02 西條奏 1


 うわあ……この人、もしかしてヤバイ人? 


 さっきから口元にミートソースつけまくりだし、スプーンとフォークがぶつかってカチャカチャうるさいし、最近見たホラー映画の話なんか一時間もしてるっ。私、ホラー苦手なんだけど……いや、それより良い加減こっちの相槌が「うん」と「ええ」しかないのに気づいてよ〜。


「あのさ、ちょっと思ったんだけど」


「な、なんでしょう⁉︎」


西條さいじょうさんって、もしかして超真面目な子?」


「……」


 耳にピアス、首にシルバーのネックレスをつけた茶髪のその男の子は、私の顔にぐっと自分の顔を近づけてニッと片方の唇を上げて笑った。

 ち、近い。初対面の人との距離感バグってる? こっちは半径50センチ以内近づかれるのが嫌なんだけど……。パーソナルスペースって言葉知らないのかなぁ。


「さっきからきちんとお箸置いてよく噛んでるし、自分のハンカチでソースが飛ばないように首元隠してるし、つまらない話にも相槌打ってくれてるし」


 つまらない話っていう自覚があったんかい。

 ……いや、問題はそこではない。

 いちいち私のこと細かく観察してる割にはこちらのペースに合わせようとはしてくれないのよね……。そこまで私に魅力がないってこと?


「すみません。日頃の癖で」


「いやいや、謝らなくて良いでしょ。てかそういうところが真面目だよね」


「はあ」


 今日初めて会ったばかりの人に「そういうところが」なんて言われるのは心外だ。そもそも、他人の性格を勝手に決めつけてくる時点でどうなのよ。

 しかし目の前の男はそんな複雑な私の心境も知らずに、大口を開けてボロネーゼを口に放り込んだ。やっぱり口元にソースがつきまくっている。


「西條さん、どこ大の人だっけ?」


「国公立の大学ですが……」


「へぇ、てことは府立大学とか?」


「……いえ、京都大学です」


「ええ⁉︎」


 彼がフォークに巻きつけていたパスタがほろほろとほどけていく。そんなに驚かなくてもいいのに。

 初対面の人に対して自分が通っている大学について触れると大体彼のような反応をされる。いちいち大袈裟にびっくりされるから、できるだけ大学名なんて言いたくない。でも、嘘をついたりわざわざ隠したりするのもかえって不自然だから、聞かれれば素直に答えるようにはしている。

 しかし何回経験しても慣れない反応よね……。私は心の中でため息をついて水を口に含んだ。


「そっかー、そうなんだー……。賢いんだね」


「そんなことないです。たまたま入試の日に運が良かったっていうか」


「いやいや、運じゃないでしょ。ほえ〜俺の界隈には京大生なんていないからびっくりしちゃったよ。しかも女の子で」


「それはどうもありがとう」


 ああ、やっぱり。

 大学名を聞いてから彼が若干引き気味になったのが分かる。その証拠に、先ほどまでテーブルに両肘をついて前のめりに顔を寄せていた彼が、今や両手をきちんと膝の上に乗せて上体を逸らしている。


 これまで幾度となく同じような場面に出くわして来た。美容室のお兄さん、街中でナンパしてくる男性、ボランティア活動で一緒になった目上の人たち。数え切れないほど同じ質問をされ、同じ反応を返される。相手方に悪気は一切ないのだろうけれど、「すごい」と言われてから一線を引かれるこの感じがたまらなく嫌だった。

 まあでも、私もマッチングアプリで出会った目の前の彼のことを決して「イイ」とは思わなかったんだし、おあいこだわ。


「それにしてもさ、なんで西條さんみたいな子がマッチングアプリなんて使ってるの?」


「どういう意味?」


「だって、京大生でしょ。男なら大学にもいるだろうし。それに、こういうの興味ないと思ってた」


 ん、ん、ん?

 今何か、聞き捨てならない言葉を聞いたような。

「男なら大学にいる」——これは確かに間違っていない。実際、京大は男性七割、女性三割ぐらいだと聞いている。学部によってはもっと偏っているところもあるくらいだ。

 男子が多いならすぐに恋人ができるだろう——この見解はかなり危うい。なぜなら、京大生男子はインカレッジサークル(他大学の人も所属できるサークル)にて女子大の女の子を捕まえる傾向にある。キラキラとした目で慕ってくれる女子大の子は、京大男子にとっては「ちょうど良く」、庇護欲がくすぐられるのだろう。

 もちろん、京大生同士でカップルになる例だってある。でも、私は4年間で一度もその一例にはなれていない。それもこれも、初対面の男性の前では彼の言う通りつい「真面目な」部分ばかり出してしまうせいだろう。きっと、つまらない女だと思われるのだ。


 ふう、と一息ついてから私は再び水を飲んだ。目の前に喋るべき相手がいるのに、脳内でこうも思考を巡らせてしまう。彼の方はとっくにボロネーゼを食べ終わり、未練がましくお皿についたミートソースをスプーンですくおうとしていた。


 それにしても。

 さきほど彼が放った言葉が頭から離れない。

「こういうの興味ないと思ってた」。「こういうの」とは恋愛のことなのか、はたまたマッチングアプリのことなのか。多分両方とも含まれているんだろう。

 なぜ、頭の良し悪しで恋愛への興味の有無が変わってしまうと思ったのか。京大女子はみな生涯独身を貫きます! 女一人で生きていきます! と言うとでも? そこまでの思考を彼が持ち合わせていないのは明らかだけど、偏見で軽い発言をするのが気に食わない……。


「……興味ぐらいありますよ」


「そう。わざわざアプリ使うくらいだもんね。興味なかったら使わないよね」


「……」


 そうです、その通りです! だからこれ以上無意味な質問はやめてください!

 と、強く言いたいところだけど、残念ながら私にはそこまでの勇気がない。せいぜい彼の目を睨みつけて——もとい、見つめて こっくりと肯くことしかできなかった。


 ああ、メセージでやりとりしてる時はまともな人だと思ったんだけどなぁ。

 これまでマッチングした人の中には、明らかにサクラだったり身体の関係を求めてきたりする人がいた。その度に吐きそうになりながら、それでも恋人が欲しい私はアプリを使い続けてきた。

 身の回りでは男友達や恋仲になりそうな男性がいない。出会いを求めて積極的に何かの団体に所属しに行くようなバイタリティもないけれど、恋人は欲しい。


 これでも、私にだって恋人がいた時期はあった。高校3年生から大学1年生の秋まで、同級生とお付き合いしていたのだ。でも、お互い他府県の大学に進学したことで遠距離恋愛になり、連絡頻度や会う回数が明らかに減っていった。それでも恋人のことを好きだった私は、めげずにLINEで何度もメッセージを送ったんだけれど。それが重荷になったのか、ある日ぱったりと返信がこなくなり、挙げ句の果てに彼が浮気をしていることが発覚。泣きながらお別れの電話をした。


 思い返せばよくある若者の恋愛って感じだ。当事者からすればこの世の終わり、もう二度と恋愛なんかしないと、これまたありふれた決意をしたはずなのに、少し時間が経てば新しい恋がしたいと必死になっていた。


 どうしたら男の子と出会いがあるのか——と思案した結果、今のご時世、マッチングアプリなるものがあるということを知った。最初はやはりアプリを使うことに抵抗があった。どこの誰とも知らない人と「初めまして」で会うのは怖いし、真面目に恋愛したいと思っている男性がどれくらいいるのか正直疑問だった。でも、何かしら行動を起こさなければ恋人なんてできるはずがない。このまま一人暮らしの自宅と大学を行ったり来たりする生活でいいのか? と自分を問い詰めた結果、ものは試しと思ってアプリを使うことに決めたのだ。


 マッチングアプリと一言に言っても、種類も豊富でどのアプリを使えば良いのか正直分からなかった。調べてみると、マッチングアプリにも真面目度がいろいろあるらしく、遊び目的、恋愛目的、結婚目的、とジャンルが分かれているらしかった。


 本気で恋愛をしたかった私は、アプリのレビューを見て、そこそこ真面目な恋愛目的のマッチングアプリをダウンロードした。女性も男性も無料で登録できるらしいが、あまりに不真面目な人とマッチングしてしまった際には「通報」システムもある。それなら大丈夫か、と恐る恐るではあるがプロフィールを書き込んで登録をした。


【初めまして。京都市内の大学四回生です。恋人が欲しくて登録しました。趣味は読書、映画、一人カラオケです。よろしくお願いします】

 

 超無難な挨拶文と、そこそこ上手く撮れた顔写真を載せて少し待つと、ピコンという通知音と共に複数の男性が私を「ライク」してくれたことが分かった。

 この「ライク」というのがアプリの最大の特徴らしい。次々に現れる異性のプロフィールに対して、気に入ったら「ライク」のボタンを押す。気に入らなければフリックして次の人のプロフィールを表示させることができる。一日の「ライク」の上限は20件と決まっているので、適当に「ライク」を押しまくることはできない。「ライク」をもらった側は、「ライク」をくれた人のプロフィールを見て、良いと思えば「ライク」を返す。そうして初めて「マッチング」となり、個別でメッセージができるようになるという仕組みだ。


 初めてマッチングアプリを使った私は、プロフィールを登録してすぐに「ライク」が届いたことに驚きを隠せなかった。しかも一件だけではない。何人もの男性たちが私に興味を持ってくれていた。人生でこんなに一度に多くの男性から関心を寄せられることなどなかったので、頭がついていかない。こんな自分に「ライク」を押してくれた人なのでできるだけ全員に応えたいところだが、いざ相手のプロフィールを見ると、この人だ! という人はあまりいなかった。


 チャラそう、趣味が壊滅的に合わない、筋肉アピールがいけすかない、など不満をあげればキリがなかった。

 そんな中、かろうじてこの人は合うかも、と思ったのが今目の前に座っている「リュウ」という男の子だった。私はアプリでも本名を名乗っているが、彼は下の名前だけで登録していたから、今もリュウという名前しか知らない。

 彼のプロフィールはとてもシンプルで、「趣味はサッカー。気軽によろしく」——たったこれだけだった。そのあまりに簡素な文面に潔さを感じ、この人なら私みたいな真面目腐った人間でも受け入れてくれるかもしれないと淡い期待を抱いたのだ。

 だけど、どうやら考えが甘かったようだ。


「食後のコーヒーをお持ちしました」


 じっとして会話のない私たちの間を、店員さんが無理やり割り込むようにしてコーヒーを持って来てくれた。心なしか、眉間に力が入っていたことに気づく。どうやら無意識のうちに彼を睨んでいたみたいだ。

 当の彼は私の視線に気づいていないのか、お冷やグラスを何度も口に運んでいた。もう氷しか残っていないのに。

 私は湯気の立つコーヒーをじっと見つめた。そこに映る自分の顔は怖い顔をしている。今日、彼と会う前には鏡の前で髪の毛を巻いたり、いつもよりも鮮やかなリップをしたりしておめかしをしていたのに。眉間にシワの寄った自分の顔を見ていると、目の前の男が不便に思えてくるほどだ。


「これ、飲んだら帰ろうか」


 つまらなさそうな声色で彼はそう言い放った。おうおう、もう私にはご用がないってことか。上等です、こちらもあなたにもう用はありません。

 と心では強がっているが、本音は少し悲しかった。彼からお暇を告げられなくても、彼と恋人関係になる可能性はほとんどないのだけれど、初めて会った人につまらない人間の烙印を押されたのが堪える。


「ええ、そうね」


 マッチングした男の中では圧倒的にまともだと思った。実際、相手が私じゃなければ彼だってもっと楽しそうにしていただろう。互いの本音を勘ぐったりせず、表面的な会話だけで盛り上がることもできたはずだ。


 はあ……。結局、私は男の子と楽しくデートすることができないのかなあ。


 半分くらいになったコーヒーに映る自分を眺めていると、彼がテーブルに肘を置いた衝撃でその姿がぐにゃりと歪んで見えた。

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