「ね、ね、ジュンヌ。昨日も一悶着あったみたいだね」

 ジュラルミンが自分の席に座ると、待ち構えていたようにアルニコが話しかけてきた。手入れの行き届いていない植え込みのように所々がはねているダークブラウンの髪の間には、好奇に満ちた大きな黒い瞳が光っている。彼はクラスの中でも一位二位を争うその長身を折り曲げて、ジュラルミンに頭の位置を合わせた。

「へえ、そう」

 少年は大きく伸びをして、小柄でほっそりとしたその身体を猫のように弓なりに反らせた。そしてゆるいウェーブを描いて肩にかかった赤茶色の髪を根本から物憂げにかき上げる。

「ね、ジュンヌは誰が犯人だと思う?」

「興味ないね、誰が誰のものを盗んでいたって僕には関係がないもの」

「もちろんさ。犯人が誰だろうと誰が被害に遭おうと君の知ったことじゃない。でもね」

 ゆったりとした動作でジュラルミンの机に腰掛けると、線の細い長身の青年は触ったら切れてしまいそうなほど鋭いその顎に手を添え、唄うような調子で続けた。

「一昨日はクニフェ、昨日はブラス。今日は一体誰が槍玉に上がるのやら。次は案外君かもしれないよ?」

「僕が?」

「そうさ」

 アルニコは漆喰で塗り固められた教室の天井を仰ぎ見る。

「君、最近ステンレスと仲が良いだろう?陰でニクロムのやつにやっかまれてるんだよ。知らなかった?」

 美しい長髪の少年は淡褐色の瞳に溜まった涙を人差し指で拭い去ると、そのまま視線を流してステンレスの方を見た。彼は教室の前で左手に持ったチョークを黒板に走らせている。栗色の後ろ髪は後頭部の上の方で短く束ねられていて、彼が腕を動かすたびに左右に揺れていた。時折垣間見える彼の横顔には、この世の穢れの一切を受け付けまいとする高潔さがあった。身体の左側には書かれたばかりの文字が白く浮き出していて、それは洋上を航行する船から撒き散らされた花びらのようだった。

「でも大丈夫だよ。もし君が疑われても、僕が弁護してあげるから」

 ジュラルミンは友人の方へ視線を戻して微笑んだ。

「そいつはありがたいね」

「そうさ。昨日も一昨日もジュンヌは僕と一緒に帰ったんだからね。アリバイはあるよ」

 そう言うと、アルニコはすらりとした両足の踵を返して自分の席の方へ歩き出した。

 ジュラルミンは彼の後ろ姿を目で追いながらさりげなくズボンのポケットの膨らみに手をやる。そして、その内側で白いハンカチに包まれた彼の宝物に想いを馳せた。それは薄っぺらいハンカチなどでは包み隠せないほど美しく光り輝きながら、静かに眠っているだろう。ポケットのその側からでもその拍動を微かに感じることができる。彼は今すぐにでもその妖艶な光を放つ宝物を取り出して眺めたい衝動に駆られた。そして、それと共に否応なく浮かんでくる恍惚とした表情を抑えるのに随分努力しなくてはいけなかった。

 教室後方のドアが音を立てて開き大柄なニクロムが肩で風を切りながら入ってきた。彼の右目の周りは青黒い痣で縁取られていて、左頬には切り傷を覆うガーゼが貼られていた。彼は口の端をへの字に曲げながら乱暴に椅子を引いて自分の席に座る。彼の周囲に座っている生徒は怯えたように視線を下げた。そんな中、アルニコは軽やかにステップを踏みながら彼に近づくと揶揄うように言った。

「おやまあ、これは派手にやられたねえ」

「五月蝿いな、あっちへ行けよ」

「やめなよ、アルニコ」

 ジュラルミンが口を挟むが、悪戯好きな彼の親友は澄ました表情で続けた。

「あの狂犬が相手じゃ、我らが優等生様も形無しかい?」

「なんだと」

 息巻いたニクロムが机から乗り出してその腕を掴もうとするも、アルニコは笑いながらするりと身を躱した。

 黒板に向かっていた清らかな青年はそんなニクロムの声を聞いて振り返り、しばらく彼の方を眺めていたが、やがて哀しそうに目を伏せ足早に自分の席へ戻った。ニクロムがそんな彼の様子を見て立ち上がったその瞬間、授業の始まりを告げる予鈴が響き渡る。彼は放心したような様子でしばらくその場に佇んでいたが、唇を噛んで力無く腰を落とした。

「ね、ジュンヌ。やつの面を見たかい?」

 驚いてジュラルミンが顔を上げると、先程と同じような格好で彼の隣にアルニコが立っていた。淡褐色の瞳の少年は呆れてため息混じりに言う。

「そうやってあちらこちらに喧嘩を売るもんじゃないよ。後で怖いんだから」

「構うもんかい。あのニクロムが随分としおらしくなっちゃって。全く情けがないね」

 好奇心旺盛な大型犬のような青年は彼の耳元に口を寄せて小声でそう囁くと、踊るような足取りで自分の席へと戻って行った。しばらくしてジルカロイ先生が教室へいらっしゃったのでステンレスが号令を掛け、いつものように授業が始まった。

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