或いは、時として例外的な僕らは

椎名千紗穂

第1話「時として例外的な気配の喪失」上


 

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 「いいか少年、覚えておくといい。アタシたちは特別なんじゃない。アタシたちを括る言葉は、そんな聞こえが良くて、耳障りのいい言葉なんかじゃないことだけは常に忘れるな。アタシたちを象徴し、大別し、区別している最大公約数は——孤独という安らぎだけなんだよ」

 それが、彼女が最初に僕に教えてくれたことだった。あれから数年経った今でも、僕はその言葉を忘れてはいない。耳の奥に残った響きは、何度も何度も繰り返すように反響しては僕の魂に刻み込まれているかのようでもあった。忘れるというよりは、忘れることができないというのが正解かもしれない。かもしれない、ばかりで本当に申し訳ないばかりだが、そんな僕にできることはせいぜい彼女の対峙する日々を語ることくらいだろう。

 例外と呼ばれる孤独と対峙する彼女のことを。

 僕を暗闇の底から救い上げてくれた——浮世絶華という、例外のことを。



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 歌舞伎町、日本でも有数の煌びやかな街が最もその羽を広げるのは夜だ。男も、女も関係なく、欲望と謀略に塗れた街は都心の中でもここがその最たる場所ではないだろうか。

 そんな街を、今日も鮮やかな蝶たちが舞う。煌びやかなドレスに身を包み、一匹二匹と。時には相手を連れだって歩くその往来は、それだけで普通の人間には近づきがたいオーラを纏っているようでさえあった。

 彼女もまた、その一人だった。その後、新聞に被害者として名を載せることになった彼女もまた蝶の一人だった。田舎から身一つで上京したものの、都会で生きていくには金がかかる。そのため水商売の世界へと身を投じるものの、不思議と彼女にはその世界が性に合っていたらしい。早番で出た彼女は、今日はアフターもなく一人帰路に着こうとしているところだった。街を行く、大勢の蝶たちと同じ様に。

 しかし、その日に限っては同じではなかった。同じでなかったとするならば、唯一違ったのはその例外と遭遇してしまったことだろう。

 アルコールが回り、フワフワとした頭で、最後に見たものは——ニヤリと歯をむき出しにして笑う、男の笑みだった。



     2



 「いけんでしたか、絶華さん。かごんまの夜は」

 「いやあ、ははは。まさか新幹線のホームで戦う羽目になるとは思いもしませんでしたよ」

 と、絶華と呼ばれた女性はカラカラと細い目をさらに細めて笑う。時期に見合わぬ黒いコートを羽織った姿で片手で頭を掻いているが、それは仕方のないことだった。片腕を包帯で吊っているのだから、それはもう片手での仕草になる他ないだろう。出来たばかりであろうその傷は、生々しさを伴い彼女が潜り抜けた戦闘がいかに激しかったかを物語っている。整った顔に数か所張ってあるガーゼや絆創膏にも、薄っすらと血が滲んでいた。

 「いや、まさか本庁の人間に地元の事件を解決してもらうことになるとは。噂に聞いてはいましたが、流石は例外対峙課のエースですな」

 「恐縮です。まあ、これも先払いってことで。彼についての情報があれば、田中部長に情報を回してもらっていただければ助かります」

 「ううむ、まさかあの男が今は例外対峙課の部長とは。世の中分からないもんですな。勿論、かごんまの男は恩を忘れることはなかですよ。何だったら直接絶華さんに連絡を入れますとも」

 「それはありがたい。とはいえ、あれで部長も何かと小うるさいですからね。内密に願いたい」

 「分かりもした。じゃっどん、本庁から直接来鹿したいと話しがあったときはなんごてけと思ったもんですが、こげん綺麗な方が来るとは思いもせんかったですよ」

 「突然の訪問になったことはお詫びします。どうしても急ぎで確認したいことがあったもので。昔から、鹿児島は例外保有者が多く生まれる地方とのことで、西木の潜伏先としては候補に挙がっていたんです」

 「『例外対峙課事件』ですか……もう、2年になるというのに、西木はまだ行方を眩ませているんですか?」

 「ええ、歯痒いことですが」

 「海外へ高飛びした可能性は?」

 「一応当時の捜査本部はその可能性も考慮してはいたようです。とはいえ、身内の事件とはいえ表向きには捜査一課が対応していますし、あの男の性格を考えると海外で潜伏するというのは少し考えにくい。全国手配にはなっていますが、国際手配まではされないでしょうしね」

 そう答えると、二人の間に沈黙が流れる。朝一番での県警への訪問であったが、鹿児島の秋はまだまだ暑さがしつこい。日が昇れば、汗が滴るほどの暑さがまだ一か月くらいは続くであろうことは想像に難くなった。窓を見れば、錦江湾を挟んで桜島が今日も元気に噴火してその噴煙をモクモクと空高く吐き出していた。これが鹿児島県民にとっては日常なのだろうが、彼らは高層ビルの代わりに噴煙を見上げているのだろうかなんて、そんな取り留めもないことを考えていた。

 不意にポケットでスマホの着信音が鳴る。平成の中頃に流行ったポップスが、軽快な音色で部屋の中に響き渡る。

 「失礼、マナーモードにするのを忘れていました。出てもよろしいですか?」

 鷹揚に頷く面川の了解を得ると、急ぎ応答のボタンに触れる。

 「もしもし……ええ、こっちは空振りでした。代わりに一件事件を解決したのでそれでトントンってことにしといてください。え、出張費の申請はしましたよ? あ、そうじゃない? んー、ふむふむ。……分かりました、今日のうちに戻ります」

 通話を終え、フーっと深く息を吐き出す。その表情から察するに、あまり芳しい内容の連絡ではなかったようだった。

 「いけんでしたか?」

 「代理だというのに、課長というのはこんなに忙しいもんなんですかね。午前のうちには……難しいか。急ぎで東京に戻ることになりました。せっかく食事に誘ってもらってたんですが」

 通話を切ったスマホをまだ健在な方の腕でブラリと下ろす絶華に、面川は苦笑する。

 「はは、責任者の苦労は分かりもんそ。食事の件はお気になさらず。そうだ、せっかく来たのですから土産に焼酎でも買って帰るとよかですよ」

 「……ああ! それは実にいいですね!」

 面川本部長の提案に、絶華は鹿児島に来て一番の笑顔を見せたのだった。ズンと、お腹の下に響くような衝撃があった。桜島も、今日一番の噴煙を巻き上げていたところだった。



    3



 羽田空港の到着ロビーに、二人の人影があった。他多くの出迎えに混じり、片や学生服に身を包み、片や薄手のジャケットを纏った女性である。女性の方は二十代前半くらいのようだが、杖を突いていることから視覚に難があると思われた。学生姿の少年は、チラチラと時計を見ては少し焦っているようにも見える。鹿児島空港から到着した乗客たちがゾロゾロと現れる中、一向に姿を見せない待ち人にどうにも焦れている様子だ。

 「白ちゃん、そんなに焦っても絶華さんはすぐには出てこないよ」

 「そりゃあ分かってますけどね……今回は芽生さんが京都に戻ってるから、どうしても絶華さんがいないと」

 「まあ、それもタイミングだよ。ほら、リラックスリラックス。心音が乱れてるよ?」

 「うっ、自然な流れで心音聞くのやめてくださいよ……」

 二人が他愛もない会話をしていると、到着客たちの最後の方にようやく待ち人がその姿を見せた。黒のコートに、整った色白の顔立ちと開いているのか分からないほどの糸目。モデル顔負けのその美貌は……残念なことにあからさまな寝起きの顔をしていた。

 「絶華さんこっちこっち!」

 ブンブンと白利が手を振ると、ゴシゴシと今にも寝こけてしまいそうな目をこすりながら絶華がゴロゴロとキャリーケースを引きながら二人の下へと歩んでくる。

 「んあ? なんだ少年、君も迎えに来てたのか」

 「えへへ、私が一緒にってお願いしたんです」

 「そういうわけですよ。ていうか、何ガッツリ爆睡してたんですか。部長から連絡あったんでしょう?」

 「あー、あれな。うん、覚えてるよ、あれな。ていうか飛行機の移動中くらい寝かせてくれよ……ふわーぁ」

 「それは覚えてない人の言い分です……」

 「何をう! 安眠グッズだってちゃんと自前だぞ!」

 「そこじゃないですよ!」

 「絶華さん……」

 呆れる二人だったが、片腕を吊っている姿を見ると殊更非難する気にもなれなかった。部長を通じ話しは聞いていたが、どうやら鹿児島でもひと悶着あったようだった。まあ、送り出した時にも諦めてはいたものの、彼女が行く先々でトラブルが起こらない方が稀だというものだ。やや眠気眼だった彼女も、二人とのやり取りで少しずつ脳が覚醒し始めたらしい。

 「ちゃんと解決してきたんですか?」

 「もっちろん」

 「じゃあいいですよ……腕、大丈夫ですか?」

 「見た目ほどじゃないよ。肩外れてるだけ」

 「それは……結構痛いですね」

 普通に痛そうだったが、絶華の例外を思えばこれでは今回の事件では充てにならないかもしれないと一瞬考えてしまった。考えが顔に出ていたのか、絶華はクシャリと無事な方の腕で白利の頭を撫でた。

 「にしし、安心したまえ。片腕だって、アタシは負けやしないさ」

 「絶華さん……」

 決して長くはない付き合いだけれど、それが彼女の強がりだということは白利にも分かっていた。けど、彼女がそう言えば、不思議と本当にどうにかなってしまうんじゃないかという——そんな安心感もどこかにあった。



    4



 「ふーん、歌舞伎町ねぇ。何だか、ベタな感じもするけど。ここ、本当だったらお前らのナワバリだろ?」

 「そうしたいのは山々なんだけどねー。何せ、うちのボスが直々に例外対峙課へ回せとのご命令があったもので」

 「はっ、大方これ以上人員と時間が割けないからこっちに回しときゃいいだろって考えが見え見えなんだよ。大体、送ってくれって別に頼んでねーし!」

 「ちょっと絶華さん……すいません、氷室さん。直接現場に向かうって聞かなくて」

 平謝りする白利に、氷室と呼ばれた女性は快活そうに笑った。絶華と同じくらいの背丈ではあるが、絶華がしなやかであると表現するなら、氷室は引き締まった身体付きをしていた。決して華奢ではなく、鍛錬した分がその中にちゃんと詰め込んであるような身体である。それだけでなく、絶華にも負けず劣らずの美貌は二人揃って歩けばモデルの二人組と勘違いされても仕方がないと思わされるほどだ。

 「いいのいいの。どうせ絶華ならそう言うと思ってたから。それに、そういうなよ。これでも色々頼りにさせてもらってるんだ。大体、捜査一課にだって相手にできないもんはある。だからこうやってそっちに頼んでるんだよ」

 「……分かってるよ。別にごねてるわけじゃない」

 「ならいいんだ。それと、今度時間空いてたら勝負だからな! 今度こそ泣かす!」

 「言ってろバーカ!」

 イーっと口の端を指で引っ張った顔で子供じみた応酬をする絶華に、氷室はヒラヒラと手を振り、絶華と小野町、そして白利を乗せてきたバンの運転席に乗り込むとあっという間に立ち去っていった。

 「すみません、私が運転できれば良かったんですけど……」

 「あー、いいのいいの。気にするな。人間、できることとできないことがある。小野町ちゃんは、今できることをしてくれりゃそれでいいよ。ま、氷室もあれはあれで忙しいからな。何せ、天下の捜査一課様だ。うちに案件回す以前に、やることはいつだって山積みだろうさ」

 言いながら、絶華はスタスタとためらうことなくアーケードを潜り、通りをツカツカとヒールを鳴らしながら歩いていく。片腕を吊っているとはいえ、五体は健在であるのだからその歩みに一切の淀みはなかった。ワンテンポ遅れ、白利と小野町がその背中を追いかけていく。

 「ふむ、事件が起こったっていう割には相変わらず人でごった返してるなここは。日本人の危機意識っていうやつは、江戸の頃に比べたら随分と鈍ったんじゃないか?」

 「いつと比べてるんですか……小野町さん、実際の現場ですけど何か変わったことあります?」

 「うーん、特には何もないかな……変な音もしないよ」

 「そうですか……」

 「小野町ちゃんの『時として例外的な聴覚』でも現場に異常はないわけか。となると、現場に何か仕掛けがあるってわけじゃなさそうだな。少年、何か気づいたことは?」

 「努力はしてますけど、特には……」

 「ま、そんなとこだよな。さて、どうするかね」

 顎を摩りながら、思案する絶華の横顔に思わず見とれてしまいそうになる。黙っていれば美人、そう呼ばれる人種が世の中には存在するというのも頷ける瞬間だ。とはいえ、状況が行き詰っているのも事実であり、捜査一課が現場を検証しても犯人にたどり着けていないということからやはりこの事件が何かしらの例外を保有する人間の犯行である可能性は——大いにあり得た。

 「それにしても連続殺人とは。この時分に、連続して人を殺そうだなんて随分とまあ思い切ったことを考える奴がいるもんだ。コストパフォーマンス最悪だろ、普通に考えて。ククク」

 「不謹慎ですよ、もう」

 「何言ってるんだよ。お前ら二人だって、別に何とも思ってないだろ。いいんだよ、気遣わなくても。今はアタシとお前ら二人だけだ。気にすることはないさ、例外が例外たる所以なんてそこにある。普通の人間が感じるような倫理観なんて、アタシたちにはそもそも最初から搭載されてねーんだよ」

 その言葉に、ドクンと心臓が跳ねそうになる。白利だけでなく、小野町もそうだった。きっと小野町には、白利の心臓がドクンと跳ねた音も鮮明に聞こえたことだろう。

 ——だって、本当にそうだったから。

 人が死んで憐れだとか。

 通り魔が現れて怖いだとか。

 三人も殺されて物騒だとか。

 そんなことは——本当に、どうでも良かった。何も、感じていなかった。

 ダラダラと、もう日も落ちて暑さも少し和らいだというのに汗が流れる。呼吸は乱れ、思わずうずくまってしまいそうだった。人間は、図星を突かれるとこんなにも動揺してしまうものなのだろうか? 目の前にいるはずの絶華は、ずっと遠くにいるように見えてしまった。きっと、それは達している境地があまりにも違いすぎるせいなのだろうけれど。

 「ククク、二人ともまだ日が浅いから仕方ないさ。アタシはもうすっかり慣れっこだけど、常人に混じって長いとこの感覚はなかなか抜けねえさね。ま、慣れていくこった。例外なんてのは、基本ロクでなしだ」

 「で、でも……」

 それでも、小野町はなおも食い下がろうとする。ずっと、二十数年もの間常人の中で生きてきた彼女の中で培われたものが、それを良しと出来なかった。

 「私たちだって、誰か死んだら悲しいと思うことくらいは……あります」

 「……アタシたちは、例外だ」

 ポツリと、絶華が呟く。ともすれば、その呟きは人混みの喧騒に紛れて掻き消えてしまいそうなほどにか細い独白。けれど、嫌に耳に残ってしまう。いつぞや聞かされた言葉のように、絶華の言葉は二人の耳の奥に焼き付く様に響く。

 「人は、生物だ。だからこそ、進化する。同時に、社会的に集合的な個でもある。一人一人が細胞で、人間という身体の一つのパーツだ。アタシたちは、そのパーツの失敗した複製に過ぎない。ともすれば、逸脱した存在は優秀どころじゃない。そう——アタシたちは人間の進化にとって、一代限りの進化の到達点なのさ。それ故に、アタシたちは孤独だ。平均的な数値の外側にいる。例外はそれぞれが到達点である以上、普通の人間以上に互いを理解できない。それは、例外であるなら誰でも一度は思い知らされることがあるだろう」

 もう、泣き出してしまいそうだった。それ以上、目を背けてきたことを突きつけないで欲しかった。これが例外対峙課の課長という存在なのだ。その若さで、嫌というほど例外に対峙し続け、嫌と言うほどのその末路を見届けてきた者の感慨がそれだ。

 「僕には、分かりません……」

 「いずれ、分かる時がくるさ」

 そう言うと、絶華は再び歩み出した。滲んだ視界の中で、絶華はどんどん遠くに歩んでいく。人混みに紛れて、うっかり見失ってしまわないようにべそをかきそうな目元を拭い、必死にその背中へと食いついていく。

 「小野町さん、追いかけましょう」

 「……うん!」

 小野町の手を取り、絶華の背中を追う。しかし、数m追いかけたところで、絶華は立ち止まっていた。思わずその背中にぶつかりそうになるところを必死にブレーキをかけて踏みとどまった。

 「ちょ、どうしたんですか絶華さん⁉」

 「んあ、いや。そういや監視カメラの映像とか残ってねーのかと思ってさ」

 「それは……」

 確かに、絶華の指さす先には固定されたカメラがあった。そういえば、昨今はライブカメラなんかが設置されている場所もあって、今や監視社会などと揶揄されることもあったりなかったりするとか。

 「監視カメラの映像は、僕らも確認しました。でも、太陽さんが検分してもまるで被害者の人たちは突然流血したようにしか見えなかったらしいんです」

 「は?」

 僕の言葉に、絶華さんは呆れたような声を上げた。だが、それは事実であり、否定のしようがなかった。


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