感想文置き場
残機弐号
封神演義(藤崎竜)、ヒストリエ、平家物語(山田尚子)
藤崎竜版の『封神演義』を読み終わった。ここ数年で読んだエンターテイメント作品としては、『ゴールデンカムイ』と肩を並べるくらい面白かった。
殷が終わり周王朝が誕生するまでの歴史上の流れを、その背景で動いている仙人たちの視点から描いたのがこの作品だ。新しい時代をつくるのはあくまで人間たちの役割であり、仙人たちはもっと抽象的なレベルで「運命」みたいなものと戦っている。
これに少しだけ似た雰囲気の作品として『ヒストリエ』を思い出した。主人公のエウメネスはあくまで書記官という立場で、有能ではあるけれど、歴史を動かす立場にはない。だからエウメネスは誰よりも状況を的確に把握しているのに、決して流れを変えることができない。
『封神演義』の場合は運命に翻弄されながらも最後には打ち勝つけれど、『ヒストリエ』の場合、運命はすでに決まっていて変えられない。そういう違いはあるにせよ、『封神演義』にもどこかに諦観みたいなものが流れている気がする。運命に抗おうとする熱血の展開がある一方で、「ま、なるようになるさ」という諦めもある。そこらへんの少年漫画らしからぬところが『封神演義』の大きな魅力だ。
こじつけるなら、『封神演義』のバッドエンド版が『ヒストリエ』なのだ、みたいな見方もできる気がする。といっても、『ヒストリエ』はぜんぜん続刊が出ないのだけど。
アニメ版の『平家物語』では、平家の運命が見えてしまう「びわ」という琵琶弾きの女の子がでてくる。びわにはただ未来が見えるだけで、平家の運命を変えることはできない。びわは自分の立場に疑問を持ちながら生き、最後には「平家のために祈る」ことを自分の使命として受け入れるようになる。琵琶法師として平家の運命を語るびわと、書記官としてマケドニアの運命を記述するエウメネスは、役割としては似ている。でも、エウメネスは「祈る」というのではなく、もう少し淡々と、研究者のような冷徹な視点で事実を記述しているように思える。その淡々としたところは、むしろ『封神演義』に似ていると思う。
とはいえ、『封神演義』はあくまでエンターテイメント作品だ。だから諦観がありながらも、運命は打ち勝たねばならないものとして描かれる。しかし、もし本当に打ち勝てるのだとしたら、それは運命ではないということになるだろう(人間には打ち勝てないものが運命なのだと、辞書にも書いている)。しかしそのあたりの面倒な議論に深入りしない明るさもまた、この作品の大きな魅力だ。
一番好きなキャラは申公豹かなあ。あとは太上老君。善悪を超越して達観しているようなキャラに憧れる。わたしは仙人になりたいのかもしれない。
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