壊れた世界に生きる彼女達の愛し方~二面性なあの子は今日も僕に執着する~

龍威ユウ

第1話

 本日の天候は雲一つない快晴。


 さんさんと輝く陽光はとても眩しくて、それでいて暖かい。


 その下ですいすいと優雅に泳ぐ小鳥達が、ほんの少しだけ羨ましくも思う。


 時折、頬をそっと優しく撫でていく微風はほんのりと冷たい。


 まだ冬の名残がある風だが、それが返って心地良くもあった。


 誰しもが、今日のような気候は絶好のピクニック日和だろう、とこう口を揃える中で彼――和泉雷志いずみらいしの顔色は優れなかった。


 さながら薄墨をぶちまけたかの如く、どんよりとした雰囲気をひしひしとかもし出す彼に、一人の女性がたったった、と軽やかな足取りでやってくる。


 栗色のツインテールを揺らし、一点の穢れもない瞳はタンポポを連想させる。


 まだあどけなさを残す端正な顔立ちは、異性であれば誰しもが視線を奪われよう。



「――、ここにいたんですか雷志先生! ずっと探していたんですよ!?」



 女性はぷんぷん、という擬音が似合いそうな顔で怒っていた。


 怒っているのだが、いかんせん迫力があまりない。


 小動物の威嚇と同等の怒りに、雷志は力なく笑って返した。



「あはは……すいません。ちょっと色々とありましてね」


「まぁ、そうだったんですね。やっぱり作家さんってとにかくたくさん書かなきゃってイメージがありますから、大変ですよね……」


「ま、まぁそんなところですよ。あはは……」


「ん~そうだ!」



 女性がぽんと手を叩いた。


 妙案が思いついたと言わんばかりのその顔は、大変生き生きとしている。


 しかし対照的に雷志の表情はひどく引きつった笑みを浮かべていた。



「ねぇ雷志先生! もしよかったらウチが先生の家に行ってお料理作ってあげますよ!? うん、絶対にそうした方がいい!」


「えっ!? い、いやぁ……さすがにそれは遠慮しておきます。お気持ちは嬉しいんですけど、お手を煩わせるのはこっちとしても気が引けてしまいますし」


「……は?」



 女性の雰囲気が一瞬にしてがらりと変わった。


 さっきまできらきらと眩いぐらい輝いていた瞳が、どろどろとした沼のようにドス黒い。


 表情も端正な顔であるだけに、怒りを露わにすれば雰囲気もがらりと変わる。


 仮にもネットアイドルがしていい表情とは言えなかった。


 恐ろしい顔だ、と雷志はごくりと生唾を飲みこんだ。



「……雷志先生。ウチ、雷志先生のファンなんですよ?」


「え、えぇ。それはもちろん……よく知っていますよ。本当にありがたく思います」


「それだったら、雷志先生のお家にいってお世話しても問題ないですよね!? だってファンなんですし!? ファンがその人のためにあぁしてあげたいって思っても全然問題ないですよね!?」


「いや普通に問題ありですからね!?」



 こいつは正気なのか、と雷志は激しく困惑した。


 アイドルが異性の家に転がりこむなど、これまでに彼女を応援するファンが許すはずもなし。


 バレなければ特に問題ない、などというそんな甘い話ではないのだ。


 著名人だからこそ、コンプライアンスについては誰よりも注意する必要があった。


 それを堂々と破ろうとするなど、彼女の言動は明らかに規律を違反している。



「――、そっかぁ。雷志先生、そんなこと言うんだぁ……」


「いやぁ、そう言われましてもですね……」


「あ、ウチわかっちゃったぁ」


「な、何がですか?」



 雷志はこの時、なんだかものすごく嫌な予感がした。


 言動だけを見やれば、彼女を知る者ならば普段と別段大差はないように映ろう。


 むしろ、そんな仕草さえにも女性だけのかわいらしさがあった。


 瞳の輝きは、相変わらず損なわれたままだ。それどころかより一層、黒味が帯びたようにさえも見える。



「雷志先生がウチにそんなひどいこと、いうわけないもん。きっと誰かに脅されてるんですよね? 絶対にそうですよね?」


「は、はいぃ?」


「誰に脅されてるんですか? 遠慮なくいってください。ウチ、先生のためだったらなんだってしますから。どんな相手でも必ずこの手できっちりところ――」


「は、はいはいストップストップ! アイドルなんだからそれ以上過激な発言はしないように! ファンの人が聞いたらびっくりしちゃいますからね!?」


「雷志先生以外のファンなんてどうでもいいから大丈夫です」


「うん、仮にも大手事務所に所属しているアイドルが言っていい発言ではないですね。本当に誰にも脅されていないから大丈夫です。私は純粋に、申し訳ないって気持ちがあるから遠慮させてもらっただけですので……!」



 雷志は必死の形相で女性を説得した。


 これが冗談だったとしても、そうとは思えない演技力にはさしもの彼も失笑するしかない。


 冗談だったならばどれだけよかったことだろうか……。


 彼女の口より紡がれる一言一句には、嘘やためらいが恐ろしいぐらいになかった。


 誰かが制止せねば、確実にこの女性は即座に実行に移そう。そうなれば無関係な人間が犠牲となるのは、火を見るよりも明らかだと断言してもよい。


 そうはさせない。何故なら彼女には自分なんかよりもずっと未来があるのだから。


 しかし、自分にも未来があるしここで終わるつもりは雷志とて毛頭なかった。



「……雷志先生、本当ですか?」



 ジトっとした目で女性が問い質した。


 有無を言わせない圧力は本当に単なる人気ネットアイドルなのか、とこう問わざるを得ない。


 自分は、なんて恐ろしいファンに付きまとわれてしまったのだろう。雷志はそんなことを、すこぶる本気で思った。


 心の底から応援するファンがいるという事実は、彼のみならずすべての者にとって活力となるのは言うまでもない。


 とはいえ、それは良識があってこそのものだ。彼女のような過激するファンは、雷志の口から言わせれば厄介極まりなかった。


 とにもかくにも、さきの質問には早々に回答した方が得策だろう。


 ジト目は未だ解消されず、たった10秒足らずで女性の眼差しは日本刀のように鋭く、それでいて鉛のようにずしりとして大変重苦しい。



「ほ、本当ですから! こんなことで嘘を吐いたって私にはなんのメリットもありませんから!」


「……信じて、いいんですよね?」


「もちろん、神に誓って……まぁ、私自身全然信仰心の欠片もないんですけどね」


「……わかりました。それじゃあ今日は諦めさせてもらいます」


「今日“は”……ね」



 次も機会があれば申し出るつもりらしい。


 まるで諦める素振りがない雷志は、内心で深い溜息を吐いた。


 当の本人の前でしようものならば、せっかく収束しつつある事態をぶり返してしまう。


 それだけに留まらず、状況がもっと悪化する可能性もある以上、発言自体が下手にできない。



「しかし、本当にあれですね……」



 雷志はそう、もそりと口にした。



「あれって、何がですか?」



 女性が不可思議そうな顔をしてはて、と小首をひねった。



「いえ、なんでもありませんよ。ただ、仕事っていうのはどんなものでも大変だなぁって、そう思っただけです」


「……ふ~ん。もしかして雷志先生、ウチのマネージャーをするのが嫌になったりとか?」


「まさか。この仕事も確かに大変ですけど、でもその分いつも新しい気付きがあってとても楽しいですよ」


「そっか! それなからよかったぁ」


「あ、今すごくいい笑顔をですね」


「も、もう雷志先生ってば。からかわないでくださいよ~」



 頬をほんのりと赤らめはにかむ女性に、つい数分前まであった威圧感はすっかり消失していた。


 現在、雷志の目前にいるのは世の男性を虜にし夢中にさせる人気ナンバーワンのネットアイドル。


 それを間近で目にする彼だからこそ、彼女の良さについては誰よりも詳しくなった。


 この女性はすごい。すごいのだが、よもや怪物・・のマネージャーになるとは夢にも思っていなかった。


 人生とは本当に、何が起きるかがわからない。だからこそ面白いのだ。雷志はひっそりと口元を歪ませた。

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