まりは同じですよ」
今、効能って言った?
聞き捨てならない単語を聞いた気がした僕は、青年をぶしつけに見つめる。
「それで、どうなさいます? やめときますか」
店の中にひっこんだ青年は、客からのぶしつけな視線などは意に介さない様子で、掴みどころのない笑顔を僕に向けて来る。
おいおい、商売人が『買うのをやめとくか』なんて、冗談でも客に言っちゃあいかんだろう。
僕は青年の商売っ気の無さに呆れつつ、しかし同じくらい好感を持った。
「買うよ。まず一個、僕の味見用に」
いくら? と財布を取り出す。
「一粒、五百円」
僕は驚きのあまり、財布を取り落としそうになった。
「たっか!」
こいつ、売る気あるのだろうか。
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