雨上がりのアンダーグラウンド

こたろー

第1話『睡蓮』

 2021年7月27日 12時56分。


 部活の中練を終えた俺はケース袋に入れられたテニスラケットをたすき掛けにして、ボールや靴が入ったリュックサックを背負った。


梅雨つゆお疲れ~」


「お疲れ!じゃあな怜雄れお!」


 同学年の部活の仲間からの別れの挨拶を返し、自転車に跨った。前籠には登校中に着たカッパが無理やり入れられている。


 「三重県立 下灘高校」と彫られた看板のある正門を抜け、帰路についた。


 今日の午前中は酷い雨だった。自転車通学の俺は、午前練習だけのために雨の中自転車を走らせてまで学校に行く気になれなかった。


 だが我儘ばかり言えるわけもなく、上がらない気持ちのまま学校に行き、フィジカル中心の練習メニューを乗り切った。

部活が終わって帰る頃には、朝が信じられない程の快晴で、落ちる雫や水溜まりに反射する日光が眩く見える。


 自転車がすれ違うには心もとない細い道を抜け、雨に洗われた草花が光る道幅が広い農道に出た。



 屈折して俺の視界に無理やり入ってくる雨上がりの光。俺はそれを快く受け入れて、爽やかで眩しい、ラムネの瓶みたいな空の下を自転車で駆けていく。



 キラキラした視線の先に、陽炎みたいに揺れる人影が見えた。

道を進むにつれてその姿が鮮明になっていく。リュックサックを背負って両手に荷物を持っている。体つきからして同い年の17歳くらいの女の子だろうか。


 夏の日差しが背中を照りつける。練習用のチームTシャツの隙間に風が通り、シーブリーズのお陰でひんやりとする。


 繊細な意識の中、次の瞬間、信じられない現象が視界の奥で起きた。


「え」


 さっきまで真っすぐ続く農道の先に居たはずの、荷物まみれの人影が、


 落ちていったのだ。水溜まりの中に。


 雨上がりの草花を伝う雫の一滴が滴るように。

 使い終わった後の水道の蛇口から、ぽつりと水が垂れるように。


  重そうに荷物を背負った人影が、水溜まりの中に飲み込まれた。

否、自分から落ちていった。


自転車を漕ぐ足が無意識に早まり、呼吸が荒くなる中で俺はその「水溜まり」に辿り着いた。


 念のため少し離れた所に自転車を停め、リュックサックもラケットも自転車付近に置いた。


 一見するとなんの変哲もない水溜まり。道路の端、用水路付近に出来た少し大きめの水溜まり。

 かの有名な絵画。クロード モネの『睡蓮』のように、水面に反射した空が美しく映し出されている。


 農道の脇にあるただの水溜まりなのに、そこに映る解像度の高い反射したもう一つの世界は一瞬で俺を虜にした。


 上半身を引き、右足を伸ばして、ちょんちょんと水溜まりをつついてみる。


だが水溜まりにはアメンボが通ったあとのような波紋が広がっただけで、何も起こらない。


「う~ん?」


 俺は近くにあった適当な別の水溜まりも、ちょんちょんと足で触ってみた。

やはり何も起こらない。


 疲れてるのかな?さっきのは何かの見間違えか……。


 そう思って自転車に戻ろうとした瞬間、視界の隅に転がっている折り畳み傘を見つけた。


 さっきの少女が落としたものだろうか。分からないが、いずれにせよ誰かの落とし物であることに違いはない。


 雑草の中に転がっている今の状況よりかは、もっと分かりやすい場所に置いてあった方が持ち主にとって好都合だろうと思いそれを手に拾った。


俺の自転車が置いてあるところが人目に付きやすいだろう。


そう思いもう一度歩き出した。


 歩き出して、普通だと思った例の「水溜まり」の上を通った。


 その瞬間、俺の右足は水溜まりにぐいっと飲み込まれ、体重移動に失敗した身体は上半身から倒れていく。


!?


 左足も水溜まりに飲み込まれた。俺の身体は胸から下は水溜まりの中に沈んでいて、両腕をアスファルトにひっかけてようやく耐えている。


 湿った生暖かいアスファルトの感覚が伝わる。

 水溜まりに飲み込まれた身体の大半には、ぶよぶよした「何か」が絶え間なく当たっている。


 スライム? 否。 

 ジェル? 否。


 何かは分からないが柔らかくみずみずしい「何か」が水溜まりの下にあるのだ。


 何とか這い上がろうと足掻いてみるが、次の瞬間。水溜まりの中の何かが背面から俺の身体に強く当たり、俺は態勢を崩して両手をアスファルトから離してしまった。


「ッ!?」


 全身が水溜まりに飲み込まれた。反射的に目を瞑り、ぶよぶよした「何か」に揉まれながら落下していく。


 呼吸は出来る。痛くもない。ただ、確実に「落下」している。

身体は四方から柔らかく少し冷たい感触を捉えながら、ひたすらに落ちていく。


 何が起こったのか分からない脳の中に、ただ一つだけ確信を持てる感情。

恐怖。落下していく感覚から発せられる落下死への恐怖。


 恐怖に心臓を撫でられてた俺は、一か八か目を開ける。


 虹色の影がついた巨大な水泡のような大量の塊が、俺の周囲を取り囲んでいた。

ずっと続いているぶよぶよとした感触の正体はこれだ。


 吹き出されたシャボン玉の群れの中に放り込まれたかのようだ。



 全身の五感という五感が、生存本能の限りを果してこの状況を打破しようとする。


 何か掴めるものは無いか、この落下を止められるものはないか。


探すも視界にはあの水泡のようなぶよぶよしかない。


 思考を置いてけぼりにして必死に藻掻く俺。次の瞬間、さっきまで全身を押し合っていたぶよぶよの感覚が無くなった。

視界からもそれは無くなり、水溜まりの中の世界の全貌が眼前に広がった。


 倒壊した建造物に巻き付いた草木。人影もない。

文明が退廃して長い年月が経過し、人工物に対して植物が自然本来の姿を取り戻し始めたような世界。


 所々にはさっきまで俺を囲んでいたぶよぶよが、シャボン玉のように浮いている。


 ぶよぶよの群れを抜けた俺は、地面のはるか上空を急降下している。


冷たい空気が身体を裂いていく中、もう一度確実な落下が脳裏を過る。


 部活のチームTや下着がめくれ、風が素肌を撫でていく。


落下速度がさっきよりも早くなり、あっという間に地面が近づいてくる。


死ぬ!



 そう思って目を瞑った瞬間、俺の身体は水面に落ちた雫が描く水の王冠のように宙に跳ねた。


 背中をゼリーみたいな弾力を含んだゲル状の何かが一瞬包み込み、落下の勢いを吸収して俺の身体を宙にバウンドさせる。


 そして数回バウンドした後、俺はクッションとなった何かに横たわっっていた。


 視界をずらすと、空中で俺を飲み込んでいたぶよぶよと同じ、半透明のぶよぶよが合った。


「よっと」


 何処からか聞こえる若い女の子の声。


 空を映し出す視界に、一人の少女がビニール傘をさして空を歩いてやって来た。


「大丈夫そ?」


 眩しくて良く見えないが、一人の少女が顔面蒼白の俺を覗き込んでいる。


「ようこそ。形骸水面世界へ」



 少女はそういうと、俺に近づいて手を伸ばした。


 ビニール傘越しに、世界が揺らいで見える。


 俺は少女の手を取った。


――――――――――――――――――――――――


1話を読んで下さりありがとうございます。作者のこたろーです。

この作品は中学から現在(大学1年)まで自転車通学で雨の日が大嫌いな僕が

「少しだけでも雨の日が楽しみになれば」と思って書いています。

前作『レプリカント ドラゴンナイト』とは、ものすごく間接的にですが関係があります。


今後連載予定の作品や読み切りも全て何処かで繋がっています。

単品でももちろん楽しめますが、作品が繋がった時の快感を味わって頂きたいので前作も読んで頂けると幸いです。


2話以降はキャラクター紹介や世界観の解説を後書きでしようと思います。


次回もよろしくお願いします!




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る