不正発覚

金沢出流

第一子


 女が孕んだ。ボクは下ろせとはいわなかった。自分の子どもなら愛せるかもしれないと思ったから。

 ボクは女を愛してはいなかったとおもう。でも、おもしろい女性だったし、アタマのいい女性でもあった。


 こだわりのある女性だった。身の回りにあるモノはすべて、自分が認めた、プロダクトをもつモノだけ。

 アフタヌーンにはマリアージュ・フレールのマルコポーロを好んで嗜み、朝のコーヒーは、注文後に焙煎するタイプのこだわりの珈琲豆屋で入手した豆を、アンティークのプジョーのコーヒーミルで丁寧に挽いて、月兎印の琺瑯ケトルを使って、コーノ式でドリップし、朝の目覚めをボクにくれる。

 彼女は北欧雑貨を好んだ。ボクも北欧雑貨が好きだった。マリメッコのテキスタイルデザインや、イッタラの食器類の素晴らしさ、これは北欧ではないが、シンプルなバウハウスデザインのすばらしさを語り合える相手は彼女くらいなモノだった。ル・コルビジュエの建築や、絵画、家具について語り合える存在なんて、彼女以外に出逢ったことはなかった。

 ヨーロッパのインディーズ・ロックにも造詣があり、様々な音楽を彼女から教わった。

 文化学園大学の服装学部を卒業して、みずほ銀行に入行した風変わりな経歴を持つ女性で、英語が堪能な上、翻訳までこなせた。ポール・オースターの偶然の音楽を原著でスラスラと読んでいるのを見た時はとても驚いた。海外翻訳小説を好んで読むボクは、原著で読めたらどれだけいいだろうにとおもった。


 彼女は設計図もなく、編みぐるみを編んでいた。いみがわからなかった。

「なんでそんなことができるの?」と聞けば、できてしまうからできるだけ。と彼女は答える。そういうものか、とボクは妙な納得をした。


 編みぐるみや、縫いぐるみが、日々増えてゆく。お腹が大きくなるよりも速く、より大きく。でもボクはなにも大きくなっていない。ボクは父親になれるのだろうか?


 彼女はカフェインを控えるようになったけれど、ボクのためだけにコーヒーや紅茶を淹れてくれる。なぜボクなんかのためにそんなことをしてくれるのだろう?


 ボクには価値なんてない。中卒だし、働く能力もほとんどない。すこし音楽を演奏できて、お呼ばれして地方を転々とする程度の無名の有名人だ。

 1日の概日リズムが25時間だから、毎日同じ時刻に出社なんて続かないし、手に職があるわけでもないから、成果物を期日までに納品するような仕事も今のところできない。音楽だけでは生活は成り立たない。

 だからボクには父親としての価値はない。子育てだって、前述の概日リズムの問題で、全うできるかもわからない。


 なぜこの女はコンドームに穴を空けてまでボクの子を欲したのだろう? なぜこそこそ隠れて、コンドームに出した精液を膣に挿入しているのだろう? ボクが逃げるとはおもわなかったのだろうか。ボクの状況を考えたら逃げるのがふつうだし、そもそも責任の取りようもなければ、彼女の両親に会わせる顔もない。ヒモの子を孕んでどうしようというのだろう?


 出産には立ち会わなかった。怖かったのだ。血を見るのも嫌だし、苦しむ姿を見るのも嫌だった。なにより見護る気概というモノがなかった。


 猿の子だ、とその子を見てボクは思ってしまった。これが自分の子だという実感はまるで起こらず、自身がやはり、どうにも壊れたニンゲンなのだということが明確に示されてしまった。


「オムツを変えてあげて」


 その子への最初かつ最後のオムツ替えをした。想像していたよりも臭いはなかった。

 

 キリスト系の学校に入れなくなるから、と認知を求められたが断った。それが嘘か真かはわからないけれど、父親不在の最中に、キリスト教系の学校には入りたくないな、ボクなら、と思ったからだ。認知したくなかったからではないとおもう。認知しようがしまいが、ボクには金を稼ぐ能力がないから大した違いはない。ない袖は振れないし、ない袖は生えてこない。着替えを寄越せ、と言い続けたが、どうやら着替えはないらしいのである。


 数十年ののちに、この猿の子へ、ある種のきもちのわるい執着を持つようになるなんて、この時はちっとも思っていなかった。

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