花瓶のなかの花

殿塚伽織

第1話

 ゆっくりと歩み寄ってきた気配が隣に座る。ソファーの革張りが軋んだ後の流れは判っている。加えて、自分がすべきことも明らかだ。

 傍らを見れば、漆黒の瞳がやわらぐ。顎を取られて軽く持ち上げられた。目を閉じれば吐息が近付き、やがて唇が重なる。

 最初は触れるだけだった口づけは、次第に深さを増す。背に腕を回され、口腔内を探られる。絡められた舌の立てる水音が、ひどく恥ずかしい。思わず身をよじるうちソファーへと押し倒され、更に激しく貪られた。

 抵抗することは許されない。それはソファーからベッドに移動してからも同じだ。弱い場所は既に知り尽くされているから、自分に逃げる術はない。服を脱がされ、気を失うまで抱かれる。

 いや、気を失っても解放されずに繰り返し身を繋がれる。今までどれだれの夜を奪われたか判らず、今夜だけで何度体を開かれたかも判らない。口移しで飲まされるミネラルウォーターに目を覚ませば、頬杖をつき自分を覗き込む男の顔がある。慌てて身を起こそうとすれば、肩に手を添えられ制された。

「もう限界だろう。そのまま寝ていろ」

 追い詰めたのは俺だがな、ひとりごちるように言い男は笑う。その声に威圧感はなく、とても陰の世界で生きているような人間には見えない。

 見えはしないが、それが事実でもある。人は見かけによらないとはこういうことだ。再びベッドへと横たわり、千花は体を覆うブランケットを肩へと引き上げた。

 手にした小ぶりのペットボトルを男がヘッドボードに置く、その様子を眺める。ふとブランケットの上から腹を撫で上げられ、身をこわばらせた。てのひらを胸へと移動させつつ、男は微笑む。

 指先に弱い場所を探られ、息が途切れ途切れに弾んだ。もう終わりではなかったのかと思いはするものの、それを口にすることはできない。ブランケットの布地越しの愛撫は多分快楽を得る為ではなく、こちらの反応を楽しむ為だ。

「そんな反応をされたら、我慢できなくなる」

 ブランケットの端を取られ、ゆっくりと引き剥がされる。思わず脇へと向けた視線を絡め取られ、そのまま唇を重ねられた。左腕に頬を撫でられつつ、右のてのひらに胸を揉まれる。

「俺以外に、そんな顔を見せてはいないな?」

 やがて唇が離れ、鵜飼啓斗という名の男が言った。千花はひとつ頷く。発された口調は穏やかだが、込められた強い意思が明確に伝わる。

「そんな物好き、いる訳」

「俺以外に誰も知らないだけだろう。そのとろけるような顔だけじゃない、腹に来るような甘い声も、感じやすいところも」

 嬉しそうな声で言い、啓斗は身をもたげる。正面からのし掛かられ、首筋から胸元に掛けて口づけられた。奥歯を噛み締めて込み上げるものをこらえているうち、唇を指先になぞられこじ開けられる。

「声を我慢するな」

「だっ、て」

「そのよく通る声で俺を満たせ。ああ、まだ足りないなら望み通りにしてやるぞ」

 何処が感じるか、何処に触れられれば我慢できなくなるか、全ては最初の三日三晩で把握されている。先程隠せるものは隠すべきだと言ったが、自分の場合それは当てはまらない。これまでの二十年の経歴も、上納に至ったいきさつも、何もかもは知られている。というよりも、彼の思惑に従い自分はここにいるのだ。

 千花はこの部屋で、啓斗に飼われている。

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