第15話 一路西へ

 上院本校舎三階。

 学園長室。


 所属する群れにおいて龍衣りゅういの豪華さは、自身がどのぐらい高い身分にいるのかを示す指標となっている。

 例えば、最も低い身分だと単色の布地に刺繍ししゅうなし、という龍衣を着ることになる。階級が一つあがると、単色の布地に刺繍が施される。更に上がると、布地が二色に増える。使われる布地の種類、そして刺繍の豪華さによって、その者のおおよその身分を知ることができる。


 中でも六妃ともなると、龍衣は豪華絢爛ごうかけんらんな様相と相成あいなる。三系統の色を基調とし、数十種類に及ぶ布地を組み合わせて仕上げられる。そして、金糸銀糸きんしぎんしの他に白金糸はくきんし蒼金糸そうきんし紅金糸こうきんしと呼ばれる最高級の糸を使って全体に刺繍が施され完成する。その豪華絢爛な龍衣は、妃の威光を象徴している。


 また、龍衣の左肩口には爵位を表す紋章とその中央に主人の名を刺繍する決まりとなっている。中央龍皇学園の生徒や教師の龍衣には、全て、翼を広げた威風堂々いふうどうどうたる龍の紋章とその中央に「黒煉こくれん」と名が刻まれている。これで龍皇・黒煉こくれんの群れ所属という意味になる。


 六妃が一人。序列第六位の盟妃めいひである青蘭せいらんは、徳の高い龍衣にしわが寄らぬよう注意して革張りのソファーへ腰を下ろすと、同行していた魅恩みおん教諭にも座るよう促した。


「それで魅恩みおん教諭。これはどういうことですか」


 開口一番問われ、魅恩みおん教諭はおもてを上げた。


「はい。我々龍人は魔獣との相性が良いので、経験の少ない一年生ひよっこには獣王の森が丁度良いかと考えられます」


 青蘭せいらんは苛立たしげに腕を組み、高級な布地を指でトントン叩く。


「それも問題ではありますが。違います。もう一つあるでしょう」


 魅恩みおん教諭は三角メガネを人差し指で持ち上げて「ああ」と呟いた。


「魔獣相手に一対一で遅れを取ることはまずありえません。集団で行動すれば、武器を持たなくとも対処は可能でしょう」


 トントンとリズムを刻む指の動きが早くなる。青蘭せいらんは少し声を荒げた。


「安全面の観点からその議論も必要でしょう。しかし、魅恩みおん教諭。その件はすでに下院会議で承認されています。今はもっと優先順位の高い問題があるでしょう」


 魅恩みおん教諭は訝しげに首をひねり「はぁ」と気のない返事をした。心当たりがないようである。そんな様子に焦れたのか、青蘭せいらんは袖口から一枚の紙を取り出した。叩きつけるように応接テーブルへ差し出す。


「これです」


 それは夏季特別実習のグループ分けを記した紙だった。


「何か問題がありましたか?」

「大アリです!」


 そして青蘭せいらんは紙面へ指を這わせ、ある特定のグループを指差す。


「これはどういうことですか」


 今度こそ魅恩みおん教諭は困惑の表情を浮かべた。鋭く引かれた真っ直ぐな眉が、今は八の字になっている。


「どうもこうも……公主様の希望ですので」

「これはただのグループではありません。将来、群れとして生活するための予行演習。言うなれば、仮想群れとでも呼びましょうか。それがなぜ。黒陽公主があの男子生徒と同じグループなのです」

「それはご本人の希望なのでわかりかねます」


 青蘭せいらんは高貴な身分に不釣り合いな大きなため息をついた。


魅恩みおん教諭。言ったはずですよ。黒陽公主とあの男子生徒を戦わせてはならないと。なぜか? こうなることを恐れていたからです」

「あの。お言葉ですが学園長。下院で行われた模擬戦では、公主様自身があの生徒の力量を見抜いたのです。止めることはできませんでした。それに決着はついていません。途中で止めましたから」


 だいたい下院への転属を許したのはあなたでしょう。魅恩みおん教諭の不服そうな目がそう言いたげに訴えている。

 背もたれに身を投げ出すように預け、青蘭せいらんは天井を見上げ吐息といきする。


「わかってるわ。あなたはよくやってくれた。でも、本当にどうにもできなかったのかしら」

「最善は尽くしたつもりです」

「私は、明日からの夏季特別実習が不安でなりません。万が一のことがあれば、将妃様しょうひさまにどう申し開きをすればいいのか」

「それは流石に大丈夫かと。学生身分で契りを結べば退学処分でありますから」


 もう一度、青蘭せいらんは大きなため息をついた。


「あの子はとにかく無防備なのですよ。好印象を持った相手には無意識の内に近づいてしまう癖まである。そしてあの美貌。何日も寝食を共にして放っておく男子がいると思いますか。もしいるなら、私はそれを男とは認めません」


「しかし、退学処分となれば爵位は与えられず、無印となります。一生底辺のまま生活を送ることを許容できるとは思えませんが」


「千年に一人の才女と呼ばれるあの子には、全てを投げ捨てるだけの価値がある。学園卒業と爵位授与を拒否するだけの価値が。なぜなら凡百ぼんぴゃくの女子を従えるより、あの子一人の方が役に立つからです」


 魅恩みおん教諭は閉口し、何も言えなかった。




 ◇◇◇◇◇


 長期連泊用の日用品。及び、替えの龍衣。その他、必要そうな雑貨類に保存食。野営のための道具をリュックサックに詰め込んで、夏季特別実習へ向けた遠征の準備は整った。


 時期的に毛布の類はいらないかと麒翔きしょうは思ったが、必要になるかもしれないと思い直して、一応、詰め込んでおいた。遠足の前日は興奮して眠れないなんて、アルガントで暮らしていた頃の友達が言っていたけれど、連日に渡って寝不足だったこともあり、準備を終える頃には眠気も限界で深い眠りにつくことができた。


 前日に受けた説明会では、盛館せいかんの言っていた通り、西方へ遠征するという説明を受けた。目的地は奇しくも、麒翔きしょうの生まれ育った人間の都市・アルガントからほど近い獣王じゅうおうの森と呼ばれる有名な森だった。


 この世界には、魔物と呼ばれる生物が存在する。動物と魔物の違いは《妖気》を放っているか否かという一点に尽きる。特に、魔物の中でも単純な物理攻撃を主軸とした攻撃を行うのが、獣系の魔物であり、これを龍人たちは魔獣と呼び区別する。なぜなら魔獣は単純な腕力勝負で倒すことができるため、龍人からすると相性が良く、カモという意味で名称を分けて区別するのである。


 獣王の森はその名の通り、獣系の魔物が覇権を取った森である。他の魔物はすでに駆逐されており、魔獣しか住んでいない。一年生の最初の実践訓練としては最適な場所なのだと説明会で魅恩みおん教諭が言っていた。


「しっかし、どうも気が乗らねえ。わざわざ移動に五日もかける必要あんのか?」


 ガタガタと揺れる帆馬車ほばしゃの荷台で麒翔きしょう愚痴ぐちをこぼした。大して広くもない荷台には十名の生徒が詰め込まれている。息が詰まりそうである。


 馬車と言っても、引いているのは馬ではない。装甲リザードと呼ばれる、硬い鎧のような鱗を全身につけたトカゲが二匹、車輪の付いた荷台を引っ張っている。足は馬ほど早くないが、耐久力があり一日中走り続けてもそのペースが落ちることはない。防御力も高く頑健がんけんなため、龍人は好んで装甲リザードを使役しえきする。


 同様の帆馬車が計二十台。下院の生徒百五十名と引率の教師二名を乗せて、一路西へ向かっている。それは隊列を組んだ軍隊の進軍のようである。


「まぁそういうな。実践が一番実力を伸ばせるんだ。特に成長期の俺たちにとっちゃ、重要な訓練なのは言うまでもない」


 狭い帆馬車内。大きな体を縮こまらせて盛館せいかん窮屈きゅうくつそうに言った。

 どう見ても、この中で一番割を食っているのは彼だった。


 帆馬車内部には両端に長い板が張られて椅子のようになっている。進行方向に対して左右に五名ずつ分かれて座り、中央のスペースには各々の荷物が置かれている。ガタンと荷台が揺れるたびにお尻が痛む。乗り心地はあまり良くない。


 麒翔きしょうの右隣り。分厚い本を読んでいた公主様が顔を上げた。表紙には「属性因子継承論」とある。彼女は小首を傾げ、表情の乏しい顔を斜めにした。


「だが、わざわざ縄張りの外に出るというのは妙と言えば妙だな。特別な理由がない限り、普通は縄張りから出ないものだ」


 麒翔きしょうの左隣。桜華おうかが能天気に口を開く。


龍聖りゅうせい羅呉らくれ様の縄張りなんだよね」


 龍聖りゅうせい羅呉らくれ。それは龍人族の国の西端に領土を構える貴族の名前。彼の治める土地は、人間の都市・アルガントと領土を接している。そしてアルガントは麒翔きしょうの生まれ故郷でもある。


「ラクレの街。特産品を求めて商人たちがやって来るんで有名だな」


 アルガントを経由して商人たちはラクレへ向かう。

 その噂を聞きかじっているので、知識として頭に入ってはいた。

 桜華がぐいっと腕を引っ張ってくる。


「ねえ、ラクレの特産品ってなんなの?」


 はて? 何だっただろうか。麒翔きしょうは首を捻った。

 不甲斐ない麒翔きしょうに代わって答えてくれたのは、才色兼備な公主様だった。


絹織物きぬおりもの青白磁せいはくじの陶器だな。もっとも絹織物は東方の都市ならどこででも生産されているから、ラクレでしか手に入らない特産品という意味では、青白磁の陶器ということになるか」


 美しすぎる公主様の横顔をチラリと盗み見る。

 あれから、公主様は群れに入りたいとは言わなくなった。というか、群れについて言及すること自体なくなった。


 どのような心境の変化があったのかはわからない。

 ただ一つ確信していることがある。説得は成功していない。なぜなら麒翔きしょうは一番肝心な部分。なぜ釣り合っていないのか、その根拠を明示することができなかったから。半龍人であること。適性属性がないこと。この二つをカミングアウトするには、心の準備が足りていなかったのだ。


 ただ公主様は出発前に謎の宣言をした。


「私は不器用な女だ。だから行動で示すことにする」


 何の話かわからなかったので麒翔きしょうは「お、おう」としか返せなかった。


 帆馬車内部には、麒翔きしょう、公主様、桜華、盛館せいかん、そして盛館に付き従う女子生徒が六名。計十名が搭乗している。桜華曰く、この組み合わせは、事前に学園へ申請・登録されたグループ毎に振り分けられたものらしい。ちなみに申請は桜華が勝手に行った。


「両手に花とはやるじゃねえか。色男」


 正面に座る盛館せいかんがニヤけた顔でからかってくる。


「六人もはべらせといてよく言うぜ」


 麒翔きしょうが軽口を返すと、がっはっはと豪快な笑いが返ってくる。


「右手に公主様。左手に学年五位の優等生。不満だというなら交換するか?」

「ほんとあんたは……自分を慕う女の子たちの前でよく言えるな」

「いい女だってのは事実だからな。こいつらだって気にしちゃいないぞ。なぁ?」


 女子生徒たちは、当たり前だと言わんばかりに頷いてみせる。

 その異様な光景に麒翔きしょうは違和感しか感じない。


 お互い利用する関係。盛館せいかんは以前にそう言っていた。同じような割り切り方を女子たちの方もしているのだろうか。

 それはそれで生きて行くためには必要なスキルなのかもしれない。けれど、やっぱりそれは寂しいような気がしてしまう。


「あんたたちの問題だ。俺が口を挟むべきじゃない。だけど俺は、あんたと同じにはならない」


 野太い声が馬車を震わせるように笑い声をあげる。


「ああ、構わんぞ。群れごとに方針が違うのは当たり前だからな」


 どうにもこの男。一筋縄ではいかないようである。

 だが、嫌いではない。彼の言動は明瞭めいりょうで清々しいまでに真っ直ぐだ。

 正直、そこまではっきりと断言し、我が道を進める姿を羨ましくさえ思う。もしかするとそれは、龍人としての理想形なのかもしれない。


「さすが下院の首席ってとこか」

「あん? どうした急に? 熱でもあるのか?」


 思いっきり気持ち悪そうに顔をしかめられた。龍衣の袖から覗く野太い腕には鳥肌まで立っている。失礼な奴め。


 チラリと右隣を見ると、公主様が再び読書に没頭ぼっとうしていた。


「こんな劣悪な環境に置かれても勉強とは……これが上院の首席か」


 辞書みたいに分厚い本を開いたまま、公主様がこちらへ視線を向ける。


「少し気になることがあってな。丁度いい機会なので読破することにした」


 答えて、すぐに視線を落として続きを読み始める。


「あー、わかった。翔くん。陽ちゃんが構ってくれなくて寂しいんでしょー!」

「ちげーよ!」

「む? そうなのか?」

「違うって言ってんだろ!」

「あーこれは照れちゃってますねー」


 桜華がツンツンと左のほっぺを突いてくる。


「いい度胸だ。桜華。表出ろ」

「出れる訳ないでしょ……って、暴れないでよ。狭いんだから」


 縮こまるような前傾姿勢、両腕を組んだ盛館せいかんが愉快そうに揶揄やゆする。


「これが噂の夫婦漫才か。本当に仲がいいな」


 桜華の頭をぐりぐりと押し込むようにプレスする。


「誰と誰が夫婦だ。これが夫婦に見えるのか? ご主人様と犬の関係だろ」

「そうだよ。わたしは犬。だからこうするの」


 ガブリという音が聞こえた気がした。左腕に激痛が走る。愛犬を愛でていたら噛みつかれた。甘噛みではない。大蛇だいじゃうろこを噛み砕く咬筋力こうきんりょくで深く犬歯が突き刺さっている。


いてぇ!? ちょっと待て桜華。悪かった。俺が悪かったから一回タイム」


 子供の喧嘩の様相ようそうていし始めた惨状に、盛館せいかんは呆れ顔で嘆息する。

 読書どころではなくなった公主様が薄く笑みを浮かべる。

 盛館せいかんガールズたちは馬車の揺れが大きくなったことに迷惑そうだ。


 一行は一路西へ。

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