ジムマーク
「今朝、渋谷区エトワールというマンションから血まみれの遺体があると通報があった。亡くなったのはジムマークさん、三十三歳。鑑識によると死因は、内臓が全て溶け出した事による出血性ショック死ということだ。これで三人目だ。未だ事件か病気かも分かっていない状態だが、ジムマークさんは六本木のクラブに勤務している。そのクラブ内で、まだ我々の知らないドラッグが出回っているかもしれない。西村と菅井は勤務先のシナモンクラブのオーナー麻宮奈緒に会ってジムの交友関係を調査。他の者は聴き込みをしてくれ。以上」
血走った目をした刑事たちは、足早に会議室から出ていく。
そして今年で五十七歳になる西村旭も、微妙に長さの違う髪をかきあげて、相棒の菅井仁志と共に会議室を出ていった。西村は、捜査で鍛えられた足腰でスタスタと歩きながら菅井に問いかける。
「殺害された形跡もなければ、自殺でもない。臓器が溶け出してたところをみると病気かドラッグを疑うのが普通だが、司法解剖しても何も出ないなんておかしいよな。臓器が溶けるって異常だぞ。お前は、どう思う?」
「そうですね、医薬品の副作用とか?」
「皆、病歴がないのに?」
「それじゃ…UMAの仕業かも!」
「UMA?なんだそれは」
「未確認動物ですよ。ネッシーとかツチノコとか知らないですか?」
真面目に話す菅井に呆れた田中は足を止めた。
「お前、今年で三十六だろ。もっと大人になれよ。息子でもそんな事、考えないぞ」
「いや、田中さんが知らないだけで、俺たちの知らない生物は沢山居ますよ。宇宙は広いですからね」
菅井の弁解も虚しく、また無言で進みだした。
「そういえば息子さんの進路は決まったんですか?」
「あぁ…美容師になりたいみたいで、高校を卒業したら専門学校に通うって言ってたな」
「美容師ですか、いいですね。俺の髪も切ってもらおうかな」
菅井の何気ない言葉に西村が急に立ち止
止まった。
「……いい実験台が出来て息子も喜ぶよ…」
と、にんまり笑って、駐車場へ降りて行った。
緑と高層マンションが建ち並ぶ街の一角に麻宮が住む八階建のマンションの前に到着した。重厚感のある木目調の自動ドアが開くと菅井は麻宮の部屋番号を押して呼び出した。
だが応答はない。
「留守ですかね?」
「いや、ただ寝てるだけだろ。何度も鳴らせば、そのうち出るだろう」
「そんなことして大丈夫ですか?」と、言ったものの、西村の言う通りしつこくボタンを押し続けた。
すると「なによ!」と、掠れた声で麻宮が出た。
「警察です。お休みのところ申し訳ありませんが、ジムマークさんについてお話を伺いたいので、少しよろしいですか?」
と、言って、警察手帳をカメラに向けた。
すると、カチッと音を立てて自動ドアが開いた。
二人はエレベーターに乗り込むと、菅井が八階ボタンを押す。
「なんか怖そうな感じですね。四十でクラブを経営してるくらいだから気が強のかな?」
菅井の問いかけに西村は返事をせず、階数の表示を見上げていた。無言の空間でエレベーターが到着すると、玄関の扉を体で支えてミネラルウォーターを飲んでいる麻宮が見えた。若い子が着ていそうな真っ赤なルームウェアキャミソール姿で、細い素足も露にしていた。
菅井は目のやり場に困まったが、西村は動じず警察手帳を麻宮に見せる。
「捜査一課の西村です。麻宮さんが経営するシナモンでDJをしているジムマークさんについて伺いたいのですが」
「マークが何かしたの?」
と、恥じらいもなく西村の目の前で、大きな欠伸をした。
「今朝、自宅でジムさんの遺体が発見されました。外傷も遺書らしき物もないので、他殺と自殺の両方で捜査をしています。最近、ジムさんに変わった様子はありませんでしたか?」
「死んだ…嘘でしょ…」
「お気持ち、お察しします。何か気づいた事や交友関係など、ご存じなら教えて下さい」
ジムマークの死に驚いてはいたが、麻宮は悲しむ様子もなく淡々と答える。
「マークは3日前に辞めたわ」
「辞めた?退職の理由は?」
「言わなかったし、聞かなかった」
「そうですか。では交友関係など分かりますか?」
「プライベートは知らないけど、マークのファンなら何人かいたわ」
「名前は分かりますか?」
「美紀、サキ、歩実ちゃんにキャリー…あっ、熱烈な男性ファンもいたわ。名前はデヴィッドホーズ。マークに酒を奢ったりプレゼントをあげたり、何度か一緒に帰る所も見たわよ」
「因みに女性たちのフルネームと連絡先も教えてもらえますか」
「知らないわ」
「知らない?デヴィッドさんのフルネームは知っているのに何故、女性ファンのフルネームは知らないのですか?」
麻宮は面倒臭そうに答える。
「デヴィッドはアフリカ系アメリカ人で、背も高いから目立つのよ。それで覚えてただけよ。それが何か問題でも?彼女たちの名前が知りたいなら直接、本人に会って聞いたらいいじゃない。営業は二十時からよ」
「分かりました。そうします。あと防犯カメラの映像提供とデヴィッドホーズさんの居場所を教えてください」
「知らないわよ。そのくらい自分達で調べなさいよ!もういいかしら?」
「ご協力ありが…」
西村が礼を言い終わる前に、バタンと扉を閉められた。失礼な態度に、西村は仁王像の様な顔つきで玄関の扉を睨み付けた。
「行くぞ!!」
怒鳴り声に驚いた菅井は、息を殺して後をついていく。
車に戻ると、車内は太陽光で高温のサウナと化していた。
「西村さん、すぐ乗るのやめましょう。火傷しちゃいますよ」
菅井が止めるのも聞かずに西村はエンジンをかけてハンドルに手を置いた。
怒りで暑さも感じない人に、これ以上言っても無駄だと諦めた。そして覚悟を決めて乗り込んだ。肌が焼け付くような暑さに菅井は呻き声を上げる。
シートベルトを締めるより先に両サイドにあるカーエアコンの風向きを自分に向けた。だが、エンジンをかけたばかりで温風しか出ない。
「あかん!死んでまうわ」
あまりの暑さに地元の方言がでた。
「五月蝿い、早くシートベルトを締めろ。お前は署に連絡してデヴィッドホーズの所在を調べてもらえ」
「御意!」
わざと馬鹿丁寧な返事をすると署に連絡を入れた。
菅井が電話をしている間に、車は大通りへ出る。渋滞もなく行きつけの中華食堂にたどり着いた。
遅い昼食をすませると、車に戻って、折り返しの電話を待った。
西村はシートを倒して、横になっている。
すると菅井の携帯電話が鳴った。
「お疲れ様です……台東区…はい…はい…ありがとうございます」
電話を切るとカーナビに職場の住所を打ち込んだ。
「デヴィッドさんは前沢食品工場の寮に住んでいるそうです。ナビの入力OKです」
「ありがとう」
と、言って、起き上がると、ナビに従って出発した。
二十分ほど走らせていると住宅密集地に入り込んだ。車が一台通るのが、ギリギリの道幅を慎重に運転をしていると右手に前沢食品工場という看板が見えた。
『目的地に到着しました』というアナウンスが流れると西村は黒い門の前に車を止めた。二人は、プレハブで作られた受付事務所に向かうと警察手帳を見せて責任者を出してくれ。と伝えた。警備員は内線で工場長を呼びだした。
数分後、黄ばんだ作業着姿の工場長が走ってやって来た。六十半ばの工場長は顔を強張らせながら挨拶をした。
「工場長の前沢です。本日は、どのような御用でしょうか?」
「捜査一課の西村です。ある事件の事で、デヴィッドホーズさんにお話を伺いたいのですが、デヴィッドさんは出勤してますか?」
と、聞くと、工場長は首を傾げて悩んだ。
「あぁー、彼なら解雇しました」
「解雇の理由は?」
「一週間前だったかな。連絡もなしに来なくなって、それきりですよ」
「そうですか…では彼が住んでいた部屋も…」
「ええ、もう新しい従業員が入ってます」
「そうですよね。では、デヴィッドホーズさんについて何か変わった事や噂など訊いたりしませんでしたか?」
「ちょっと、分からないですね。いなくなってから、他の従業員に、何か知らないか?と訪ねたのですが、彼はいつも一人だったそうですよ」
「一人だった?」
「いや、刑事さん、誤解しないでください。けして虐めとかではありませんから。自分から距離を取っていた感じらしいです」
「分かりました。まだデヴィッドホーズさんの履歴書は残してありますか?」
「簡易的な物なら。今、持ってまいります」
と、言うと、小走りで取りに行った。
「一週間前に姿を消したって、なんか怪しくないですか?」
「あぁ…事件に巻き込まれたのか?それとも事件の当事者なのか……どちらにせよ何か手がかりが掴めるかもしれないな」
息を切らして戻ってきた。
「お待たせしました。履歴書のコピーなので、どうぞお持ち帰りください」
「ありがとうございます。もしデヴィッドホーズさんの事で何か思い出したりしたら、御連絡ください」と、言って、西村は自分の名刺を工場長に渡した。
二人は車に戻ると、デヴィッドホーズの履歴書を確認した。
デヴィッドホーズ、二十八歳。
ニューヨーク生まれ。
家族構成は父、母、妹の四人家族。
最終学歴はロセットスクール(高校)
証明写真は白黒で、デヴィッドホーズは笑顔で写っていた。
スキンヘッドだが、鼻筋が通って、長めの睫毛がクルリとカールをしているため、童顔な顔立ちをしていた。
「取りあえず、実家の住所と顔写真は手に入りましたけど、これからどうしますか?」
「俺は、この写真を持ってシナモンクラブの周辺で聴き込みをする。お前は、出入国の確認。もし日本を出ていたら向こうの警察に協力要請をしろ。二十時に、シナモンの前で合流だ」
「了解しました」
闇と愛の間で 葵染 理恵 @ALUCAD_Aozome
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