#9 二層に向けて


「なんにせよ、決まりだな。次は二層に行くぞ。と、その前にだ」


 話の途中で立ち上がって部屋を出た老師が、一抱えもある何かを持ってきて、そのまま俺の目の前に置く。


「この間の双頭犬の皮革が仕上がったぞ。悪くない出来だ」


 おお、と思わず感嘆の声を漏らす。討伐の後、自分でこなせる行程だけこなして、残りは業者に頼んでいた双頭犬の皮の加工が終わったらしい。


「思っていたよりずっと早かったですね。皮なめしってもっと何ヵ月も掛かるものかと」

「いつの時代の話をしてんだ。そのためにわざわざ業者に依頼したんだろ? それよりこいつで何を仕立てるかだ。翻って今後のお前の戦闘スタイルをどうするか、という質問にもなる」


 今後の戦闘スタイル。少し悩む俺に、先輩が隣から助け船を出してくれる。


「田中さんは後衛だから、基本的に身体全体を覆う防具ってことになるね。老師みたいな軽戦士が着ける部分鎧は盾や自分の武器で捌きや受けをすることが前提だから」


 主に後衛が被弾を想定する攻撃とは、どうしてもカット出来ず前衛を抜けて来た飛び道具や、意識の外からの不意打ちである。

 そういった攻撃を最小限のダメージで耐え、支援や返しの攻撃を行うこと。それが後衛の役割だ。避けるよりも、反撃を重視してあえて攻撃を受ける選択を取ることも多い。


 極端な話、動きが鈍れば味方全体が崩壊する前衛と違って、後衛は反撃さえ出来るのであればいくら被弾しても構わないのである。パーティーの構成にもよるが、おかしなことに単純な防御力で言えば後衛の魔法使いが隊で最も高いというのも珍しい話ではない。


「となると、マントや外套の類ですかね。とはいえ、俺は剣も使うつもりで訓練してるので……」

「コートだろうな。重要部分にプレートを貼り付けたり、後付けで色々弄る前提で仕立ててもらうと良い。採寸と素材の納品のために迷宮の前に仕立て屋の工房に向かうとしよう」


 *


 通りに面した一階には革細工の小物を商うアクセサリーショップ。その脇、細く急な階段を上ったその縫製工房は雑居ビルの二階にある。

 見るからに古びた外観に立地は裏通りの外れ、だが手入れが行き届いただけでなく必要に応じて取り替えられたのであろう真新しい照明やインターホンがこの立地でも客が絶えないことを示している。


「どうも創作工房の円木です。どちらさまで?」


 インターホン越しの不愛想な女性の声。予約の客であることを告げると、しばらくして急に扉が開く。

 こちらよりいくらか年上くらいだろうか。多数のポケットに多数の工具を挿した革のエプロン。彼女は『革製品デザイナー』なのであるとあらかじめ念を押されている。


 老師曰く、頑固な職人そのものだが、頑固な職人扱いをするとへそを曲げるから気を付けろ。

 その仕上がりが職人の腕に大きく左右される革細工の加工技術は一朝一夕に身に付くものではなく、この町で皮革を扱えるのはダンジョン発見以前から革細工を行っている彼女だけだ。

 破綻寸前で細々とやっていた彼女の工房への客足はダンジョンの発見によって以前とは比較にならないほど増えたが、彼女自身はそれを快くは思っていないそうである。


「いらっしゃいソフィアちゃん! また背が伸びたんじゃない? いつぶり? 防具はきつくない? 成長期なんだからいつでも調整に来てって言ってるのに。あ、そうだ新作のバッグがあるんだけどソフィアちゃんにすごく似合うと思うのよお代は良いからちょっと使ってみない? あとねこの間――」

「用件は伝えた通り。こいつの装備の発注と採寸」


 早口を遮って老師が雑に指さしたこちらに工房主の目が向き、露骨にテンションの下がった声で奥へと通される。


「……………………可愛くない」


 老師の紹介と聞いて、可愛い女の子でも想像していたのだろう。聞き取れるか聞き取れないかの小声で囁かれた呟きには全面的に同意するが、それを客の前で口に出すのはどうかと思う。

 どんな人かという質問への、老師の面倒な奴だ、という返答の意味はこういう方向性だったか、と理解した。


「それで、コートを作ってほしいって?」


 各部の採寸を受けながら工房主の円木さんの質問に答えていく。どうやら話は聞いてくれるようだ。大枠でまとめて来たこちらの要望を伝えていく。


「それでコートのデザインは?」

「……ええと。あまり華美なものは、」

「わかってるわよ。客が命を懸けるものを自分の趣味でどうこうするつもりはないわ」


 仕事だからそこは信用して、とこちらに向き合う顔つきは真剣そのもので、少し悪いことを言ったなと言う気分になる。


「で、予算は?」

「それなんですけど今ちょっとですね……」


 こちらがおずおずと示した財布の中身はやはりかなり心許ないものだったようだ。色々切り詰めることになるわね、と色好くはない返事が返ってくる。

 まあ、手製のオーダーメイドでコートを一着という時点でそれなりの額になるのは分かりきったことだが、素材の双頭犬の革の余りの下取りを含めてもやはりかなり厳しい額ではある。


「そうねえ、いくら知り合いからの紹介とはいえ、いきなりお代は出世払いってのもちょっとね……」

「そこを何とか出来ないですかね」

「……そうね、あなた魔法使い系でしょう? その駆け出しとなると個人で迷宮に入って採取できる素材もね……他はどういう役回りを?」

「ええと、動画を撮ります」

「動画? 誰の?」

「ですから――ソフィアさんとか、」

「それって通報した方が良い奴?」


 心なしかきつくなった気がする首元のメジャーに焦りながら事情を説明する。合意の上というか、向こうからの申し出で撮影を行っていることを理解してもらう。


「OK、じゃあこっちもそれで手を打つわ」

「盗撮の片棒を担ぐのはちょっと……」

「馬鹿、そういうことじゃないわよ。あの子の鎧ね、あれ私の自信作なのよ。動画は結構見られてるんでしょ? こう、自然な感じで宣伝というか、装備紹介みたいな、ね?」

「それで、この装備はこちらのお店で製作していただきました、みたいなですか?」


 そう、まさにそれ、と小声で肯定する円木さんが思考をどこかに飛ばした様子で続ける。


「想像しなさいよ、おしゃれな小物とか可愛いバッグとか作りたくてこの世界に入った私の、やっと飯が食えるようになったと思ったら来る日も来る日もオッサンの革鎧作って補修しての日々の地獄っぷりを。あの子が店に来た時どれだけ私が嬉しかったかわかる?」


 まあ来た瞬間から欲しがるのが革鎧で、それも割とボロボロの奴に袖を通すもんだから脳が理解を拒んで思考が十秒くらい停止したけどね、と苦笑いする彼女の老師との出会いが容易く想像できて少し笑ってしまう。


「なんにせよほら、動画見てダンジョン潜りたい、っていうようなさあ、生きるか死ぬかのオッサンどもよりかはライトな客層の需要を取り込みたいのよ。鎧とか作って食ってくしかないならせめて実用一辺倒じゃなくてさ。配信映え? 的なのを気にしたおしゃれ装備とか。たまにはそういうのも作りたいのよ」


 なんというか、藁に縋って希望を語る彼女が件の動画を見たら卒倒するのではないか、という気はするがそこはまあ、俺が気にしても仕方がない。

 採寸が終わり俺が解放されるやいなや、老師はさっさと俺を連れて工房から逃げ出した。


「装備の調整は良かったんですか? うっとおしいのはわかりますけど」

「ありゃ調整を言い訳にこっちを玩具にしたいだけだ。本当に調整が必要ならとっ捕まえてでも調整してくる。あいつはあれで仕事に関しては信頼がおけるからな」


 それより気を抜くなよ、と老師がこちらの胸を叩く。

 そうだった、と俺は一度緩んだ肚を括りなおす。これから、初めての二層の探索に向かうのだ。


 通りをしばらく進む内に、迷宮の入り口を塞ぐ巨大なゲートが見え始めていた。

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