漂流

津田 実

漂流

 「青春コンプは花火大会が見れない、ねぇ。」


 手のひらの上で泳ぐ文章の群れは、今日も実に悲しげだった。

 何かに逆らおうと尾を振るっているが、何かを越えられそうな気配はない。


 顔を上げると、着飾った人の群れ。

 僕とは逆のほうへ、楽し気に泳いでいく。


 僕もまた、悲しい文章の群れと同じたぐいの哀れな魚なのだろうか。

 それにしては、何かを越えてやろういう興奮は感じないけれど。


 僕とは逆のほうへ泳いでいく彼らは、命の輝きを放って見えた。

 よほど生き生きして、興奮を感じる。


 金魚の柄の浴衣を着た女性とすれ違うと、強い香水の香りがした。

 足取りは早い。


 羨望に似た感情が心に起こり、顔をしかめた。

 きっと誰かに会いに行くのだろうか。


 ふと、川のことを思った。


 遡上する鮎の群れ。

 彼らもまた着飾って、時に男女で連れ添って川を遡っていく。

 その先には彼らの役割があって、次がある。

 川を遡れない者もいるのだろうけれど、彼らも川の栄養として還元されていく。

 意味のないものなどない。


 僕はどうなのだろうか。

 暗くなる視界を、鮎の群れが遡上していく。


 また、人がすれ違っていった。

 甚平を着た、年頃の近い男だ。


 今どきの男らしく、痩せていて精悍とした顔つき。

 浴衣の女性と腕を組んで歩いていたろうか。


 きっと僕は川下の栄養になるのか。

 では、誰に食われるというのだろう。

 どのように食われて消えてゆくのだろうか。


 終りを思うと、余計に視界が狭くなった。

 前を見るのがつらくなってくる。


 また、手のひらの四角い窓を覗いた。

 情報の青い川は、少し見ない間にも流れてしまう。


 情報の、短い文章の体をした魚たちはなすすべもない。

 あっという間に下流へ流れて、忘れられていく。


 四角い窓はまるで、水中をのぞく窓のように見えた。

 川遊びをする子供のように、傍観者の僕はまるで無責任だ。


 目立たんとして、奇特にふるまう魚。

 大きな魚の陰に隠れて見えなくなる魚。

 たかられて、ほかの魚たちの餌になる魚。

 彼らもまた弱い鮎のように、消えていくばかりだ。

 現実の川と、大した違いはない。


 打ちひしがれた。

 逃げられない。

 僕は川から逃げることはできない。


 顔を再び上げると、着飾った魚の群れが過ぎ去っていく。

 時間の川の中を。


 身なりの貴賤や顔立ちの如何はもはや意味もない。

 その先に待つ何かに焦がれて彼らは泳いでいく。


 目を細めないとつらくなるくらい、彼らが輝いて見えた。

 対する僕は何だ。

 泳ぎもせず、食われる覚悟もなく、漂うだけ。

 藻くずか石ころもいいところだ。


 ただの石ころが下流に向けて転がり落ちていく姿など、何が面白い。

 誰の目にも止まらなくて当然じゃないか。


 そうだ。

 味のない石ころをつつく、物好きな魚などいはしないのだから。

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