事故物件と限界オタク

杉浦ささみ

四畳半とパックごはん

 ボロアパートの散らかった四畳半に貧相なテーブルを置いて生活している。壁は薄い。雑に生きるだけなら過不足はない部屋だ。ただ、ちょうど真隣にある○○号室は事故物件だった。数年前に会社員の遺体が発見されたらしい。夕日に染まった窓際で、赤黒い血を流して息絶えていたそうだ。


 そんな話をアパートの契約時に念押されたが、私は気にも留めなかった。安いに越したことはなかったからだ。ここに来て数か月経つが、今だに怪奇現象の類は起こっていない。ちなみに例の隣室も一度は検討してみたが、床に付いた血糊が厭で選ばなかった。事故物件と呼ぶには、あまりにパンクな血痕がついていた。


 そんな惨劇と隣り合わせに、今日もいつもと同じようにパック飯をチンしてレトルト牛丼をかけて食べた。西日が差す真っ赤な6時半だった。ふと私は食卓に精神的な副菜が欲しくなってきた。スマホを取り出しサブスクでアニメを見ることにした。陳腐な飯を口に運びながら立てかけたスマホを覗く。


 『はなまる!』というアニメを見た。広瀬という友人に薦められたもので、いわゆる日常系らしい。私には日常系というものがよくわからなかったが、飯のおともとして嗜むには調度良い雰囲気だと思った。三人組が集まって駄弁っている。その中で、アホ毛で八重歯のアホの子がかわいいと思った。彼女の突飛な発言が、3人の距離感に絶妙な引力を生み出す。アニメーターの技量もあってだろうか、取り留めのない会話に言いようのない温もりを感じた。それどころか、彼女達は散文的な日常の中にすら何にも劣らない輝きを見出していたような気さえした。なんてことを広瀬は言っていた気がする。分からなくもない。そのアニメはそれといった起伏を迎えないまま、1話のエンディングを迎えた。


 ふと窓の外を見ると、通りの家々に薄明かりが灯っていた。電柱の前を自転車がふらふら通り過ぎ、遠くには犬の声が聞こえた。なんとなく、いつもは感じないような孤独を覚えた。アホの子も、ツッコミキャラも、癒し系もいない。ただ、薄汚れた壁があるのみ。漠然とした不安を抱いた私は、シャワーもせずに寝ようと決心した。その時、隣室から微かに物音が聞こえた。聞き間違いとは思ったものの、しばらくは息を殺すことに徹した。


「ぅぅ」


 確かに人の声だった。唐突に、縊死寸前の如し猛烈な緊張が襲いかかってきた。すかさず私は狂ったようにスマホを取りだし、大家に訊いた。


「もしもし○○です。 あの、私の隣って誰か越してきたんですか」


「いやぁ、誰も来てませんよ。 なんたって事故物件ですからね」


「実は物音がするんです」


「じゃあ幽霊じゃないんですか、はは」


「そうかもですね、はは」


 はは、じゃない。その後、電話を切った。湿った気配が漂う暗室で、一縷の打開策を考えあぐねていた私は、再びスマホを取り出した。先ほどのアニメの続きを見はじめたのだ。音量を上げて、うずくまって、震えながら視聴に望んだ。隣人がいたら確実に迷惑がかかるくらいの音量だ。OPが終わる。感情の波が穏やかになっているのが分かった。しかし、何の成り行きか、アホの子が、唐突にホラー映画を見ようと言い立った。暗い部屋で、三人集まってビデオを借りて観るというのだ。フィクションと現実が直結した。画面越しの安寧を自我がぶち破る。私はすかさず電源を切った。


 またこの沈黙だ。私は泣きたくなった。


 すると、隣から再び声が聞こえてきた。顔が歪むほど歯を食いしばったが、今度は優しい声だった。


「『はなまる!』好きなんですか?」


 突飛な質問に唖然とした。束の間、時間が流れるのすらも感じ取れなかった。そしてその声は一方的に語り出した。


「何年前だったかな、私が地に足ついてる頃にですね、ものすごくハマってたアニメがあったんですよ。バトルもので戦闘シーンがかっこよくて、毎話毎話が楽しみだったんです。でもですね、とある回で私の推しがですね、戦地に向かったまま帰ってこなかったんです。それってどういうことだと思います? そうです、死んでしまったんです。定められた脚本の中で推しは命を賭けて戦ってくれたんです。背負ってるものも重かったんですよ。当時私はひどいストレスの中で生きていて、推しの存在が唯一の生きる希望でした。だから私、事実を受け入れられなくて、発狂したのち絶命しちゃいました。死因は覚えていません。でもショック死とか自殺とかだと思います。こうして私は根無し草。未練を持ったまま、アパートの周りを彷徨ってました。それから私、しょっちゅう人ん家の壁をすり抜けて、勝手にアニメを見させてもらってたんです。でも、臨終して総て悟ってたのかな。なにもかも面白いとは思えませんでした。成仏もできないまま、私は呆然と過ごしていました。でも、そのとき『はなまる!』に出逢ったんです。私ですね、この世界が天国だと思ったんです。さ迷えるたましいとして無為な暮らしをする私が望んでいたのは、苛烈な刺激ではなく、小さな器に満ち足りた愛だったんです。縋って手に入れた訳でもない些細な幸福をただただ享受する様を、第三者として見ているだけでよかったんです。あの子にもこの世界で生きて欲しかったです」


 相づちを打つ暇を与えない姿勢に正直当惑していた。


「ちなみに私はゆきちゃんとななみちゃんのカップリングがとくに好きなんです。いわゆる『ゆきなな』です」


 よくわからないが推しが複数人いるなんて欲張りなやつだと思った。そしてその声は深呼吸のあと、最後に少しだけ語った。


「私多分、『はなまる!』が終わったら、とてつもない多幸感に満たされて成仏すると思うんです。勘なんですけど。でも彼岸ではあの子の笑顔に立ち会える気がします。だから、それまでよろしくおねがいします」


 全く意味不明だったが、悪霊ではなさそうな気がした。もう恐ろしい静寂は息をひそめていなかった。私は、牛丼のつゆでふやけた白米を、おもむろに口に運んだ。悪くはない味だった。


 月曜日の朝、ゴミ出しのついで、隣のドアの前に数冊の漫画を置いた。広瀬の協力を経て『はなまる!』みたいな漫画を探した。霊体だと本屋にはいけないだろうから。引っ越しそばとお供えのつもりだ。その声の主が実体をさわれるかどうかは分からないが、どのみち触れなかったとしても後で謝ればいいと思った。

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事故物件と限界オタク 杉浦ささみ @SugiuraSasami

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