第24話 綻び
獣王の森は東西に広がっており、その南北を街道が通っている。
魔獣が森から出ることは滅多にないため、街道まで出れば安全が確保できる。アリスを安全に護送するためには、最短距離で街道を目指す必要があった。
息切れし、苦しそうに胸を押さえるアリスが心配になり、
「よし、一旦休憩しよう」
この調子では、一週間以内に戻るという
アリスに聞こえないように公主様へそっと耳打ちする。
「なかなか進めなくて不満かもしれないが今は我慢してくれよ」
「別にそれは構わない」
公主様は油断のない鋭い視線を桜華と談笑するアリスへ向けながら言った。全然、構わないという雰囲気ではない。先刻、桜華と三人の時は和やかなムードだったというのに、アリスが合流した途端、この状態に逆戻りしていた。
「そうは見えないぞ。
言いかけて口を
――抱きしめてキスで黙らせる。
桜華の妄言が頭を過った。
しかし、そのような
そこで妥協案として、公主様の頭を撫でてみることにした。が、
「なぜ頭を撫でている。私は犬ではないぞ」
などと怒られた。いやいや、さっきは喜んでただろ!? とツッコミたくなる気持ちを我慢して、
どう見ても機嫌がMAXに悪い。
「こっち向けよ」
公主様の両肩を掴んで振り向かせる。彼女は少し困惑気味に、
「何をする。私は今忙しい」
「嘘つけ。今は休憩中だ」
吸い込まれてしまいそうなほど深い漆黒の瞳へ、飛び込むつもりで正面から真っ直ぐ見据える。公主様はやっと
「何か勘違いをしていないか?」
「勘違い……?」
そもそも自分に嫉妬などしていないのだとしたら。
途端に自信がなくなり、顔面が発火する。
早合点の勇み足ほど恥ずかしいものはない。
その時、天から救いの手が差し伸べられた。
「この子モッフモフだね!」
「わぁ、可愛いですね」
桜華とアリスから歓声があがり、視線を向けると屈んだ彼女たちの目の前に、一匹の白いモフモフがいた。短い手足に長い耳。
撫でようと思ったのだろう。腕まくりした桜華が手を差し出したところで――
「え!?」
「きゃあああ!?」
突如として兎が巨大化した。体積が一瞬にして二倍以上に膨れ上がる。そして可愛らしくピスピス動いていた口は貪欲に開かれ、サメの歯みたいに鋭い無数の牙がその内側から覗く。一メートルを超える巨体に成長した兎は、ぴょんと跳躍――桜華へ襲い掛かった。
地面から突き出た黒い槍が兎の胸部を貫き絶命させる。
「びっくりしたぁ」
「まだだ。囲まれているぞ」
腰を抜かした桜華が涙目でこぼすと、公主様が鋭く警告を発した。
草陰から同種の兎が姿を現す。四方を囲まれており、その数は――
「十……二十……三十……ちっ、数えるのも面倒だな。三十以上だ、こいつは厄介だな。面倒なことになった」
舌打ちし、
倒すだけなら、さほど苦労はしないだろう。昨日も三十を超える魔獣に囲まれ無傷で勝利することができた。だが、今日はアリスという非戦闘員。護衛対象がいる。彼女を無傷でとなると少々厄介だ。
桜華が身を盾にしてアリスをその背に庇う。
「何やってんだ黒陽。陣形を組むぞ」
「いいや、昨日とは状況が違う。乱戦は避けたほうがいい」
「そりゃ避けられるならそれに越したことはないが。でもどうやって」
「本気で行かせてもらう」
モコモコの兎たちがじりじりと距離を詰めて来る。それは傍から見れば緊張感のないコミカルな絵面であるが、直面している本人たちからしたら紛れもない危機的状況である。
公主様はその身を差し出すように兎たちの前へ立った。
「服従するのなら見逃してやる。だが、あくまで敵対するというのなら――」
兎たちが一斉に巨大化。そして跳躍、襲い掛かってきた。
周囲の空間が白いモフモフ一色で染まる。
「愚かな選択だ。拘束せよ[黒い鎖の束縛]」
大きくなった兎たちの影を飲み込むように地面に丸い陰影が浮かび上がる。一匹につき一つの陰影。それは黒い穴のようにも見え、兎の巣のようでもあった。そして黒い穴からは無数の黒い鎖が射出された。三十を超える黒い穴から放たれる鎖の数は優に数百を超えている。蛇のようにのたうち不規則に動き回る鎖たちは、次々と兎を捕まえ、拘束していく。
一匹、また一匹と。地面へ引きずり込むように鎖が沈んでいき、けれど兎自体は地面へ入っていかない。結果、地面に縫い合わせるような形で拘束されていく。強制的に平伏される形となった兎たちは苦しそうに呻きを上げた。
と、呻いたのは兎だけではなかった。
「嘘だろ!? 魔術の複数同時起動……それも三十以上を同時に」
魔術に明るくない
魔術を起動するためには、まず脳の表層意識上に魔術式を構築する必要がある。そしてその際、魔術の起動情報を綿密に設定する必要があり、その設定は精密にして
それを三十以上も同時に起動するというのは、常識では考えられない作業量が必要であり、それは魔術を知識としてしか知らない
捕えたそれは殺人兎と呼ばれる魔獣である。
「二度は言わん。去れ」
冷徹な漆黒の瞳に見下ろされ、兎たちがビクッと身を震わせる。その内の一匹がしゅるしゅると音を立てて小さくなったのを皮切りに、兎たちは次から次へと巨大化を解除。小さくなっていく。その中にいたリーダー格と思しき角の生えた兎が「ぎゅううう!」と号令を発すと、兎たちは一匹、また一匹と森の中へ散っていった。
「魔獣に情けをかけるなんて意外と優しいんだな」
危機が去り、緊張の解けた
「おい、大丈夫か」
「ああ。少し無理をしすぎたようだ」
◇◇◇◇◇
背の高い木々。空を覆い尽くすように走る緑の枝葉。
森での日照時間は驚くほど短い。
夕暮れは早く、四日目の夜がやってきた。
四日目ともなると流石に慣れたもので、野営の準備がテキパキと進められていく。
とはいえ、昼間倒した
「ほら見てください」
「すごいな。こんなに採れたのか」
カゴには色々な種類のキノコが並んでいる。よくぞ短時間でこれほど採れたものである。
「わぁ! トロピカルテングタケもある」
「ええ。おいしいですよ」
嬉々とした表情を浮かべる桜華に対して、アリスは満面の笑みで答えた。
そこで
女子二人はそんな
「なんだ? 今、何か頭に引っ掛かったような」
「自分の直感を信じるべきだと思うか?」
背後から公主様の声がした。甘い
「動くな。動けば首を
「ちょっと待て」
とっさに腰を浮かしかけたところを鋭い静止の声が阻む。
「
「無茶苦茶言うな! それじゃあ完全に悪役のセリフじゃねえか!」
精一杯の怒声を込めて叫んだつもりだった。しかし、殺気に近しいその怒気を受けても、公主様は顔色一つ変えずに悠然と言い放つ。
「言い得て妙だな。そうだ。私はあなたの為なら悪役を演じることさえ
そして模擬刀の切っ先に群青色の《剣気》が宿ったのだった。
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