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狂フラフープ
第一部
#1 ようこそギルド『さくら荘』へ
これは俺、田中勤が一人前のダンジョン探索者になる物語だ。
*
会社を辞めてダンジョンで食っていくと決めたのが半月前。
おろしたての安全靴とどこにでもある工事現場用のヘルメット、中古の作業着、そしてトレジャーハンター入門と書かれた分厚い本。伝説に語り継がれる地下迷宮に潜るにはおよそ現代的すぎる装いに、武器だけは時代めいた両刃のブロードソード。
(よし、いよいよだ)
降り立った駅のホームで一人気合いを入れる周囲で、同じ様に動きやすそうな恰好をした人々が静かに改札を抜けて行く。どう見ても寂れた地方の駅舎に、ゆうに二桁を超える乗客が集まる理由は言うまでもない。この先で現代に残された最後の秘境にして最新のフロンティアが彼らを、そして俺を待ち構えているからだ。
ダンジョン。それが世界で初めて確認されたのは紀元前の中東でのことだった。
突如として現れ、多種多様なモンスターたちが闊歩する謎の空間。現世とは異なる理に支配されたその奇妙な洞窟は多くの富と名声、無数の冒険譚、そしてそれを超える死と悲劇を人類にもたらし、そしてある日忽然と姿を消した。
二度目が六世紀後半のアフリカ北岸で、三度目に確認できたのは十三世紀末の中央アジア。そのいずれにおいても多大な繁栄と熱狂をもたらしたダンジョンは、しかし1850年代のアメリカ西海岸での消失を最後に、以来二百年近くに渡って姿を見せることはなかった。
続く科学万能の時代において、無知蒙昧の時代が産んだおとぎ話のひとつとして無数の伝説とわずかなオーパーツだけが語り継ぐ存在となったダンジョンが、再び発見されたのが二十一世紀極東、日本は阿蘇カルデラ。その田舎町のさらに地下深くにできた、ダンジョンとは到底信じられない様なちっぽけな洞窟だった。
だがそこで発見されたちっぽけな魔物と、ささやかな財宝が世界を狂乱に陥れた。
日本政府の涙ぐましい秘匿と隠蔽、数々の情報操作は偉大なるインターネットの前に脆くも崩れ去り、ダンジョンはその発見からわずか二ヵ月後、世界中から集まった命知らずの手により踏破されることになる。
その名は『はじまりの迷宮』。地下七層、床面積でせいぜいが野球ドーム一つ分程度の小規模な迷宮はしかし、この広大な阿蘇山系のどこかに全てのダンジョンの通じる場所、マザーダンジョンが存在することを意味していた。
*
駅から徒歩十五分、ダンジョン支洞のひとつの程近くに冒険者ギルド『さくら荘』は存在する。
まさに情報通りの場所にあった情報通りの名前のその建物は、想像を遥かに絶して不安と生活感を感じさせる佇まいをしていた。
まず向かいの『コーポ山榛』と見分けが付かない。
築三十年は経っていそうな軽量鉄骨造の二階建てアパートには洗濯物と一緒に生柿とイカの開きが干してある。いやそれはコーポ山榛の話であって冒険者ギルドではないのだが、もちろんギルドにも洗濯物は干してある。明らかな粗品タオルややたらデカい無地のTシャツ、カラフルな女児もののニーハイソックス――、
少し意識が遠くなってきた。
スマホに保存した情報によるとギルドの受付は二階らしい。たしかにさくら荘二〇一号室の表札には『ギルド受付』とでかでか書いてある。
ほんとにこれで間違いないらしい。
何かの間違いなら良かったのに。
恐る恐るで外付けの鉄骨階段を上り、二十秒ほど躊躇って玄関チャイムを押したがどうにも音が鳴っている気がしない。たぶん壊れている。
意を決したノックと声掛けは虚しく響くばかりで、一応触ってみた玄関ノブが動いてしまったせいでもう後には引けなくなった。
「あの、すみませーぇ、ん……」
勝手にドアを開けたせいだ。
入ってすぐ横の小さな台所に居た女の子と目が合った。どうみても小中学生ぐらいの、他所の血の入ってそうなブロンドの髪と色の薄い目をした可愛らしい、
――服を脱ぎかけのスポーツブラの女の子。
「きゃあっ?!!」
自分の声だと思う。なぜなら女の子は顔色一つ変えず、脱いだ上着の防犯ブザーを鳴らしていたのだから。
慌ててドアを閉めて後退った拍子に、足を滑らせた。どうにか踏み止まろうとしたあがきの一歩が何もない地面を踏み抜いて、そのまま階段を後ろ向きに転げ落ちた。
いや、認識したのは今まさに転げ落ちることが確定した自分自身で、同時に引き延ばされた時間間隔の中で、それとは別の物も認識していた。
軽トラ。
通路の奥、二〇二号室の方向からなにか軽トラのようなものがぶっとんできた。
違う。車なわけがない。これほど巨大な質量に高速で突っ込まれる経験があまりに現実離れしすぎていて、頭が無理矢理卑近なものに対象を置き換えただけだ。
馬鹿でかい熊。
熊は突き進みながら地面近くまで深く沈みこむと、冗談のようにこちらへ伸びた。空中で喰らい付かれた瞬間にふわりと体が浮いて、浮いたと思えば天地の感覚が消し飛んで、気が付くと地面で背中と後頭部を軽く打ったと思う。
被りっ放しのヘルメットのおかげで意識ははっきりとしている。動転していた気が収まり、状況を理解してもう一度気が動転する。
俺の脇から肩口に向かって、歯を立てずに咥え込んでいる熊の顎。
ゆっくりと離れていく牙の代わりとでも言うように首元に軽く触れるように添えられた熊の爪と、わずかな唾液と生温い熊の呼気。
白熊だ。
ぐるりと振り向いて熊が何か吠える。
「ねえ
いや、熊の口から出ているのは混乱する頭でもはっきりと聞き取れるくらいの、明確な人の言葉だ。そして声を掛けられた方向から軽い足音が階段の鉄板を踏んで降りてくる。
「知らねぇよ、たぶんアレだ。覗きかなんかだ」
「ほんとにぃ?」
熊の視線がもう一度こちらを向いて、俺の顔を覗き込んでくる。
誤解だと申し開きたかったが、驚きと恐怖で舌が回らない。察した熊はちらりと自分の爪に視線を一瞬だけ向けると、こちらにだけ聞こえるくらいの小さな声でささやいた。
「あ、ごめんね。でも
階段を下りてきた声、熊の背後にかすかに見えるのはたぶんさっきの女の子で、他にもさくら荘のそこここで扉の開く音と騒ぎを誰何する声が聞こえた。終いにはお向いのコーポ山榛からも人が集まって来る。
最後に目の前、さくら荘一〇一号室からのんびり顔を出したエプロン姿の女の人が、地面に取り押さえられた俺の顔をのんびり見て、あまりにものんびり気の抜けた問い掛けをする。
「――あら。ひょっとして、お電話くれた田中さんかしらあ?」
「は、はひ……そうれす、たにゃかつとむです……」
*
「もう、やっぱり誤解じゃん。老師が受け付けなんかで着替えたりするから」
「うるっせえなあ、天下の往来で平然と着替える奴に言われたかねえよ」
「あ、あれは仕方ないじゃん。ぼくだって恥ずかしかったし、だってそもそも獣人の男と人間の女の子じゃ話が違うっていうか――」
こちらに加えて女の子と熊、エプロンの人の四人連れ立って階段を登り、再び受付のドアをくぐる。少し奥まった位置のテーブルに着席を促され、席について正直あまり脱ぎたくないヘルメットを脱ぐ。
「大家のヨミと申します」
向かいの席からぺこりと頭を下げるエプロンの人――ヨミさんに釣られて会釈を返す。ヨミさんの隣では、携帯していた包丁を台所に仕舞った女の子が席に付き、まだ何か納得しない様子でテーブルに頰杖をついて目の前のコーヒーカップに大量の砂糖を入れた。
「そこはギルマスって言わなきゃ駄目じゃない?」
椅子が足りないので床に腰掛けた熊獣人が横から口を出すと、ヨミさんはあらそうね、と手を叩いてもう一度ぺこりと頭を下げた。
「冒険者ギルド『さくら荘』のギルドマスター、ヨミと申します」
「あの、えっと……」
疑問点しかない。いや、ツッコミどころと言うべきか。
ギルドの説明は簡単だった。冒険者ギルドとはダンジョンの探索を目的とした冒険者たちの互助組織であり、国や民間の委託を受けてモンスター退治や調査、あるいは自主攻略を行う集団の名称だ。ヨミさんはこのさくら荘の大家兼ギルドマスターで、熊獣人はこのアパートに住んでいる冒険者、名前は下田。女の子の方は通いの冒険者で名前をソフィアというらしい。
「まあでも、零細のギルドなんて大体こんなもんだよ。自称ベンチャーみたいなとこだってカッコいいのはガワだけだから」
熊改め下田さんは手近な引き出しから取りだした鮭とばを口に咥えながらそう呟いた。どうやら獣人はコーヒーが駄目らしく、目の前のコップには麦茶が注がれている。
冒険者ギルドと言えど、日本国の法律下で定義された法人であるため、従業員20人以下の事業者は零細企業として扱われる。さくら荘は従業員はおろか、登録された冒険者の数さえ20人に及ばない零細の中の零細であるため、現実問題としてアパートの一室を事業所として使うのは当たり前である。以上がかいつまんだ説明である。
確かに冒険者は扱いとして個人事業主であり、ギルドと冒険者の関係が半従業員的な関係としても、その規模の会社が立派なオフィスを構えているとは考え難い。
「で、そういうお前は何が出来んだ? あァ?」
「え、あ、あの……」
そして返しにソフィアさんから飛んできた質問に、俺は思わず身体を固くする。
圧迫面接は駄目だよと下田さんが取りなすが、結局それは避けては通れない質問だ。
「て、低級魔術取扱者講習を修了してます。あとはダンジョン攻略のライセンスを取得しています。あと、その、冒険者の経験はないです」
習得魔術のレパートリー、魔力量、前職。聞かれると困る質問はいくらでもある。こちらの挙げた資格など、数日役所に通っただけの付け焼刃で、冒険はおろか荒事の経験もない。
講習のほうは県が実施しているもので、有資格者はダンジョン内で基本的な魔術行使を行えるようになるものだが、あくまでも魔術行使の資格であって魔術自体の習得とは別である。
一方ライセンスのほうは自治体ではなく国が運営するものだが、ダンジョンが存在したこともない首都圏でしか取れないような資格など現地ではないも同然だろう。
「よし!!! 採用!!!!」
内容より先にその声のデカさにビビった後で、思っていたのと違う反応にどうリアクションしていいか迷う。
「え、あ、あの、」
「魔法使えんだろ。じゃあ採用。ダンジョン行くぞ」
「え? いやあの、使えると言っても資格の話で、実際に使ったことはなくて、それに」
「ダンジョン外での魔術行使は違法なんだから普通はみんなそうでしょ? 冒険者カードは後から作ればそれでいいからね。ヨミさんにお願いしたら帰る頃には出来てるよ」
こちらの不安を余所に、冒険者二人の間で話はどんどん進んでいく。席を立った二人が、部屋中から冒険の装備をかき集め始める姿を見て、俺はようやく自分の立場を理解し始めた。
たしかにここに来たのはダンジョンに潜るためだが、今すぐダンジョンに放り込まれるとなると心の準備がまるで出来ていない。あわあわと意味もなく周囲を見渡して、部屋でただひとりのんびりコーヒーを啜るヨミさんと目が合った。
「あ、わたしからひとつ。お家賃は払えますか?」
*
尽きぬ財宝、強大な異能。見たこともない怪物との邂逅。想像さえ及ばないほどに偉大で神秘に満ちた冒険譚。そういうものがあるかどうかは別として。
何にせよ、そう。これは俺、田中勤が一人前のダンジョン探索者になる物語だ。
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