05 安藤恭太 2

 それから一ヶ月が経ち、辺りの木がすっかり紅葉し、連日観光客が京都に押し寄せる季節がやって来た。京都の秋は短い。つい先日始まったばかりだと思っていたのに、もう冬用のコートを着なければ寒い時期になった。


「学、今年のNFはどうするん?」


 一日だけの短期バイトを終えた僕は学と近所の居酒屋で飲み始めていた。価格が安く、味もそこそこ美味しい焼き鳥屋だ。金なし大学生にはちょうど良いこの店は京大の近くにあるということもあり、店内は暇を持て余した京大生であふれている。

 普段は焼酎なんかを好んで飲む学が、今日はひたすらビールを飲んでいる。何かあったんだろうか。先ほどから頬が上気し、大丈夫かとハラハラさせられている。


「NF? 今さら行かないさ」


 NFというのはNovember Festivalの略で、京都大学の文化祭のことだ。毎年11月の下旬に四日間にわたって行われる伝統ある学生のお祭りらしい。ほとんどの学生は一、二回生の時にクラスやサークルのメンバーとお店を出店する。かくいう僕も、一回生の時にチヂミの店を出して青春っぽい雰囲気を味わった。


 しかしそんな文化祭も、三回生、四回生となれば出席しない人が多くなってくる。その四日間は授業もないため、あえてこの期間に旅行に行くという学生が多い。僕も二回生、三回生のNFには出席しなかった。なんてったって、一緒に行く人がいない。いや、学がいるのだけれど、そうじゃない。文化祭といえば恋人とちゃらちゃらお祭り気分を味わい、彼女に可愛らしいピアスなんかを買ってあげて、お腹いっぱい甘いものやご飯を食べる——そんな妄想が常に頭から離れない僕は、男だけの寂しいお祭りなんぞはなから参加したいと思えなかったのだ。

 だけど、今年は違う。

 僕には真奈という恋人がいる。心に思い描いた文化祭ライフを堂々と送れるじゃあないかっ!

 ……と最近気がついてからというもの、どこかフワフワした感覚に陥っている。おかげで今日の単発バイトでミスしかけた。野外コンサートイベントの案内スタッフをやったのだが、入場者の人数を数えていたところで妄想が止まらなくなった。代わりに人数カウントの手を止めてしまい、上の人に怒られる始末だ。

 とにもかくにも、僕はこの三年半で失われた青春を取り戻そうと、今年はありとあらゆるリア充イベントを堪能するつもりでいた。


「そうか〜学は行かへんのか。残念やなぁ」


「毎年のことなのに今回だけ残念がられるとは、心外だね」


「いや、いつの時代もリア充の自分の目には他人の生活の充実度なんて映らへんのよ」


 枝豆をボリボリむさぼる僕に、ジト目を向けてくる学。たぶん、逆の立場だったら僕は学に本気でキレかかっている。酔っ払いの勢いであたかも僕がモテ男のような発言をして、学はさぞ鬱陶しいと感じているだろう。


「本当はさ、わいも行きたかったんやけど」


 珍しく本音を漏らす学。おお、どうした? 学が文化祭というザ・青春イベントに興味を示すなんて珍しい。


「行ったらええやん。あ、申し訳ないけど僕は真奈と行くから別の人と——」


「それぐらい分かってるわい。だから、別の人を誘ったんだ」


 え、ええ!?

 それは初耳だ。なんでそんな重要なことを黙ってたんだ!


「ちなみに、誰を誘ったん?」


 学にだって僕以外にも友達ぐらいいるだろう。だから誰を誘っていたところで意外でも何でもないのだが。一応気になったので聞いておく。


「三輪つばき」


「……」


 ……うん。前言撤回。

 学が女の子を誘うなんて、天変地異の前触れとしか思えない。


「な、なんでまた。てか、え? 二人はそんなに仲良かったん?」


 一ヶ月前、学の家でタコパをした日に三輪つばきと西條奏に初めて出会った。その日以降、僕はとくに二人と接点はなく、たまに構内で見かけるぐらいだ。それも一、二回程度しかない。


「時々連絡を取っていたのさ。それでふと思いついて誘ってみたんだが」


「ふと思いついて」女の子を誘える学は一体何者なんだ……。というか彼は恋人はつくらない主義ではなかったのか。彼が愛しているのは(彼曰く)哲学の先人たちの言葉と思いだけだと思っていた。

 それにしても、三輪つばきか。ハキハキとしていて京大によくいるタイプの女の子だと思った。学の趣味ってああいう子なんだ。僕は、学が彼女のような強い女の子の尻に敷かれている様を想像してみた。ククク、口が達者な学にはそれぐらいの女の子がちょうど良いかもしれない。少なくとも、真奈みたいなふわふわ系女子だと彼をコントロールできまい。


「なんで断られたん?」


「彼氏と回るから。以上」


「……うぬ」


 学はもうほとんど残っていないビールのジョッキを口に近づけた。そうか、今日いつもよりビールをたくさん飲んで酔っているのはこれのせいか。

 気になる女の子に彼氏がいる——この状況はもうどうしようもない。手を出せば確実に悪者になり、噂が広まりでもすれば今後のリア充ライフへの道が閉ざされてしまうだろう。大学というのは意外と狭い世界である。自分の存在など誰も気に留めていないと思っていても、知らないところで噂されていることもある。自慢じゃないが、経済学部四回生の中じゃ、僕は「モテないけどどうしても恋人が欲しいイカ京」としてみんなの心の中にいる。


「それにしても、学が女の子に興味があるなんて、付き合い四年目にして初めて知ったわ」


「自惚れてたんだ」


「はい?」


「『愛されたいという欲求は、自惚れの最たるものである』——ニーチェの言葉だ」


「ほう。学くんも『愛されたい』と願ったわけだ」


「それが間違いだということにも気づかずになぁ」


「間違いってことはあらへんやろ」


「間違ってたんだよ。彼氏のいる女に声をかけたのが間違い」


「知らへんかったならしゃーない」


「……」


 学の顔を見ると、耳まで真っ赤だ。おいおい、今日の学どうしたんだ。普段はいけしゃあしゃあと僕に恋愛成就のアドバイスをしている彼も、自分のことになるとこれほど弱々しく映るのものか……。

 僕は無言でテーブルに身を乗り出し、彼の肩をポンと叩いた。


「残念やったな。今日のところは僕の奢りで——と言いたいところやけど、学、今日飲み過ぎや。さすがに奢りはなしで」


「君って人は、生真面目すぎるんだよ。女の子にモテないだろ?」


「そやな。でも彼女はおるで」


 傷口に塩を塗りたくられた学は口を三角にとんがらせて僕のことを睨みつけていた。

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