アングラゲーマーズ

@99634

第1話 神のごとき神崎①

 ATMから吐き出された通帳を見つめる。

 預金残高は心許なく、年内には底を突くだろう。だが、神崎省吾かんざきしょうごに収入のあてはない。

 このままではホームレスになる。だからといって、今の自分に何が出来るというのか。物心ついた時から、格闘ゲームに明け暮れた毎日を過ごしてきた男に、担える仕事などない。今年で三十歳にもなって、コンビニの接客一つ満足にこなせない自分がいる。

 当面の食費として五千円だけ下ろし、銀行を後にする。平日の金曜日、同世代のアラサーは働いているか、もしくは子育てに追われている。プラプラと歩いているのは夏休み中の学生と、神崎くらいなものだ。

「あれ、神崎省吾じゃね?」

 名前を呼ばれた神崎は、横目でその方角を見た。男子中学生二人がゲーセンの前で立っている。

「ホントだ、永久追放された神崎だよ」

 あの事件から三年経過しているというのに、まだゲーマーの間ではしつこく残っている。

「スゲエ強かったのに、不正していたなんてショックだよな」

 それは濡れ衣だ。そう叫んでも誰も信じてくれないことは、三年前の事件当時に嫌というほど思い知らされた。世論は一度疑ってしまうと、誰も真実を求めようとはせず、ただ集団で攻撃してくる。

 やってもいないことの証明は難しい。俗に『悪魔の証明』と言われるだけあって、神崎は自身の潔白を証明できず、eスポーツ業界から追放された。

「でもよ、神崎なら勝てるんじゃね」

「例の『勝ったら十万ドル』ってヤツか」

 神崎は前を向いたまま歩いていたが、聞き耳だけは中学生に向けていた。

「現役時代は『神のごとき神崎』と世界中で注目されていたプレイヤーだぜ。卑怯な真似なんてしなくたって元々強いんだし、やれんじゃね」

「勝ったらすげえよ。トップクラスのプロゲーマーが、ことごとく負けているんだから」

 どうやら腕に覚えがある誰かが、自分を倒せば十万ドルという賞金ゲームをやっているようだ。神崎は自宅に戻ると、さっそくゲーミングPCを立ち上げた。

「格闘ゲーム 十万ドル」で検索したところ、噂のサイトはすぐに見つかった。指定されているゲームは、神崎が最も得意としている3D格闘ゲーム『リアル』だ。キックボクシングを忠実に再現しているそれは、従来のライフゲージを減らしていくタイプとは異なり、ラウンドごとのポイント判定、もしくはKOで決まる。劣勢であっても、一発で逆転可能というスリリングなゲーム構成がウケて、人気を博している。

 勝負は最も短い3分3ラウンド。エクストラ・ラウンドなし。ドローなら賞金は無しという条件だから、挑戦者は勝つしかない。

 このゲームは最初にプレイヤーのスキルを設定できる。「オーソドックス」か「サウスポー」といった構えだけでなく、「スピード」「パワー」「打たれ強さ」「スタミナ」といったバロメーターを指定できる。

神崎は情報のない相手と戦う時は、必ず「打たれ強さ」重視のセッティングにする。初めて見る相手の動きに戸惑っても、KO負けさえしなければ終盤で逆転することは可能だ。

 相手のプレイヤーネームは『ヤマト』。その名前に覚えはないが、恐らく日本人だろうと見当をつけた。有名プレイヤーが謎の人物に成りすましているのか、それとも最近になって力をつけてきた次世代の若手プレイヤーか。どうであれ、神崎は愛用のアケコンを膝の上に置き、ネット対戦を申し込んだ。

 プロゲーマーを次々となぎ倒していく謎の強敵。神崎は無表情のまま首を傾けて「コキッコキッ」と鳴らし、その時を待つ。

 双方ともオーソドックスタイルを選び、第1ラウンドか開始された。神崎はガードを固めて相手の動きを見る。ヤマトも同じようにガードを固め、動こうとしない。

 このままにらめっこの状態を続けていては、引き分けで終わる。挑戦者にとってドローは敗北も同じ。

 神崎は様子見のジャブを繰り出した。ヤマトはそれを半歩下がって避けたかと思えば、打ち終わりを狙ってジャブを返してくる。神崎はそれをガードしたが、すぐに間合いを詰められ、上下に打ち分けられた高速コンビネーションを浴びせられる。スティックを巧みに操り、ガードを試みるが、顔面と腹にそれぞれ一発ずつパンチを浴びた。

「スピード重視型か」

 相手が速さにバイアスをかけたセッティングをしているのなら、強烈な『ビッグライトハンド』一発でも当てれば倒せる。しかし、それ自体が容易ではない。神崎は巧みなコントローラー裁きで攻撃を仕掛けるが、どれも空を切る。

ワンテンポ微妙にズラしてくる老獪さ。攻撃を寸前でヒラヒラとかわされる神崎は、まるで暖簾を殴っているかのように手ごたえがない。

一方、ヤマトのシャープなジャブが時折神崎の顔面を捉える。ダメージはないが、印象が悪い。打っては離れ、離れては打ってくるヤマトのファイトスタイルに、掴みどころはない。

 そのまま良いところなく第1ラウンドが終了した。「今のラウンド、ポイントを取られたな」と神崎は独りごちる。次のラウンドは取らないと厳しくなる。神崎はインターバルの間に頭を働かせた。

 第2ラウンド開始直後、神崎は積極的に前に出た。ジャブを受けても構わず突進して距離を詰め、ガードの上から強引にパンチでワンツーを放つと、その流れでローキックを素早く繰り出す。ようやく一発目がヒットした。

 この『リアル』はその名の通り、ダメージを受ければそれに見合う分だけ、キャラクターの動きが鈍くなる。相手はスピード重視の設定、ローキックで足を削って動きを止めれば優位に進められる、それが神崎の狙いだった。

 相手のジャブを受けても前に出てローを放つ。まさに肉を切らせて骨を切るこの戦法は何発か上手く行った。だが、すぐに動きを読まれてキックをカットされていく。

「適応能力が高い――」

 神崎はこのプレイヤーが『人工知能』ではないかと思い始めた。高度なフェイントを仕掛けても、決まるのは最初の一発だけ。二発目は全く通じなくなる。

 戦いながら吸収していくその学習能力が高過ぎる。ラウンド後半になるにつれてヤマトの攻撃が的確に当たるだけになり、神崎のローキックはことごとくカットされた。打たれ強さ重視の神崎にダメージはないが、やはり印象はかなり悪い。

 そのまま第2ラウンドも終了した。完全に相手ペースでこのラウンドも取られたことを実感する。

 残り1ラウンドで2ポイント差。ダウンを奪えば返せるが、それでもドローだ。神崎が勝つには『二度のダウン』を奪うか、『KO勝利』しかない。

 最終ラウンド、神崎はゴングと同時に、積極的に前に出る。それを嘲笑うかのようにヤマトはリングを回りながらヒラヒラとかわし、打ち終わりを狙ってジャブや前蹴りを放ってくる。

 完全に相手のペースにハマってしまった神崎。ダウンを狙える『パーフェクト・ライトハンド』を一発当てようと、ガードの上から殴り続け、さらにローキックのコンビネーションを繰り返す。それをことごとくブロックされてから、打ち終わりをスピーディーなジャブで返される、この沼のような流れから抜け出せない。

 残り三十秒になった。現役時代は『神のごとき』と称された神崎でも、この謎に包まれたヤマトには勝てないのか。

 神崎は懲りずにガードの上からワンツーを放つ。続けて蹴りの体勢へ。パンチをブロックしたヤマトは「ワンパターンなコンビネーションは通じない」とばかりに、ローキックをカットしようと足を上げる。

 その時だった。神崎が右足で放ったケリは下から上へと軌道を伸ばした。それはフェイントのハイキックだった。神崎の動きを学習していたヤマトはその変則的な攻撃に対応できず、神崎のハイキックをまともに喰らった。

 ヤマトはそのままロープまで飛ばされ、ダウンした。テクニックはヤマトの方が上、まともに戦っては勝ち目がない。そこで学習能力が高いヤマトの強みを逆手に取り、繰り返しローキックを蹴ることで意識を下に向けさせた上で、ローと見せかけたハイキックを放つという起死回生の一発に賭けた。

 計算通りの一撃を入れた神崎。ダウンしたヤマトにカウントが入る。ゆっくりと起き上がったヤマトは、カウント8でファイティングポーズを取った。残り二十秒、ダウンを奪ったことでポイントはイーブンになった。だがもう一回、ダウンさせなければ引き分けで終わる。

 神崎はラッシュを掛けた。ヤマトはロープを背負ったまま、ガードを固めてゴングまで凌ぐ気だ。そうはさせるかと、神崎はガードの上から左右のフックを連打していく。このゲームは『リアル』だけに、強打であればガードの上からでもダメージを与えることが出来る。

 残り九秒。左右のフックで殴りつける神崎。ガードを固めるヤマト。ここでヤマトの膝がガクッと落ちた。倒すか、持ちこたえるか、ギリギリの攻防が続く。

 残り七秒。ヤマトは膝だけでなく、腰も落とした。ダウン寸前まで追い込んだ神崎。大振りのフックを「これでもか」と繰り出す。ヤマトはこの大振りを、ただガードして受け止めていたわけではない。その高い学習能力を用いて、すでに神崎が繰り出すフックのタイミングを吸収していた。

 残り五秒。ここでヤマトが最後の反撃に出る。神崎が繰り出す大ぶりの右フックに合わせて、自身の右フックをショートで繰り出した。スタミナが切れる最終ラウンドで、息が切れるほどラッシュを繰り返している神崎。カウンターが当たれば、いくら『打たれ強さ』重視のセッティングにしていても、ダウンは免れない。

 完璧なタイミングで繰り出されたヤマトのショートフックが、ガラ空きになっている神崎の顎を襲う。

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