応援コメント

第194話 本を読むめくるページが進まずにただ痛みのみ内に響きて(短歌)」への応援コメント


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    ふむ<(ーー )

     すべての事象は たかきからひくきものへと 移り行く

     それは有象無象問わず。
     内面を遷す言葉、文字の羅列である文学、文章、文芸作としての書籍・本。

     つまり、そういうことなのだろう。
     積読。。。するか、古書として売り払うか、焚書するかだろう。
     遺すに値するものかどうか、処断を要するものというところか。

     古来、書籍化するということの価値。消えてしまうことばや後世に伝え遺す価値を認められた事象を文字として書き留め、稀少な紙、革、その他記録媒体に労力をかけ遺すことの意味、価値が、現代・現在は無きに等しいものになってしまったということなのだろう。
     取捨選択、フィルタリングなしに味噌糞一緒に文字として残す。
     無象の感情をことばに表現に、文字に洗練、昇華させることなく・・・

     それが良いことなのかどうか。
     いろいろな段階、ひとを介することで生ずるフィルタリングの網をすり抜けて到達した結果、残滓が今在る形、モノ、表現であるというのであれば、作者・執筆者と読者の間に介在するモノが読み手にとって好ましいものではない・合わないということなのだろう。
     出版物として巻末まで、読み進められないものを出すことは、ある意味、<失敗作品>。
     結果、最後のフィルタリングとして、捨て・廃棄になるのだろうなぁ

     紙媒体の場合、手もとに遺すもの、金を払って購入する場合、全体にひととおり目を通してから、選択していたようにおもう。
     電子化書籍が主流となる中での功罪、風潮と捉えるものではないかなぁとおもうがいかに。

     日本語という言語が持つ特殊性。扱う者話す者書き残す者それぞれに高い知性技能技術を要する言語だとおもう。
     それを扱いきれない人の結果、成果ではないでしょうか。
     それゆえに、575、57577の文字数の中に世相心情風景感情etcを濃縮昇華させる俳句・短歌はもっとも洗練された文化作品とされるのでは?

    >>>追記<<<
     一部当方に勘違いがあったようです。(-_-;)>アハハ
     
     アナログとデジタル。。。音楽の分野で早くから論争のタネにはなってましたねぇ<(・・;
     結論的には、音質に拘り、金のある富裕層においてはアナログ回帰してますね<(^^;
     まぁ、リスニングルームだの、スピーカーだの、音響特性だの、真空管アンプだの。。。こだわる人はとことんこだわり金が懸かるものですしねd(ーー;
     音が聞こえりゃそれでよいって輩には、量産品でも高性能低価格品で十分なこともありますしね<(・・
     何より、聞く側の聞き分けるだけの、識別できるかどうかという<質>もありますからねぇ<(・・;
     そういう意味では、アナログデジタルの話は、決着を見てるわけですが。

     書籍、記録媒体としてのアナログ、デジタル論争は未決状態ですね。
     変化が激しいものについては、デジタルの即時同時発信性は有意に在りますし、長期記録保存性、改鋳改ざん防止の点ではアナログ、紙媒体ですしね。
     その意味では、今後も、特性に合わせた棲み分け、使い分けが為されて、並列併用併存となるでしょうねぇ。

     漫画、文芸作品、時勢もの;デジ・アナ併売、デジタル保存
     公文書、技術書:アナログ記録主体のデジタル配信

     ではなかろうか、と考えてます。
     なにより、趣味趣向の世界にエコは要らねぇ~!!と考えてますから(⌒▽⌒)アハハ!
     
     

    作者からの返信

     ご感想ありがとうございます。
     しかしながら、本が悪いという訳ではなく、単純に頭痛がちで集中力が続かず読むのが辛いだけです……すみません。
     それでも、定期的に読書をしていないと知能が低下しないかと心配になりますので、やめることはないと思います。最近はちょっとした小説本にすら数週間かけることもしばしばですが……。

     小説投稿サイトを使っておいてなんですが、私は紙の本の方は好きです。
     なんでもデジタル化、アナログは古いという考えも、今一度立ち止まって社会全体で見直す時期にあるのかもしれませんね。