第28話 死闘(後編)
――ギャリギャリギャリギャリ!
小石を多く含む地面をえぐり、巨大なコマが
その動きが止まる瞬間を見計らって斬撃を叩き込もうと画策するも、なかなかうまくタイミングが合わない。止まったのを見てから動くのでは遅いのだ。駆け付ける前に再びスピンが始まり、カウンターを食らうハメになった。左腕が軽く接触し、龍衣の袖と皮膚をえぐり取るように持っていく。
「どこで止まるのか完全にランダム。奴の気分次第ってところが厄介だ。結局、運に頼るしかないのかよ。やってらんねーな」
幾度も突進が繰り返され。その度に回避しながらチャンスを
猛烈な特攻が通り過ぎた後も、足を止めずに追いかける。すぐそこで回転が停止する可能性があるからだ。
そして高速で移り変わる景色の中、見えてはならないものが一瞬だけ視界の端に映った。
「桜華。てめえ何やってんだ。冗談抜きに死ぬぞ」
先行きの見えない戦闘に苛立っていたというのもある。しかし何よりも彼が苛立ったのは、公主様の犠牲を無駄にするその
しかし、
「陽ちゃんからの伝言! 倒す算段はあるのかって!」
「
桜華はコクリと頷いた。
「いいから答えて! 時間がないの!」
巨大亀の突進が、わずかに桜華を避けて
突風が吹き、きゃっと短い悲鳴。その突風に負けないように
「ある! だが、隙がなくて困ってる」
次の攻撃軌道が桜華から逸れるように計算して、横へ跳ぶ。回避成功。
何を思ったのか、桜華が天へ
「陽ちゃんに届いて。
掌から射出された光の線が夜空を切り裂いて天へ昇ってゆく。そして彼女はその拳を胸の前でぎゅっと握りしめ、
「次の攻撃が終わったら、動きが止まるからそこを叩いて!」
「止まるってなんで」
「いいから! 陽ちゃんを信じて!」
「なんだかよくわかんねーけど、わかった」
信じてくれと言われたら信じるしかない。
おそらく最後になるであろう巨大亀の高速スピンが再び眼前に迫っていた。
◇◇◇◇◇
白い光の帯が天へ続いている。
「
森を見下ろすことのできる高台。崖の上に立ち尽くす黒陽は、生気のない青白い顔に笑みを浮かべた。月光に照らされる幽鬼の如きその顔は、ぞっとするほど美しい。
倒す算段があるのなら
すでに千里眼を使用し、二人の場所は把握している。巨大亀に至ってはわざわざ使用するまでもなく、その所在は一目瞭然であった。
巨大亀が粉塵を巻き上げ、
フィナーレは近い。
「亀はどんくさいものだという認識は改めねばなるまい」
立っているのもやっとな黒陽であるが、その漆黒の瞳は絶対強者たらん鋭い光を失っていない。折れて使い物にならない右腕に見切りをつけ、比較的軽度な骨折で済んでいる左腕を前方へかざす。
「桜華のおかげでここまで来れた。そして桜華が危険を承知で動いてくれたから、適切に処理することができる。ありがとう」
巨大亀の攻撃を
その後もその猛進は止まらず、木々を押し倒して森に傷跡を作る。
そうして新たな道が創造された所で、ようやく巨大亀の動きが停止した。ひょこっと顔を出す。
「終わりだ。[闇の鎖の束縛]」
黒陽は最後の魔術を唱えた。
「この鎖は《気》を吸い取る。もう大技は出せな――ああっ」
普段は無視できる小さな魔術負荷が瀕死の体に重たくのしかかる。全身の骨格、各部位の中で無事な箇所は一つとしてない。腕を少し動かしただけで全身の骨が軋むように痛む。両足は骨折こそしていないものの、
そして拘束対象が強力であればあるほど、その出力は必要で、体への負担も増す。泣き叫びたくなるようなその負荷に、黒陽は唇をぎゅっと噛んで耐える。
「うっ、ぐ……くっ……はっ……あっ……んぁ」
巨大亀が力任せに暴れようとする。その度に雷に打たれたような激痛が走る。
「くはっ……うあああああ、ああああっ!」
だが、これしきの事で泣き言を言っているようでは
「大丈夫だ。私は強い。絶対にやれる」
◇◇◇◇◇
巨大亀に寄り添う黒い影。その黒に更なる深みが加わった。闇より深い陰影が円を描くように巨大亀を取り囲む。瞬間、何十ものおびただしい黒い鎖が陰影から勢いよく射出された。蛇のように波打つ黒い鎖は大きな甲羅を縛り拘束していく。先刻とは条件が違う。完全に静止したタイミングで魔術が発動した。高速回転による摩擦は存在しない。黒い鎖は千切れることなく見事にその役目を果たしている。
「翔くん!」
「わかってる!」
すでに《剣気》の錬成は完了している。足の裏にありったけの力を込めて、地面を踏みしめ蹴り上げる。ぐんと加速する。景色が一瞬で後方へと流れていく。
「ゲキャアアアアアアアアアアアァァ!」
甲羅に
「てめえはここで終わりだ。死ね」
全力疾走からの跳躍。十メートル強の大ジャンプ。
全力を蓄えた紫炎の《剣気》が
刹那、模擬刀の先端が魔核を捉えた。
「グギャアアアアアアアアアアアァァ!」
汚い断末魔を残して巨大亀の肉体は跡形もなく霧散する。
――
残留する《妖気》を洗い流すかのような強い風が吹いた。
後には何も残らなかった。禍々しく漂っていた《妖気》も何もかもが綺麗に消え去っている。
夜の静寂を乱す者はもうどこにもいない。
◇◇◇◇◇
「くっ……うぅ……」
もう立つ力さえ残されていない。
胸に左手を当てて荒い呼吸を整える。首だけで背後の暗闇を振り返り、キッと睨みを利かせる。月明りに薄っすら照らされる金髪は闇に同化しきれていない。
「狙い通りという訳か」
「そういうことですわ。遠慮なく頂いていきたいと思います」
最後まで黒陽が警戒を怠ることのなかったその人物は、満足そうに口角を吊り上げたのだった。
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