ムーンライト・セレナーデ(仮題)

閏登志

「だから、僕じゃあないったら!」

 開いた窓から差し込む夕日で紅に染まった教室に、ブラスの甲高い声が響く。彼は教室の隅に追い詰められるような形で立っていた。燻んだ金髪の柔らかそうな毛先が頼りなく風に揺れる。彼の呼吸に合わせて微かに震える膨よかな頬は、涙を堪えているためか普段よりもずっと赤みを帯びている。彼は右手に鼠色の遮光カーテンを、左手にズボンの生地を固く握り締め、その公衆の面前で行われる弾劾行為になんとか打ちひしがれまいとしているようだった。

「どうだかな」

 ニクロムは冷たく言い放つ。彼は今やその場に集まった生徒全員の代弁者であるかのように、群衆の中から一歩進み出た。黒々とした髪は丁寧に撫でつけられていて、引き締まった頬とダークグレイの双眸は、自分は今まさに正義を執行しているのだという自信の色で満ちていた。

「お前が一昨日の放課後、教室から駆け出していくのを見たってやつが何人もいるんだ。手にを持っていたという証言もある」

 彼がそう言って振り返ると群衆の中でいくつかの頭が縦に揺れた。褐色の大柄な若者はその様子を満足げに眺め、鋭い目つきで再びブラスへ向き直る。

「さあ、そろそろ白状したらどうなんだ」

 彼はそう言うと、まるで罪人を尋問する役人のように口調を柔らかくして語りかけた。

「いいかい。お前が素直に返してくれたなら、ステンレスだってきっと怒ったりしないだろうさ。ちょっとした出来心だって言えば許してくれるよ。この俺が言うんだから間違いない」

「でも僕、本当にやっていないんだもの」

 怯えた目をした被捕食者のようなその少年は、今にも泣き出しそうな声でそう言って鼻をすすった。捕食者であるニクロムの目つきが再び剣のように鋭くなるのと同時に、教室のドアが乱暴に開かれた。

「プロンズ!」

 ブラスの顔が一瞬綻び、涙を溜めた目線が救いを求めるように彼の方向へ注がれる。ブロンズと呼ばれたその青年は周囲を素早く一瞥すると、怒りに満ちた目で叫んだ。

「君ら、恥ずかしくないのか!一人を大勢で取り囲んで責め立てやがって。これが男のすることか!」

 そして大きな靴音を立ててニクロムへ歩み寄る。ある者は怯えた目をして、またある者は好奇の色に満ちた目をして、群衆は彼のために道を開けた。部屋の中心に立つ正義の執行者は一瞬動揺したようだったが、次の瞬間には再び自信の色を取り戻していた。

 二人は夕暮れの教室で対峙する。ブロンズは歯を食いしばり、長い前髪の後ろから一つの青い瞳でニクロムを睨めつけた。もう片方の目があるべき場所は黒い眼帯で覆われている。ニクロムは余裕に満ちた薄笑いを浮かべながら、大仰な身振りを交えて言った。

「おいおい、落ち着けよ。俺は何も彼を拷問しているわけじゃない。ちょっと犯人探しに協力してもらっているだけなんだ」

「ふん」

 隻眼の若者は鼻を鳴らす。

「クラスの皆の前で一人の生徒を吊し上げている、この状況が拷問でなくて一体なんだって言うんだ?弟はやってない。文句があるなら俺に言え」

「彼にはれっきとした理由があるから疑われているのさ。だから君は引っ込んでいてくれ、これ以上に構っている暇はない」

 黒髪の青年は部屋の隅で縮こまっているブラスに目をやると、口元を歪めて続けた。

「俺にはまだ仕事が残っているんだ。この犯罪者に自分の罪を告白させるという仕事がね」

「これ以上僕の弟を辱めるようならただじゃおかないぞ」

 小動物のようなブラスの肩が怯えたように震える。彼は掠れた声をあげて何事か言おうとしたが、怒りに燃える彼の兄は手の動きだけでそれを制した。そして上着を床に脱ぎ捨てると、白いシャツの袖を捲り上げ、腰を落として臨戦体制を取った。

 彼の小柄な体からは不要な肉が削り落とされていて、サバンナの野生動物を思わせた。それはスポーツなどで鍛えられたものではない、戦闘に特化した身体だった。シャツから覗く二の腕には未だ癒やらぬ傷が幾つも付いている。彼の片目は今や憎しみで碧い炎のように輝いていた。筋肉質でがっしりとした体格のニクロムはそんなブロンズを見下ろす形となる。スポーツ万能で成績も優秀な彼は常に周囲から羨望の眼差しを向けられてきた。しかし、常に持ち前の頭脳で物事を円滑に進めてきた彼にとって、荒々しい喧嘩は専門外だった。

「なあ、平和的にいこうじゃないか。言い過ぎたのなら謝るよ」

 焦りを隠し切れなくなったニクロムは半歩ほど後退りしながら呻くように言った。そんな言葉を無視して、隻眼の戦士は眼前の敵に飛びかかる。悲鳴と歓声とが校舎全体に響き渡った。

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