あの娘が眠ってる

原野誰

1話完結

2018/10


 ニコルソン・ベイカーの本に「何を思っても、感動しても、子供の頃に体験した感動に『拠って』しまう、子供の頃の感動が発動する前に、大人になっても『純粋に』感動するにはどうすればいいのだろう、そして、この場合いつから『大人』になるのだろう」というような事が書いてあったのをふと思い出した(読んだのは大分昔の話なので、多分不正確な引用だと思う)。私の場合「大人」になったのはいつだろう、と考える。華やかな共学の中学校生活から一転、比較的偏差値の高い男子校に入り、自分の頭の悪さを実感し、男子校特有の体育会系のノリに乗る事ができず、心から喜び合える友達もできず、当然のことながら彼女もおらず(男子高生が女子高生と付き合うというのは都市伝説かと思っていたが、後に、実際にそういうケースが実在したという事を当時の友人から聞いて驚愕した。僕の高校は、すぐ近くの女子校と姉妹校になっていて、一年に一回「交歓会」という名の、バドミントンをして、教室で薄ら寒い会話を交わすという空虚なイベントが生徒会主導で開催されているくらいで、LINEもない時代、連絡先も気軽に交換できず、たった2時間の触れ合いで親しくなるなどありえないと思っていたのだが、聞いた話によれば、放課後に図書館に勉強をしに行くと、必ずそこに女子高生がグループで勉強していて自然と仲良くなり付き合ったケースが多々あったという。あの暗い三年間は一体なんだったのだろう! この文章を少しニコルソン・ベイカーのようだと思う人がいるかもしれないが、恩田陸だって「インプットをして、それにインスパイアされることが書くきっかけになる」と確か言っていて、実際ジャック・フィニィの小説『盗まれた街』のような、あるいは映画『ボディ・スナッチャー』にそっくりな小説『月の裏側』を書いているのだから、これでいいのだ)悶々としながら、ひたすら家で音楽を聴いていた。私はその頃、「卑屈」そのものだったと思う。中学生の時に生徒会長をやっていた、晴れやかで、のどやかな気持ちを忘れ去ってしまった。私は高校に進学し、自分は他人にどう思われているのだろう、きっと誰もが自分を見下しているに違いない、という自意識が過剰に爆発してしまい(そしてそれ以降もずっと)に女性と全く話す事ができなくなり、そしてマンガやプロレスなどをはじめとして、趣味や性癖など何でも共有したがる「男子らしい趣味」を楽しむ気持ちも分からなくなり、華やかだった中学時代の記憶が頭の中に襲いかかってくる。あの頃は「光」だった。今はずっと闇の中だ。だから私は音楽を聴く。音楽を聴いている瞬間だけは、自分が卑屈になってしまった事を忘れられる。私は、いわゆる「クラシックな音楽」(クラシック音楽ではない)を聞かないようにしている。過去に好きになった音楽も聞かない。その音楽が耳が慣れるとすぐ売ってしまう。音楽と記憶は密接に結びついていて、あの頃の音楽を聴いても嫌な気持ちになるだけだから(予備校生になってバイトをし始めてからは月に15万円程レコードを買って気に入ったものは数回聞いてDJをする時に使い、その都度変わっていく自分のDJスタイルに合わないなと感じた曲、勢いだけで買ってしまった流行りの曲はどんどん売ってしまった。それを繰り返していたおかげで、記憶と音楽の感動の繋ぎ目はこの頃から曖昧になっていく。それが良かったのか悪かったのかは自分では分からない)。「中二病」と言う言葉があるが、私にとってその言葉は大分呑気に聞こえる。中学時代が「華やかだった」と言ったが、高校時代以降に比べたらそうかもしれなかっただけで、当時も来ている服はダサかった(ダサい事は分かっていながら兄のお下がりのケミカルウォッシュのジーンズを履いていて、それがいやで学校のジャージを終日着ていたのだが、止むを得ず休日に外出せねばならない時にばったり友達に会うと、今思えばお洒落でもなんでもなかったーー真っ青なデニムの上下にドクターマーチンーー彼の私服にとてつもない羨望を覚えた)。包茎だった。自分の容姿が醜いと思っていた(でも一度だけ告白されたこともあったしーーよりによって僕が好きだった女子から『(その彼女の友達の)あの子、本当に原野君のこと好きなんだから!』と代理告白された事は本当にショックだったーー卒業式が終わった後、第2ボタンをもらいに来る女の子もいた。その2人に対しては何の感情も起こらなかった)。心を許せる友達がいなかった。中学の時は、学校に行けば僕の冗談に男女ともに笑ってくれ、成績も常に上位だったから、どちらかと言えば人気者の部類に入っていた、というだけに過ぎない。中二の頃の自分を思い返すと、音楽を聴いてオナニーをしていただけのように思える。オナニーは確か日に10回はしていたと思う。確かヘミングウェイか誰かが、包茎手術をすると快感が損なわれるので手術をしなかったというのを昔何かで読んだのだが、きっとそうなのだろう、私の包皮は快楽のために都合よく自在に伸縮してくれたから(ただ包皮の「口」の部分が狭過ぎて、ひたすらしごいた後はとても痛くて、血が滲んでいた)。包茎手術をしきりに勧める広告を頻繁に目にするが「包茎は忌み嫌うべきもの」という、世の男性が信じ切っている阿呆のような考えが流布しているせいで、私は包茎の事を誰にも話せず、それによって誰にも心を開く事ができず、その記憶を封印してしまい「今となっては笑えるのような馬鹿馬鹿しい行動」をしていたのを思い出す事ができない(一つだけ覚えていることがある。ティッシュのボックスを空にして、クシャクシャになったティッシュを詰め込み、そこに挿入し腰を振っていた。これは「中二病」に当てはまるような気がする)。中学生になる前はどうだっただろう。小学生の頃のことで思い出せるのは音楽のことばかりだ。私は八十年代に商業ロックとして復活した元サイケバンド、スターシップが大好きで「シスコはロックシティ」「セーラ」が収録されたアルバムをテープが伸びるまで何度も聞いた。昔のFMラジオではアルバムの全曲を放送する番組があり、そこからエアチェックしてまとめたものだ。当時私の叔父は喫茶店を営んでおり、店内には最新のオーディオ機器が揃っていて、今は亡きFM雑誌で番組表に書いてある放送予定曲にマーカーを引き「これを録音しておいて欲しい」と頼むと、次の日にはテームに落としてくれていた(昔のFM雑誌の番組説明欄には放送予定の全ての曲が記してあった)。しばらくしてスターシップの名曲「愛はとまらない」が映画『マネキン』の主題歌としてリリースされ、作者であるダイアン・ウォーレンの名前を知り、チープ・トリックのアルバムの中にも彼女の手による楽曲が収められていたりして、積極的に彼女の曲を探して聴くようになった。主人公がマネキンの「女性」に恋をするという『マネキン』が大好きだった。こういう風に無垢な女性に愛されたい。しばらくダイアン・ウォーレンの事を忘れていたある日、『スケルトン・ツインズ 幸せな人生のはじめ方』という映画(2014年製作・DVDスルー作品)を見たところ、「愛はとまらない」をツーコーラスまで口パクで歌い切るという素晴らしいシーンがあり、定額音楽配信サービスSpotifyに登録し、ダイアン・ウォーレンの名曲の数々をまた聴くようになった。おや、先程は記憶を封印したと言っていたのに、名曲を聞くと昔の無邪気な時代と、そうではなかった時代を思い出してしまった。どうやら「今の自分」と当時の記憶は、どうやっても切り離せないようだ(Spotifyには何故か中学や高校の時に聞いてきた曲を言い当てられてしまう「Your Time Cupsule」という機能があり、そのプレイリストを聴くと非常に屈折していて、同時に甘酸っぱくもある想い出が同時に訪れる複雑な感情が湧き出してくる)。高校時代の学園祭を思い出す。私が行っていた進学校では、理系を放棄したクラス、つまり私立文系が後夜祭のイニシアティヴを取るのが伝統的だった。私が高校一年生の時に、ステージでの騒がしいパフォーマンスの後(当時男子高生の中でプロレスが流行っており、私立文系のクラスの代表が、大仁田厚の素晴らしさについて演説をしていた。そしてRCサクセションの「雨上がりの夜空に」を全員で合唱した。私はその歌を全く知らず、そもそもRCサクセションの存在を全く知ず置いてけぼりをくらった)突然ピアノの演奏が始まった。あまりにも唐突過ぎるパフォーマンスだと感じた低学年の生徒たちからブーイングが起きた。それを私立文系のヤンキー風の男子が「お前ら黙って聞け!」とマイクでがなりたてた後、流暢な旋律が体育館中に響き渡り(確かドビュッシーだったと思う。ドビュッシーならクラシックに無知な人間でも感動するのは当たり前だ)演奏が終わった後には、全生徒から大きな拍手が沸き起こった。ただ、私には東京藝術大学付属校高校のピアノ科に通っていた妹がおり、いつも家にいる時に彼女の演奏を耳にタコが出来る程聞いていたので、取り立てて優れた演奏には聞こえなかった。人は、少しでも自分が経験していないものを目の当たりにすると、簡単に賞賛の念を感じるものだ。私は常に、経験していないものに遭遇して驚きたいと思っている。ギターの演奏やダンスパフォーマンス(当時「元気が出るテレビ」というビートたけしがMCをしていた番組があって、その番組内の企画で「高校生ダンス選手権という企画があり、昼休みや放課後に練習をしていた生徒が少なからずいた)にしてもそうだ。自分ができることには驚きを感じない。他人の脳みそから出てくる考えや、自分が訓練したとしても再現できそうにない身体的な能力に触れることで、驚きや感動というものは生まれる。ギターを練習したことがあったが、自分が弾ける演奏は、あくまで自分がコントロールできる範疇のものでしかないので、退屈してすぐにやめてしまった。シーケンサーによる打ち込み演奏もかじってみたが、それもあくまで自分の中から出てくるもので、曲を作る達成感はあったが(iPhoneの簡単なシーケンスアプリGaragebandをいじって20曲程作る程には熱中した)、それほど感動を覚えなかった。何かを表現する人というのは、何をモチベーションにして取り組んでいるのだろう?ということを、聞き飽きたCDやレコードを売りに出す時に、いつも考える。自分が出来ない事、自分で自分に感動すること。仮に自分が上手く歌えたり、ギターを弾けることを妄想して、自分がステージに立つ事をぼんやりと考える。市が主催する「パワー・ポップ演奏会」というものが開催され(念のため書いておくと、これはあくまで私の妄想の中の演奏会である。パワー・ポップというのは、ザ・フーの流れにあるようなポップなロックンロールのことだ)そのオーディションを受けるのだ。いや、自分がステージに立つというよりは、そのオーディションのシーンを映画で監督することを夢想する。開催場所は市民体育館で、入り口には「パワー・ポップ演奏会 オーディション会場」と筆書きされている。染谷将太が演奏するのはイナフ・ズ・ナフの「アイ・グッド・ネバー・ビー・ウィズアウト・ユー」。ボーカルは高校生役の私こと染谷将太。ギターは元メガデスのマーティ・フリードマン。ベースとドラム担当はすぐには相応しい演奏家は思い付かないが、ヤバイTシャツ屋さんのメンバーを取り敢えず配置しておく。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中のオーディションシーンをご存知であれば、その審査員をヒューイ・ルイスから元ビート・クルセイダーズの日中央に置き換えてもらえばよい。彼が拡声器を通して「次!」と告げると、各メンバーがステージに現れる。固定カメラは、やや寄り目に彼らを正面から捉える。染谷将太が画面中央にスタンバイして、ベースとギターはボーカルのすぐ横に立っているが画面には半分ずつしか映っていない。「よろしくお願いします。曲はイナフ・ズ・ナフの『アイ・グッド・ネバー・ビー・ウィズアウト・ユー』」と自信がなさそうに染谷将太が審査員に告げる。メンバーは皆ドラムの方に振り返って「ワン・ツー・スリー・フォー」とカウントを取って演奏を始める。歌詞はメンバー全員で邦訳したものだ。自分たちでも「悪くない、練習の時よりも一体感がある」と思っている。演奏は2コーラスを終えると、少しメタルがかったギターソロが始まる。ポップスにおけるギターの役割とはなんぞやをよく分かっているマーティ・フリードマンが、フレーズに独特のヴィブラートを加えると、自分たちの中に熱いものが込み上げてくる。盛り上がってきて3コーラス目を歌い出そうと染谷将太がマイクに顔を近付けると「はいはい、演奏やめて」と日高央が拡声器を使って呆れたようにこう告げる。あのさあ、イナフ・ズ・ナフってヘアメタルバンドでしょ。なにこのギターソロ。LAメタルじゃん。これ何のオーディションかわかってる?パワー・ポップでしょうが。それに対して染谷将太が「いや、ウィキペディアにもパワー・ポップって書いてあります、ビートルズ以降のバンドらしいメロディだし、確かにルックスは派手でメタルみたいですけど、アルバムには……」と説明しているのを遮って、日高央が冷酷に「次のバンド!」とがなる。彼らはステージからトボトボと舞台袖に引っ込む(確かにこの曲は所謂「パワーバラード」の雰囲気がありハードロック調ではある。80年代で終焉を迎えてしまった最も偉大な文化はパワーバラードであると思う。細い線のギターフレーズまたは荘厳なシンセサイザーがイントロに流れ、緩やかなドラムビートが加わる。しっとりとした歌い出し。高揚感のあるサビのメロディ。伸び伸びとしていて少しだけ荒々しさを孕んだギターソロ。方程式が確固として存在している商業用の音楽ツール。染谷将太が最も素晴らしいパワーバラードだと思う曲はジャーニーのギタリスト、ニール・ショーンが組んだスーパーグループ、バッド・イングリッシュの「フェン・アイ・シー・ユア・スマイル」だ。この曲の作曲者は前述したダイアン・ウォーレンである)。次のバンドの準備が終わり、ボーカルがマイクで曲名を告げる。「クリス・ベルの『アイ・アム・ザ・コスモス』です」。間髪入れずに日高央が「合格!」と言う。染谷将太が唖然としてステージを振り返る。確かに夭折した天才クリス・ベルが所属していたビッグ・スターはパワー・ポップの元祖と言われているが、チープ・トリックこそパワーポップだと思っている染谷将太は(ベーシストが実質的に不在だった中期の曲「アイ・キャン・テイク・イット」を特に好んでいた。「中期」と時期的な区切りで書いてしまったが、彼らには初期も後期もない。「永遠の愛の炎」以外ーー商業路線のアルバムではあるが優れたポップスを収めた名盤でもあるーー彼らはずっと変わらない)クリス・ベルはパワーポップト呼ぶには繊細すぎる気がする。それならゾンビーズだってパワー・ポップになってしまう、と思ったが(確かにイナフ・ズ・ナフを知ったのは、伊藤政則や和田誠が出演していたメタルを扱う深夜番組「ピュア・ロック」でかかっていたPVがきっかけだった。これは彼の父親が録画していた大量のビデオテープの中から探し出した素晴らしい番組で、流れていた音楽はどれも心躍るものだった。特にモトリー・クルーの「ドクター・フィールグッド」のイントロにどれほどドキドキさせられたか!)、自分たちはオーディションに落ちたのだ、愚痴るだけ無駄だ。体育館から出た彼らは、それぞれの楽器を持って、車高の高い軽自動車に乗り込む。そのまま30秒ほど無言でいたがドライバーのドラム担当がカーオーディオのプレイボタンを押す。流れてきたのはパワー・ポップとオルタナティヴの奇跡的な邂逅とも言うべき名盤、ザ・ポウジーズの「フロスティング・オン・ザ・ビーター」だ。染谷将太(ずっと彼の名前を使って文章が綴られているが、有名人の名前を使ったとしても、偶然に一致する名前だという事もあるだろう。ジーン・ウルフの複雑なミステリSF小説『ケルベロス第五の首』で「V・マーシュ」という名前が使われているが、この名前はジャック・フィニィのSF小説『ゲイルズバーグの春を愛す』にも登場する。ある著名な英米文学者にこの事を指摘した所、単なる偶然だ、と一笑に付せられてしまった。つまり登場人物の名前を決める理由というのは、その程度のものなのだ)が中学時代に通っていたレコファンで、店内に流れていた楽曲に衝撃を受け、勢いで二枚買ったCDだ。一枚は自分用。二枚目は友達に貸す「布教用」だ。マーティ・フリードマンが呟く。「やっぱりこういう方が良かったじゃん?」。でもケン・ストリングフェローとジョン・オーアーの様には美しく歌えないし、恐れ多くも染谷将太が彼らの曲を仮に歌ったとしたら天罰が下されて、今乗っている軽自動車で事故を起こすかもしれず、メンバーの命があっただけで有難いことだと自分をなんとか納得させる。やはりイナフ・ズ・ナフはベストな選曲だった。でも彼らの曲で本当に一番演りたかったのは「マザーズ・アイ」だった。染谷将太はいつも「マザーズ・アイ」を聴くと、その曲がBGMになっている架空の映画のオープニングシーンを想像する癖がある。映画の始まりは、朝日が全く差し込まないようきっちりとカーテンがかけられた真っ暗闇の部屋の中。午前七時になるとスマホがアラーム音を発しディスプレイが微弱な光を発する。その光で、彼が枕元にスマホを置いて横臥しているのが分かる。画面にはスマホと彼の肩から上の部分しか映っていない。彼は手を伸ばしアラーム音を終了させる。次のシーンでは学生服を着た彼が玄関のドアを開けるところをが映される。カメラは正面から彼の腰から上を捉えていて、学校へ歩く姿を(彼は徒歩で学校に通っているのだ)長回しで捉える。歩きならポケットからスマホを、バッグの中から二万円程で買ったオーディオテクニカの折り畳み可能なモニター用ヘッドホンを取り出し、首にかける。ヘッドホンジャックをスマホに挿入し、ヘッドホンを耳に被せて、プレイリストの中から「マザーズ・アイ」の曲名をタッチする。静かなギターのフレーズが10秒ほど流れた後、音楽は激しいギターリフに支配され、ハスキーな声のコーラスが重なる。その瞬間、映画のタイトルが彼の姿に大きく重なる。天気は快晴。空の青色の上に、次々と演者の名前がクレジットされる。染谷将太は自然と笑顔になる。通りが軽るゴミ出しをする近所のおばさんに手を挙げて挨拶する。いつも下校途中に肉屋のコロッケを買うと必ず出くわすサラリーマンがいて挨拶を交わすくらいは顔なじみになったのだが、駅に向かって逆方向に向かうそのサラリーマンに目を合わせて軽く会釈をする。10人程度に挨拶を繰り返して、学校の門に着くと音楽は終わり、画面は暗転する。「マザーズ・アイ」はそんなシーンにぴったりだ、といつも思っている。いや、中心人物のクリス・ステイミーが脱退した後にヒットした、同じくパワー・ポップのバンドDB’Sの「ア・スパイ・イン・ザ・ハウス・オブ・ラブ」でもいいかもしれない。能天気なこのヒット曲は、あまり話題にならなかったハリウッド製のご機嫌な学生映画の始まりにぴったりだ。彼はポピュラー音楽が流れる映画にはとても敏感で、中学生の時にテレビで流れていたブライアン・デ・パルマの『カリートの道』のサウンドトラックが最高にイカしていると思っている(後にディスコ音楽にハマったのも、この映画の影響だった。何と言っても現役のレジェンドDJ、ジェリービーンが音楽監修をしているのだから。そしてヒロインとのキスシーンでジョー・コッカーの「ユー・アー・ソー・ビューティフル」が流れた時の感動といったら! デ・パルマが撮った一番の駄作と言われる「ミッション・トゥ・マーズ」も染谷将太のお気に入りで、何故かといえば無重力の宇宙ステーション内で男女がダンスをするシーンがあり、そこでヴァン・ヘイレンの「ダンス・ザ・ナイト・アウェイ」ーー邦題は「踊り明かそう」ーーがかかるからだ。現代を舞台にした映画でオールディーズ音楽がかかるように、SF映画の「オールディーズ」として80年代のハードロックを、しかもダンスシーンにこれ以上ない程マッチした曲を流すなんて、なかなか気が利いてるじゃないか)。二番目に「なかなかいいじゃないか」と思った映画はダーレン・アロノフスキーの『レスラー』だった。レスラーとして現役を続けるには少し歳を取ったミッキー・ロークがダイナーのウェイトレスと話していると、店内に80年代LAメタルを代表するバンド、ラットの「ラウンド・アンド・ラウンド」が流れ始める。イントロをバックにミッキー・ロークは「ニルヴァーナが音楽をダメにしちまった」と言い、ウェイトレスはそれに同意する。自然に二人は踊り出す。そのシーンを見た時染谷将太は深く頷きつつ、グランジも悪くはなかったけどね、と思う。ニルヴァーナよりもマッドハニーが何と言っても最高だった。「レット・イット・スライド」におけるシンプルで薄汚れたギターリフを永遠に聞いていたくて何度もリピートした。でもパンクはいただけない。ビートルズも駄目だ。あんなものはテレビや雑誌が作り上げた虚像でしかなく、本当に彼らの音楽が好きで聴いている人なんてほとんどいないだろう。単に「どうやら世間的に古典と言われているし評価が高いから」という理由に過ぎない。評論家の連中に「マスターピース」と評される音楽にはろくなものがない。それよりも小林克也のヒットチャート番組「ベストヒットUSA」でPVがかかったことがあるかどうかが大きな問題だ(これも父親のビデオテープコレクションから発掘した番組だ)。これまでの文章で明らかなように染谷将太の聴いている音楽の趣味は父親の影響で、彼の年代にしては古臭いものばかりだったが、自分好みの曲を集めたコンピレーションCDを焼いては中学の同級生に(一つのコンピ盤につき10枚程)配り歩いていた。少し恋をしていた、女子カーリング日本代表の藤沢五月に少し似ていて、周りにいた女子中生の平均よりほんの少しだけ太っている女子にも勿論CDを渡した。「染谷君って古いの好きなんだ、なかなか良かったよ」とお返しに貸してくれたのがストロベリー・スウィッチブレイドだった。家に帰ってパソコンで聞いてみると、自分が聞いている音楽よりも更に古臭い気がした(私も好きだった女子にストロベリー・スウィッチブレイドのアルバムを録音したテープをもらったことがあるが、自分から積極的に好きになったもの以外のものに全く興味がなかったので結局聞かずに終わり、大学生になって東京への引っ越しをするために断捨離をしている際、そのテープを見つけたのだが、既に自宅にはテープデッキがなかったので、そのまま捨ててしまった。今この文章を書きながらSpotifyでアルバムを聴いているのだが、昔好きだったテリー・ホールが関わっていた頃のバナナラマを想起させられて、なかなか悪くないと思っている)。染谷将太は家に帰るとフェンダーのギター(金持ちではないので当然フェンダー・ジャパン製である)ジャズマスターで早弾きの練習をしている。バイトで貯めたお金を握りしめて高2の時に御茶ノ水の楽器店へ買いに行った。ずっと欲しかったメタリック・ブルーが眩しいボディ。ジャズマスターを選んだのは、フィードバックノイズが特徴的なシューゲイザーの元祖マイ・ブラッディ・バレンタインが、NYのアンダーグラウンドシーンを支えたソニック・ユースが、そして日本におけるシューゲイザーの元祖的存在であるDIPのリーダーヤマジカズヒデが使っていたからだった。でも、その見た目に憧れていただけで、実際に演奏したかったのはスラッシュ・メタル・バンド、メガデスの「トルネード・オブ・ソウルズ」だった(だから黄金期のメガデスのリードギタリストだったマーティ・フリードマンとバンドを組むなんて夢のような出来事なのだ。「トルネード・オブ・ソウル」のギターソロは演歌のフレーズを巧妙に取り入れていて、一度聞いたら忘れられないメタル史に残るギターソロだと思う)。アンプは店員に勧められるがままマーシャルの二万円程度のものを購入した。「お客さんが弾きたいのはどういったものですか」と店員に聞かれたので初心者として無難な答えかと思い「ウィーザーみたいな音楽とか……」と答えると「じゃあこのギターでいいと思いますよ。最初はカバーから初めるといいですね、スコアを買っていかれますか?」と聞かれたので、棚にあったウィーザーのスコアを店員に手渡した。しかし、こちらがお金を払っているのに店員に何故気を使わなくてはいけないのだ、と思い直し、ウィーザーのスコアを引っ込めて「やっぱりこれにします」とメガデスのアルバム「ラスト・イン・ピース」のスコアをレジに置いた。店員は「僕もメガデスのコピーバンドをやっているんですよ」と上ずった声を出した。顔には、引きつったような苦い笑顔が張り付いていた。ギターは手に入れたものの、染谷将太は本当は楽器を演奏したいという強い欲望があるわけではなかった。ギターの練習は1ヶ月で止めてしまった。染谷将太には夢がなかった。何かのために何かをしなければ。でも、何のために?何をすれば良いのだろう?染谷将太は中学生の頃は小説家になりたいと思っていた。書きたいものもないのに。国語の授業の成績は悪く、特に「この文章は何を表しているのでしょうか」といったテスト問題が特に苦手だった。どうせ読み方なんて人それぞれなのだから、好きに解釈すればいい、好きに読めばいいと染谷将太は考えていて、国語を学ぶ事は「正解」を探し当てることを目的としない読書の喜びを封殺するものではないかという持論を持っていた。そこそこ小説が好きで読んでいて、こういう物語が描きたい、特にミステリーを書いてみたい、自分がミステリーをかけるほどの知性があるかどうか試してみたいという欲求はあったのだが、いざ原稿用紙と対峙してみると、全く筆が進まなかった。「この依頼は要領を得ない。だが今週末に家賃を支払わなければいけないのだ。受ける案件を選り好みできる余裕はない。雨が降っている。夕方までは晴れていたのに。傘もなく、帽子を被りコートの襟を立て家路につこうとスーツ店の入り口の階段を降りていった。濡れた敷石の歩道を足早に歩いていると、自分と同じペースで後ろを歩いている男の存在に気がついた」。染谷将太が書けるのはそこまでだった。原稿用紙の広い空白を一時間眺めていても何も浮かんでこなかった。自分は音楽を聴くし、本を読む。しかし聴いて読むだけのことが一体何に役に立つのだろう? その分だけ脳が成長するとでもいうのだろうか? 染谷将太は焦っていた。20歳になるまであっという間だ。自分には何もない。何か伝えたい、アピールすべきものはないし、何かを伝える術もない。それが悲しい。誰かに自分が自分であることを伝えたい。だが、いくら考えても、書き出した小説の先の言葉が湧いてこない。染谷将太は、小学生の頃はクラスで一番頭が悪かった代わりに想像力だけは人並み以上に持ち合わせていた。国語の夏休みの宿題で「物語を書く」というものがあった。彼はDVDで『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』を見たばかりで(彼は怪盗ルパンとホームズと江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが好きで、自分で書けるものがあるなら、それはミステリーに違いないと思っていた)映画から「謎の地下教団に主人公が立ち向かう」というアイデアを得て、そこに『インディー・ジョーンズ』的な冒険譚と敵役の正体に関するミステリーを紛れ込ませた(スピルバーグが監督及びプロデュースした映画が好きだった。染谷将太が初めて見た映画は、小学生の時、何回か目のリバイバル上映がされていた『ET』だった。映画館の暗闇の中で、奇形の宇宙人=ETが手術室にーー救急車の中だったろうかーー閉じ込められて、ETの胸が赤く光りだすというシーンの緊迫感に、膝がガクガクと震え出し、あまりの恐ろしさに映画館を出て、連れの友達を中に残してゲームセンターに行って暇を潰したという経験がある。それだけ映画というものは観客の心を揺さぶるものなのだ、と染谷将太は思い知った)。その物語の添削を担当していた女性教諭(当然染谷将太はその教諭に恋をしていた。まだ彼女が染谷将太の担任ではなかった頃、廊下を全力で走っていると、ドアから出てきた教諭にぶつかってしまったのだ。彼女は資料をぶちまけてしまい、一緒に資料をかき集めて教諭に渡した。彼女は「ありがとう、でも廊下で走るなよ」と言い控えめな笑顔を残し反対側に去って行った)から褒めてもらったのである。「一体何が謎だったのか分からないところがいいわね」。それから、中学生の時に通っていた塾の国語の課題で「学校での様子をエッセイとして書いてくること」というものがあり、彼は「校舎内にある全ての階段が奇数なのか偶数なのか」について、実際に階段に登って確かめ、その様子を作文に落としこんだ。すると塾の先生から「お前は作家になった方がいいよ」というお褒めの言葉も貰った。たった二つの褒め言葉に真に受けて書こうとしたが全然駄目だった。最後に謎が解決されてスッキリ終わらせるような構造を考え付けないのだ。そして結局「雨の日のロンドン」をほんの少し描写して、さらに3時間ほど頭を悩ませた後、原稿用紙を自宅の勉強机の引き出しにそっと閉まった。数日おきにその原稿用紙に1時間ほど向かいながら白い原稿用紙を眺めても、やはり何のアイデアも思い浮かぶことはなく、再び引き出しの中にしまった。しばらくすると、その作業は日常的なものではなくなり、母親が捨てたのだろうか、原稿(たった数行では原稿とは言えないだろう)は無くなってしまい、自分には文才がないという事実そのものも忘れてしまった(染谷将太は後々になって「ラストに全ての謎が解ける」という正当なミステリーが本当は嫌いだったことが分かった。書けないということは、本当は正当なミステリーに興味がなかったのだ。後に謎を解明するのではなく、謎が謎のまま残される「幻想ミステリー」というものの存在を知って「自分が好きな形式はこういうものだ」と思うようになった。読者を「納得」させずとも「感動」させることはできるのだ。謎がなんであったのか分からない物語に「感動」する読者はきっと少数派だろうが)。書けないのはきっと「作家」らしく原稿用紙を使って描いたからだ。そのうちパソコンを使えば、適当なものがきっと書けるだろう。それに書くことが好きでもないわけで、おまけに才能もないならば努力をしてまで書こうするなんて時間の無駄だ。そこで、染谷将太は考えた。美麗な文章を綴ろうと思わなければいい。文章ではなく「アイデア」を思い付く才能が仮にあるのなら、映画の脚本のようなものは書けるのではないか、その程度のアイデア作成能力があれば……。何故彼が創作物にこだわるのかというと、彼はふとした瞬間に、過去の嫌な思い出が強烈にフラッシュバックする現象に頭を悩ませていたからだ。しかも頻繁に。水泳部にいた頃、女子の水着姿を見て、自分も水着姿のまま勃起してしまい、散々笑われたこと。いじめっ子に男性便所の個室に閉じ込められ、やむなく仕切り板の向こう側にある女子便所に忍び込み、そこから逃げ出そうとしたところを、入ってきた女子に見つかり変態扱いをされ、ホームルームで晒し上げられたこと。真性包茎だったために、トイレで小をしているときに同級生に背後から羽交い締めにされ、クラスの男子の1/3に陰部を晒されたこと、エトセトラ。それを打ち消すために何か無理やり何かに夢中になっていないと、吐きそうになる。創作する事で自分の過去を改竄しなければ。中学の時、祖母が死んだ。そのお通夜の席で、トイレに誘ってきた叔父にレイプもされた。屈辱的な思い出。誰にも打ち明けたことがない。頭が爆発しそうだった。過去のトラウマをカミングアウトするアーティストは沢山いる。トラウマを芸術的に表現して何かの鋳型に落とし込むのだ。最悪のトラウマを抱える染谷将太も、絶対に何かの創作物を仕上げることができる。そして創作の世界に没頭すれば嫌な思い出も忘れられるはずだ。そうだ、映画監督になりたいのかもしれない。染谷将太は中学年の頃に、県が主催する「将来の夢」という作文を公募する大規模なイベントが実施され、採用されると地方紙に掲載されるというイベントが開催された。染谷将太の趣味は古臭く『プロジェクトA』や『ポリス・ストーリー』を何度も見て育ってきたので「ジャッキー・チェンのような主演・監督両方ともこなせる映画人になりたい」と書いたのだが、どうやら落選したようだった。映画監督は駄目か。それならば、まずは音楽だ。自分の人生の中で音楽に触れていた時間は長かった。音楽ならば惰性でも続けられそうな気がした。前述のマーティ・フリードマンと組んでいたバンドを結成したのは学校とは関係のない繋がりだった。アニメ「けいおん!」が流行っても、軽音部を作ろうという動きは校内には全くなかった。自分にもできることがあるだろうと思い立ち、新宿のディスクユニオンの入り口に「メンバー募集」の張り紙を貼り付けた。「ウィーザー等のパワー・ポップ全般。カバー・バンドのメンバー募集。当方Vo。ベース、ギター、ドラム。激しいロックの中にポップの香りを嗅ぎ別けられる人、急募!」そうして都合良くマーティー・フリードマン(ウィーザーのボーカル、リバース・クオモがJポップが好きなあまり日本語で歌うバンドを組んでいる事と、マーティーが、Jポップに惹かれ日本で活動する事を決めた事は、染谷将太にとっては何も意外なところはなかった)とヤバイTシャツ屋さんのリズム隊が集まることになった。イナフ・ズ・ナフの曲を提案すると、マーティーは「いいじゃーん!」と言ったが、他の2人はパワー・ポップの事については全くの無知だった。3人とのスタジオ入りはとても楽しくて、お互いの推薦曲(染谷将太は石崎ひゅーいの「夜間飛行」だった)を演奏しては笑顔になった。一番盛り上がったのはヤバイTシャツ屋さんの持ち歌「あつまれ!パーティーピーポー」だった。若者がビートに合わせて飛び跳ねるためのダンスミュージックEDMの元祖の1組、LMFAOから拝借した「しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、えっびっばーっでぃっ!」という掛け声をあげながら演奏しつつ皆でぴょんぴょんと飛び跳ねて(ドラムだけは少し腰を上げた程度だったが)歌った。マーティーの「最高じゃーん!」という雄叫びがスタジオ内に響いた(スタジオの中は響かないが、そう表現するのがふさわしいくらいに)。そうして高校三年年の夏休みは「パワー・ポップ演奏会」のオーディションと共に終わった。演奏会という目標がなくなった染谷将太は音楽を見失った。染谷将太は夏休みに勉強を全くしなかった。将来についてもボンヤリとしか考えていなかった。夏休みの最終日、実家の縁側でIQOSを吸いながら、やはり僕には何もないな、と思っていた。またフラッシュバック。頭が割れるように痛い。やはり「映画」の夢は捨てられない。今はiPhoneで撮影された映画(例えばLGBT映画『タンジェリン』や特殊効果作家の西村喜廣がプロデュースした『ウィッチ・フウィゥチ』)だってある。本格的な受験シーズンを迎える前に早撮りをすれば、飯をおごるくらいで協力してくれる出演者もいるだろう。彼の高校には映画部はなかったが、数学の担任教師が無類の映画好きで、終業のベルが鳴る前に授業が少し早く終ると、いつも映画の話をしていた。数学教師は『シェーン』が好きで『ターミネーター2』が『シェーン』へのオマージュだという事を何度も熱弁していた。だが数学教師の教えを受けて素直に『シェーン』を鑑賞したのはクラスの中で染谷将太1人だった。そんな教師に映画部設立の話を持ちかけると、目を輝かせて即OKという返事が帰ってきた。染谷将太は女子カーリングの日本代表だった藤沢五月似の同級生に淡い恋心を抱いた以外に恋愛感情を感じることが全くなく、誰とも付き合ったことはなかったが(しかも彼女からバレンタインデーに電話で公園に呼び出さ、一時間待ったが現れなかった。彼女はその一時間前が約束の時間だったと言って笑った。彼はそういったイタズラをよくされていたが、彼女だけは染谷将太をからかうことなどしないと思っていた)「創作物」なら、せめて自分だけでも現実逃避できる映画、幸せになれそうな映画を作ろうと、恋愛映画の脚本の執筆に取り掛かった。恋愛映画なのだから魅力的なヒロインがいい。彼にとってのアイドルは90年代のゴシック・ロック・バンド、デイジー・チェインソーのボーカル、ケイティ・ジェーン・ガーサイドだったのだが、彼女くらいボロボロな服装で、病的な化粧をし、華奢な体つきとインパクトのあるパフォーマンス能力を持つヒロインを学校の中から探し出すのは無理だということは考えるまでもなかったので、まずは世間で評判の恋愛映画作家・三木孝浩の作品を見て、一般受けしそうな理想のヒロイン像を勉強することにした。だが定額制映像配信サービスNetflixで『青空エール』を見たところで映画の中に漂う「恋愛映画の方程式」が陳腐過ぎて殆ど参考にならないことが分かり、映画オタクが登場しているにもかかわらず、将来への漠然とした不安という普遍的なテーマを描いた『桐島部活辞めるってよ』をベースにした物語にすることにした。ヒロインも同映画に登場する松岡茉優がいい。まずは同級生の女子から松岡茉優を探さないといけない。松岡茉優を選んだのは、染谷将太は特に『桐島部活辞めるってよ』に入れ込んでいたわけではなく(まあ世間で言われているように悪くない映画だ)彼女がフジテレビが生んだ最高のバラエティアイドルグループ、アイドリング‼︎!のメンバーだった朝日奈央と親友だから、という理由だ。松岡茉優が高校三年まで根暗なキャラを貫いていたために全く友達ができず、同級生の誰とも話すことができなかったある日、お昼に一人でとろろ蕎麦を食べている時、朝日奈央が「それ一口頂戴!」と声を掛けたことがきっかけで、高校時代の最後の3ヶ月間は本当に幸せな青春時代を過ごした、ジョナサンで下らない話を散々した後にお台場の大江戸温泉で裸の付き合いをした、等のエピソードを知って朝日奈央の太陽のように明るい性格に尊敬の念を抱いていた。つまり元々朝日奈央のファンだったのである(フジテレビはアイドリング‼︎!をBSやオンデマンドの番組にするのではなく、なぜ普通の地上波番組にしなかったのだろうと思う。メンバーの中でピンのバラドルとして唯一ブレイクした菊地亜美は五月蝿くてあまり好きではないが、酒井瞳のスイッチが入った時の自虐っぷりは天才がなせる技だった。一応アイドリング!!!は解散したのではなく「全員卒業」した事になっており、オリンピックが開催される2020年には同窓会が企画されている、とアイドリング!!!の全員が卒業するーー実質的には解散ーースペシャル番組でアナウンスされていたのだが絶対に実現させてほしい。実現すれば、きっと生まれて初めて「生きていて良かった」と思うに違いない。しかし、このようにカッコが続く文章に群像新人文学賞の審査員は呆れ始めているだろう。こういった自己言及的なものが私は好きなのだが、この好みは、いつ形成されたのだろう。自宅の応接室の低いソファに座ったためにスカートの奥が見えそうになっている、親に強制的に加入させられた通信教育塾の営業担当の目を真っ直ぐ見つめながら話しているが、実際には視界の下の方にあるスカートの中、秘密の三角州を意識し過ぎているのと同じような感覚だろうか)。しかし朝日奈央は、恋愛映画のヒロインとしては性格が素直過ぎて映画が面白くならなさそうなので、彼女と仲の良い、少しだけ憂いを帯びている松岡茉優あたりが適当だろう、と思ったのだ。しかしバラエティ番組に出てくる松岡茉優はよく喋る屈託のない笑顔が眩しいお姉さんという印象で、この人選も相応しくないような気もするが、まあ、そういう女優がいてもいいだろう。その前にこの学校内に松岡茉優のような女子がいるのかどうか分からない(とりあえずヒロインにはトイレで用を足すシーンを演じてもらえればいい。彼が最も撮影したい挙動の一つが、ヒロインの放尿シーンだ。パンツを下ろして便器に腰を下ろして音姫のスイッチを入れるシーンを正面から固定カメラが捉える。もちろんずり下ろす真っ白いパンティも確実に捉えている。音姫をオンにしても尿が便器に当たる音は完全に隠す事はできない。用を足すと彼女はウォシュレットの「強」のスイッチを入れる。彼女はスマホを弄りながらウォシュレットを1分程続ける。カメラは微動だにせず彼女を撮り続ける)。染谷将太はラストシーンで映画全体が唐突に変化するような映画にしようと考えた。そういえば松岡茉優が主演の『勝手にふるえてろ』も後半は突然シリアスな展開になる映画だった。それよりも、もっと、意外性のある展開ーー突然最後の5分間だけホラーになるというのはどうだろう。もしくは、ピーター・グリーナウェイの映画『ベイビー・オブ・マコン』の最後に、ヒロインが延々レイプされ死んでしまうように(いや、レイプされたのではなく一応は和姦だったか、『ブルックリン最終出口』とごっちゃになっているのかもしれない、いや、あれもレイプではなかったか)、振られたヒロインを主人公がレイプするというのはどうだろう。観客を嫌な気分にさせられそうだ。染谷将太は嫌な気分になる創作物が大好物なのだ。だが、世間の空気からするとコンプライアンス的に問題があるかもしれないな。ありがちなパターンだが、映画の中で映画を撮る映画の事も考えた。映画についての映画だったらフランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』を参考にすればいいのかもしれない(男と女の話だし)。理想的な映画はデヴィット・リンチの『マルホランド・ドライヴ』だが、あそこまで複雑な映画にする自信がない。複雑で曖昧模糊とした物語が好きだ。例えばエリック・マコーマックの小説『ミステリウム』のような、パトリック・マグラアの『グロテスク』のような、ミステリーのようで幻想的で、はっきりとした結末が用意されておらず、あとは読者が解釈してください、というような。染谷将太は自宅のマントルピースに飾ってある緑色を基調にした『ミステリウム』を手にとって、右手で表紙を撫でてみる。適当なページを開いて鼻先に持っていき匂いを嗅ぐ。そして再び元の位置に戻すと、すぐ横に並んでいるスティーヴ・エリクソンの『Xのアーチ』を手に取る。筆者が連想するがまま(計算しているのかもしれないが)「存在し得たかも知れない別の世界」をまたぎ、時を超えて登場人物が次々にすれ違っていくスリリングな小説だ。染谷将太は「連想」が好きだ。論理的ではないところで物事が繋がって行く。そうして連想が繋がっていくと、輪を描くよう元の物語に帰ってくる。染谷将太は、登場人物が然るべき人と再会する『Xのアーチ』を読んで運命というものはあるのかなと思った。これだけのものが書ける人は、やはり才能があるのだろう。染谷将太は、その才能に嫉妬する。才能がある人が夭折することが時折あるけれど、例えば「天使の歌声」と評された天才シンガーソングライター、ジェフ・バックリィのように「触れるだけで壊れてしまう」ような作品を作っていた人は、後から考えると、彼はそのような作品を残したのだから、当然の死だったように思える。華やかな才能というものは死と隣り合わせだ。染谷将太は、若さに身を任せた作品を作った直後に、事故か何かで自分が死んだ時のことを想う。公開当時には全く話題にならず興行的にも失敗するが、一部のシネフィルに熱狂的に支持される。染谷将太の死は話題にならなかったが、死にあたって蓮實重彦が雑誌の小さなコラムで作品をひっそり評価する。それから、東京ならばK's cinemaかイメージフォーラムかポレポレ東中野のような小劇場で年一回リバイバル上映され、風物詩のように劇場は毎回満員になる。それから、自分の作品が非常な驚き(家庭用ゲーム機ではそれまで実現できていなかった、画面の半分ほどの大きさのメインキャラクターが縦横無尽に動き回る、地獄に落ちた平清盛が源頼朝を倒すアーケードゲーム「源平討魔伝」がシャープのパソコンX68000に完全移植された時のように、または小津安二郎が、役者を正面から捉える「切り返しショット」で映画の文法を破壊したように)を持って迎えられることを夢想する。驚くような物語にしなければ。そうだ、結末を迎える前にダンスシーンが必要だ。この映画では学校にプロムがあることにしよう。染谷将太の学校には明治時代に建てられた、由緒正しい講堂が残っていて、有名な映画のロケ地にもなっている。ここを使わない手はない。ダンスのBGMを奏でるのはドナート・ドッジーだ。イタリアのアンダーグラウンドなミニマルテクノ(本人はマイクロトランスと呼んでいる)DJを、ダンス音楽好きの生徒会長が招聘したのだ。日本には音楽マニアが集うレイヴ「ラビリンス」で定期的に来日しているから無茶な話ではないと思うがギャラは幾らぐらい払えばいいのだろう。それはともかくヒロインのキャスト、松岡茉優が見つかった。偶然にも、この高校に転入してきて同じクラスになったのだ。松岡茉優は女優なので、ギャラを要求された。仕方がないので染谷将太はギターとアンプを売って得た三万円で出演の承諾をもらった。脚本は当て書きにしようと決めていた。松岡茉優には仄かな恋心を抱いたのは、ゴダールのように主演女優と付き合えるのではないかというわずかな期待を持ったからだ。主演は自分にしよう。何と言っても彼は染谷将太なのだから。それから監督としての演出ルールは決まっていた。「役者が演技をしない」というものだ。敬愛する役者・役所広司が、尊敬する監督・黒沢清の現場について、初めて参加する俳優に「黒沢組は演技しちゃいけないんです」と言ったのが印象的だったからだ。しかし恋愛映画の脚本を書こうと机の前に座って見たのだが、全く指が動かない。書き始めるのが大事なのだ、物語の筋は後からついてくる。そう思った染谷将太は、自分が語りたいテーマとは何だろう、と考えて「包茎」について書こうと決めた。「かつて渡良瀬遊水地(足尾鉱毒事件による被害が大きくなり、農民の鉱毒反対運動が盛り上がると、1905年、政府は栃木県下都賀郡谷中村全域を買収してこの地に鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画を立てた。ただし、これは、鉱毒反対運動の中心地だった谷中村を廃村にすることにより、運動の弱体化を狙ったものであるという指摘が当時谷中村に住んでいた田中正造によって既になされている。谷中村は全域が強制買収され、1906年、強制廃村となった。1907年までに立ち退かなかった村民宅は強制破壊された。ただし、一部の村民はその後も遊水池内に住み続けた。最後の村民は1917年2月25日ごろこの地を離れた」:以上、渡良瀬遊水地のWikipediaより。ここは現在ではスポーツ施設としても使われている。ここの遊水池で染谷将太と彼の父親はウインドサーフィンを楽しんでいたから思い出の場所なのだ)があった場所に、鬱蒼とした森に囲まれた小さな広場がある。そこに阿部寛が裸で木製の十字架に貼り付けられている。その周りに白雪姫の小人達がじっと立って阿部寛を見つめている。彼らの後ろには大きな洞穴がある。小人は、彼らしか分からない言葉で何やら話し合っている。どうやら誰かに何かの役割を果たしてもらおう、と会議をしているようだ。1人選ばれたのは眼鏡をかけている小人だ。小人は帽子を脱ぎ、阿部寛の陰部の包皮を掴んで引っ張る。皮はどんどん伸びていく。包皮の穴を頭に被せた小人は背後にある洞穴に進んでいく。やがて小人の姿は暗闇の中に消える。包皮はさらに伸び続ける。洞穴はミノス王の迷宮になっていて、その奥には松岡茉優演じる白雪姫が幽閉されている。小人達は無事元の場所に帰って来られるよう、阿部寛の陰部の頭皮をかぶったまま洞窟に入っていくのである。小人たちがその洞窟で見つけようとしていのは、白雪姫が持っている木綿のハンカチである。このハンカチは世界を破滅させる能力があり」

「ハンカチ?」 

ここまで書いてみて染谷将太は、なぜ「ハンカチ」なんて小道具を使ったのだろう。まあいい、題名は「白いハンカチ」としておこう。そうだ、この文章をひとまずブログで公開してみよう。今の出版界には、面白そうなブログを見つけて、それを書籍化するという、クリエイティビティとは無縁の空虚な企画がまかり通っている。染谷将太が書くのは小説ではないし、脚本でもないかもしれないが、ブログで発表して人気が出れば、きっと書籍化の話を持ち込んでくる編集者がいるに違いない。「書籍化」。甘美な響きだ。何か一つの目標を達成することで、自分のフラッシュバックする病が治るのではないかと期待する。早速HTMLを組んでみる。


〈LINK〉あれ、うまくリンクを飛ばせない。渡良瀬遊水地の引用は、わざとそのまま引用するのがメタフィクションのようでカッコいいかなと思ったものの、やはり読みにくいと思ってWikipediaのページに文字をリンクさせようとタグを操作した。〈/LINK〉あれ?タグがそのまま表示される。すぐにwebに詳しい友人の菅田将暉に電話をする。今さ、HTML組んでるんだけど、タグがうまく効かないんだ。どうすればいいだろう。うーん、今まで組んできたタグで終了タグをつけてないところがあるんじゃない?開始タグをつけっぱなしだと、後ろの方でバグみたいになっちゃてタグが効かなくなっちゃったり、タグがそのまま表示されることがよくあるから。ちゃんと頭からチェックしてみたら?そういうことなんだ、ありがとう。チェックしてみるわ。染谷将太は、早速文章の頭からから終わりまでのタグをチェックしてみたが、終了タグのつけ忘れなど見当たらない。何故だろう?最初から書き直した方が良いのだろうか?開始タグをつけた箇所があるなら、何を終了できていないのだろう?このまま書き続けると、どこかが壊れてしまうのだろうか?


●第2章 白いハンカチ

男と女が喫茶店で話している。別れの話をしている。男は情けなくさめざめを泣いている。泣きながら「俺のなにがだめだったのか」と女は問い詰める。「甘えてるのよ、お互い。貴方は無職でしょ。就職活動頑張ってるのは分かる。失業保険をそこそこの金額で貰えているから自由にすればいいと思う。でもお互い、休日に映画ばっかり見ていて、これでいいの? あなたは優しいし、一緒にいて楽しい。あなたがいれば癒されるけど、それだけ。生産性がない、っていうの。惰性で続いてる居心地の良さだけに甘えてる自分も甘い。ただ心地いい関係でいいとは思わないの。5年も付き合っているのに、セックス何回した? 数回でしょ。この微温湯に浸かっているのも気持ちいい。あなたも悠悠自適でしばらくゆっくりすればいい。あなたは病気なんだから。あなたの甘えは、こんな関係に満足しているところ。私、実はお父さんから、2ヶ月に一回、三十万円振り込んでもらっているの。それがほとんど映画代で飛んじゃってるのよ。三十万円よ? お金をかけて現実逃避してるだけじゃない。実は私、好きな人がいるの。一回セックスしただけだけど、胸が苦しくなるくらい心動かされてるの。愛情はセックスだけじゃ無いと思うけど、この人となら結婚してもいいのかなと思ってる。セックスして、これが現実的と向き合って行くことなんだな、って思った」男は言う。「じゃあ今から結婚しようよ!」「もう遅いよ!」黙って女は喫茶店を出て行く。次の日、女は同棲していた部屋にやって来て、自分の荷物を整理していた。男は黙って部屋の片隅に呆けた顔をして立っている。「じゃあ、これで。この部屋、もう更新しないから、十一月一日までに出てってね。この大量のレコードと本も、まとめるのが大変だろうけど、頑張ってね」玄関に続くキッチンで女は振り返って言う。男は

「じゃあ、最後に一回だけセックスしようよ」と女を強引に抱きしめる。「え、普通そんなことしないでしょ」と言いながら、服を脱がせても嫌がらない。すでに布団は粗大ゴミに出してしまったので、フローリングの冷たい床に押し倒す。キスをすると女は嫌がらない。男が眠りにつくかつかないかの時間に、女が自分でクリトリスを触って頻繁にオナニーをしていたことのを知っていたので、少し強めにクリトリスを刺激し「外行き」させた後、女を後ろに向かせて、後背位で激しく突いた。女は「好き!好き!いく!」と絶叫していた。男はフローリングに落ちていた白いハンカチを彼女の口にねじ込んだ。そして後ろから女の首を締めて、腰を激しく動かしながら、彼女がぐったりとするまで手の力を入れ続けた。男は長い間射精をする機会がなかったが、女が息絶えた後も腰を動かし続け、久し振りに絶頂を迎えた。女は引越しが終わった後のガランとした部屋で死んでいるのが発見された。彼女の口には白いハンカチが捻じ込まれていた。しばらくすると新聞にレイプ事件のニュースが頻繁に掲載されるようになった。遺体は決まって口にハンカチを捻じ込まれていることもあり、ひとりの連続レイプ魔の仕業なのではと、ワイドショーで頻繁に報道されていた。その推測は間違っていた。その現象は世界中に広がっていったからだ。この現象はそもそも、ある出来事が元凶となっていた。ある男が寂れた民宿を経営していた。そこは旅行サイトにも全く掲載されていない、建物の半分が崩れ落ちている、廃墟マニアには有名な場所だった。「民宿ししや」と言う掠れた文字の古びた看板が入り口の前に立て掛けられてあり、一応は「空室あり」の看板もかけられていた。しかし、物好きなマニアにも泊まるのがはばかられるほどの崩れ具合で、本当に経営しているのかも分からない有様だった。誰か物好きな人間が宿泊にチャレンジしてもおかしくはなさそうな名所であったが、不思議なことに宿泊したと言うレポートを誰も目にした事はなかった。ある日のこと、アンダーグラウンドカルチャーを扱う雑誌の野心溢れる女性ライターが女性カメラマンと二人で現場に行き「ここに本当に泊まったら、絶対にバズる記事になるでしょ」と、恐る恐る入り口の扉を開けた。中は灯りが点いておらず、暗闇がぼうっと広がっていた。扉を開けた光で恐らくはカウンターと思われる木の塊が不気味にたたずんでいるのが見えた。「すみません」と声をかけても誰も出てこない。カウンターの上に紐が垂らしてあり、その紐の先には、錆び付いた鐘がぶら下がっていた。ライターは、恐る恐る紐を引き鐘を鳴らしてみた。ガランガランと冷やりとした音が鳴った。すると、廊下の奥から恐らくは五十代くらいであろう、グレーの繋ぎの作業服を着た男がぬうっと、のそのそと現われた。ライターの顔をじっと観ている。「あの、ここって、泊まれ、るんですよね」「前金で二千円」と男は答えた。「鍵はねえから。部屋は適当に。あとトイレは地下。布団は押入れの中から適当に出して使って」ライターとカメラマンは不安そうに目を合わせたが、これは絶対にネタになると確信してそれぞれ二千円を支払った。金を受け取ると、主人は廊下の奥の暗闇へと去って行った。一階は光とは縁遠い状態になっているが、土間から繋がっている階段の上の方から、微かな光が差し込んでいるようだ。少しでも明るい方がいいだろうと、二人は二階へ上がって行った。階段を登りきったところに縦横三十センチほどの小さな窓があった。部屋は三部屋あったが、窓から一番近い部屋を選ぶことにした。部屋の天上にはランプが付いていた。ぶら下がっている紐を引っ張ってみたが、案の定灯は点かなかった。まあ、想像した通りだろうと、早速撮影を始めた。ライターは、スマホの録音機能を使い音声でレポートを吹き込み始めた。二階の他の部屋にも一応は入ってみたが、どの部屋も電気が点かなかった。しつらえは、皆同じようなものだった。一階に降りて改めて周囲を見てみると、地下へと続く階段があることに気がついた。降り切ったところに扉があったが鍵がかかっているのか、ドアノブが回らない。「地下はトイレだ! トイレは夜十一時になったら鍵を開けるから、それまで外で適当に用を足しとけ!」と言う男の声が聞こえて着た。二人は再び外に出て、外観を撮影することにした。入り口側は一応建物の体は保っている。問題は裏側だ。裏手は崖になっていて、崖くずれが起きたためか、一階の三分の一は崖と共に崩れ落ちている。二階は、辛うじて残っている二本の柱で支えられていて、彼女たちが選んだ部屋は、まさにその柱に支えられているところだった。地下の部分は、どうやら土の中に埋まっているのだろうか、人の手がつけられた様子はなく、岩が盛り上がっているだけだった。岩を掘って作った地下なのだろうか。カメラマンはその姿を「凄い、面白い」と興奮しながら矢継ぎ早に撮影した。ライターは冷静に「まあ、外観はネットでよく見るけどね」と冷静にな口調で告げると、カメラマンは少し不満げな表情を一瞬浮かべたが、またすぐに一心不乱にシャッターボタンを押し始めた。日が落ちると「本当の」漆黒の闇が訪れた。街頭もなく、周囲に家も店鋪もない。スマホのライトを着けて部屋に入る。なかなか興味深い体験だ。灯が一つも付いていない半倒壊している宿。あやしい雰囲気の主人。フラッシュをたいて部屋の中をひと通り撮影する。昼間に撮影するよりも、大分不気味さが増す。これは良い記事になるだろう。かなりの反響を呼ぶはずだ。これから書く記事についてひとしきりカメラマンと話した後は、することもないので早々に就寝することにした。朝陽に照らされる宿も、いい写真になるに違いない。そういえば驚いたことに、部屋には、ちゃんと布団が敷いてあった。ライターは双極性障害という精神障害を患っていて、いつも就寝時にマイスリーという睡眠薬を飲んでいた。それを飲めば眠れないことはなく、中途覚醒することもないのだが、効き目が五時間しか持続せず、時間になるとぱっちりと目が覚めてしまう。二十時に就寝し、目が覚めてスマホを見ると、今は午前三時だったた。スマホの控えめなライトを使って、部屋の様子をぼんやりと把握すると、隣に寝ていたはずのカメラマンの姿がない。トイレにでも行ったのだろうか。そういえばライター自身も、尿意を催してきた。主人がトイレは地下にあると言っていた。地下への階段にも灯りが点いていない。入り口のドアは鍵がかかっていなかった。ドアを開くと長い廊下があった。奥の方に、ポツンと裸電球がぶら下がっていて、オレンジ色の光を控えめに照射していた。やはり地下は、崩れてしまった一階の下の崖をくり抜いて作っているようで、一階の入口の方、つまり二階が崖に向かって伸びているのとは逆方向に掘り進められているのだろう、廊下は100メートル以上続いているようだった。しかし扉は一番奥に古めかしい鉄の扉があるのと、廊下の全長の四分の一ほど行ったところにトイレの入口らしい引戸があるだけだった。ライターは、スマホでその廊下の様子を写真撮影して引戸に向かった。『悪魔のいけにえ』のワンシーンを思い起こさせるような不気味な廊下だ。引戸を開くと果たしてそこはトイレだった。カメラマンの名前を少し大きめのささやき声で呼んでみた。トイレの個室は四つあり、どの個室も空いていた。一番手前の個室に入って用を足していると、引戸が開かれる音が聞こえた。ドアの向こう側に人がいる。「あんたも一番奥の部屋に来てみるといい」主人の声が聞こえてきた。引戸が閉まる音がして、主人は去っていたようだった。ライターは頭の中で100まで数えてトイレの外に出た。廊下には誰もいない。嫌な予感はしたものの、ライターという職業柄、好奇心に抗うことはできなかった。廊下の一番奥の扉を開ける。きいいと蝶番が軋む音がした。チラチラと明滅する蛍光灯の白い灯。部屋に入って一番先に目に入ってきたのは金色の柱で支えられた天蓋付きの大きなベッドだった。天蓋からは白いヴェールが垂れ下がっていて、中がぼんやりと透けて見える。その横に白いビニール製のエプロンとゴム手袋をした主人が立っていた。彼の体は血だらけだった。「ようこそ」彼はドアの横にある蛍光灯の光が届かない、暗い一角を顎でしゃくった。主人が懐中電灯でその一角を照らす。カメラマンがいた。裸だった。そして血だらけだった。一瞬、彼女の状態を把握することができなかった。いや、瞬時に分かったのかもしれないが、精神が崩壊しないように、脳味噌のどこかが理解することを十秒ほど拒んだのだろう。カメラマンは四肢が切り取られて「だるま」になっていたのだ。ライターは気を失った。目を覚ますと、自分が椅子に縛られていることに気がついた。天蓋にかけられていた白いヴェールが外されていて、そこに美しい顔の女性が横たわっていた。主人が言った。これは私の娘だ。生まれつき手足がなくてね。いつか手足を付けてあげると約束をしていたんだ。今までの人間は相性が悪くて、接合は失敗続きでね。でも君の友人は完璧だ。体型といい、肌の白さといい。ほら、見てごらん。女性が被っていたタオルケットをめくると、肩と鼠蹊部に生々しい縫い痕が見えた。主人はその縫い目を白いハンカチで拭っている。娘は今まで長いこと眠ったままでね。この手術が成功すればきっと眼が覚める。今までは勝手に「自分」を「挿入」するだけだったが、今度はちゃんと結ばれる。主人が娘の名前を呼ぶ。もう大丈夫だよ。目を開けてごらん。娘が瞼を開ける。すると眼球から目をくらむばかりの強い光が照射かれる。娘は主人の方へ顔を向ける。すると光を浴びた主人は光の中で叫び声をあげながらドロドロと溶けていく。娘はベッドを降りてライターの方へ静かに向かっていく。あなたは大丈夫よ。娘が目を細めるとライターを縛っていて綱がほどかれ、娘はライターを抱きかかえる。娘が天井を見ると、地下室の天井が溶解していき、真っ暗な夜空が広がる。娘はライターを抱えたまま空へ飛翔する。カメラマンの死体と白いハンカチだけが地下室の床に放置された。


●第3章 世界の終わり

廃墟宿の事件は未解決のまま放置され、宿は解体されることになった。ひとりの解体作業員が床に落ちたハンカチを見つける。彼はハンカチ工場に勤めていた。彼は使用済みのハンカチマニアで、道に落ちているハンカチをを蒐集していた。彼はハンカチに性的な興奮を覚える人間だった。ハンカチ工場でもアルバイトをしており、ハンカチを漂白する製造ラインを担当していた。彼は漂白槽の前で自慰をし、精液を層の中に飛ばすことが日課になっていた。そして彼は、そのメーカー製のハンカチが全国で販売されている事実に無上の快感を覚えていた。廃屋に捨てられていた、その白いハンカチを拾い上げた瞬間に、自分の役割を瞬時に把握した。世の女性は罰せられなければいけない。世界の全ての女性を犯さなければ。しかしある日、日課である漂白槽へ射精した後、心臓が止まって死亡した。恍惚の表情を浮かべたまま、漂白槽の中に落ちていって、その死体は二度と浮かび上がってこなかった。男が「作って」いたそのハンカチは、全国に流通した。そのハンカチの匂いを嗅ぐと、全ての男性は女を襲いたくなる衝動にかられ、全国でレイプ事件が発生した。前述したようにレイプされた女性は、何故かハンカチを口に捻じ込まれて死んでいた。レイプ犯罪が繰り返された結果として、世界中の女性の人口はどんどん減っていった。警察は機能していなかった。警察官も同じくレイプを繰り返していたからだ。ある日、巨大なハンカチが空に浮かんでいるのが各地で目撃されるようになった。ハンカチはどこからやってきたのか不明だった。政府がドローンを飛ばしてハンカチの上から様子を確認したところ、ハンカチの上に手足に縫い目のある裸の女性が乗っていることが明らかになった。男性たちの頭の中で女性の声が響いた。私は女そのもの。私たちは性交で絶頂に至ると同時に死に至ることに快感を覚えていたの。私たちは殺されすぎて、殺すべき女性は存在しなくった。死ぬことは素晴らしいことなの。でも私たちは殺されすぎた。世界に男が多過ぎるから、私達が殺される機会がどんどん失われていく。だから、あなた達を殺すためにやってきた。男たちの頭の中に響くテレパシーが終わると、巨大なハンカチが降下し始めた。ハンカチの重さで国会議事堂が一瞬にして潰された。ホワイトハウスも、エルサレムも。世界中にハンカチが落下し、ほぼ全ての男達が圧死した。それから永遠と思えるほどの時間が経過した。人々は厳しい渓谷の底にある街で暮らしていた。「クリン」と「ニードル」という現象がかつて起こり、人口の8分の一はその現象で死んだと伝えられている。他にも3000km離れたところに同じような街があり、一年に一度、隣の街に賢者を派遣して、「クリン」と「ニードル」が再び起こった際に対策できるよう情報を交換していた。その3000kmさらに行ったところにも街があるという話だ。また、街をつなぐ渓谷の内側にもう一つの谷があり、さらに内側にはまた谷があり、いくつか谷を越えていくと、原色に彩られた巨大な円形の街があり栄華を誇っているという伝説もあった。この世界には女性は存在していなかった。かつて孤独な科学者が人工子宮を作り、プログラムによって数がコントロールされながら男性が生産されていたのだ。ある日、空から「クリン」はやって来た。太陽の光を遮り、見渡す限り青が広がっていた空を遮って街の方に降ってくる。布のような白い塊が、渓谷の頂を削って行く。渓谷の下方にあった街の中心部にまでは「クリン」は届かなかった。「クリン」によって崖から削られた石の塊がガラガラと街に降ってくる。「クリン」が空を遮っていたのは、およそ5分だったろうか。建物は全て崩壊したが、人々はこの現象が起こるのを見越して掘られた渓谷の奥底にある避難壕に避難したおかげで、数十名が軽い怪我を負っただけで、死人は出なかった。石が転げ落ちる音が止んだ。複数あった避難壕から皆が外に出て、お互いの無事を泣きながら報告した。だが、しばらくすると「ごおおおん」という耳をつんざく音が聞こえて来た。丁度谷間の深さにぴったりと当てはまる、高さ数キロはありそうな逆三角形の形をした銀の塊が、渓谷の最下部を削りながら、避難壕を、谷の底にある全てのものを崩壊させて行く。断末魔の叫び声が響き渡り、谷の民は全滅した。「ニードル」が谷を削る際に発せられた瓦解音は5分ほど続き、3000km離れている街もあっという間に崩壊した。ここで前述の阿部寛の話に戻る。この「クリン」と言われるのは「巨大なハンカチ」のことだったと言われている。女性は遥か昔に絶滅してしまったが、「クリン」の襲来を辛うじて生き延びた数名が人工子宮を修復した。さらに千年後、白雪姫が生まれた。彼女は世界で唯一残る印刷された「書物」の中で生きていたが、女性を知らない男性達が彼女の「挿絵」に興奮して、彼女の絵に射精を続けたところ、この世に現実の存在として「書物」の中から生み出されたと言われている。彼女は生み出された瞬間を目撃した1人の老人に匿われた。数世代にわたって老人の後継ぎによって白雪姫の存在が隠されてきたが、突然変異的に口の軽い後継ぎが生まれてしまい、白雪姫の存在は皆が知るところになった。彼女は「書物」の「挿絵」の中で白いハンカチを持っており、不吉なものと言われていた「白いハンカチ」を持っているということで、王である阿部寛によりミノス王の迷宮に閉じ込められた。この時代では、男は陰部が包茎であることが尊いとされていて、その皮が長ければ長いほど高い位につくことができ、さらに垢が溜まっていればいるほど権力を持つことができるとされていて、長く厚い包皮を持つ者は、「白いハンカチ」の呪いから逃れることができると信じられていた。前述の小人達は男性達から奴隷のようにこき使われていた。殴られ蹴られ、汲み上げ式の便所の掃除を強要され、ネズミを日に十匹捕まえることができないと鞭で打たれた。小人達は男達を絶滅させることに決めた。「白いハンカチ」を蘇らせ、この世から男性を一掃するのだ。この小さな村以外に男が存在するのかは知らなかったが、取り敢えずはハンカチを手に入れることで村の男達を全員殺すことができるだろう。寝ている阿部寛にマイスリーを混ぜた液体を鼻から垂らし、鼾が止まるのを待ち、少しの事では覚醒しはさそうな状態になってから、彼の体をロープで縛り、村の集落からミノス王の洞窟の前にある広場(旧・渡良瀬遊水地)まで担いでいった。ところで、洞窟の中に入っていった小人は、どんどん奥に進んでいるようで、阿部寛の陰部の包皮はどんどん伸びていった。小人が洞窟に入っていったのは昼過ぎだったが、日が暮れても小人は戻ってこなかった。あまりに時間がかかるので、小人達は阿部寛の周りに家を建てた。五十年ほど経っても小人は戻ってこず、小人たちは老衰で死んだ。その前に阿部寛も死んだ。その頃には包皮は硬化していて、伸びも縮みしなかったので、洞窟に入っていった小人も多分死んだのだろう。この村に残っていた他の男性達も、老衰で死んだ。国には誰もいなくなった。阿部寛が唯一の使い手であった人工子宮が壊れてしまったので。


●エピローグ

染谷将太はここまで書いて、これが脚本ではなく小説のようなものになっていることにやっと気がついた。書くに従ってセリフがどんどんなくなっていく。登場人物の名前も書いていない。なぜ阿部寛が出てくるのだろう?各人のキャラクターも全く描かれていない。しかし、黒澤明監督作の他、数々の名画を手がけた橋本忍の脚本が「ト書きが熱いのだ」と従兄弟の映画好きから聞いたことがあるのを思い出した。橋本忍がそうなのならば、ト書きは長くて良いのだ。どうせ、映画を見ている人間は一つ一つのセリフなんて覚えておらず、物語の筋しか覚えていない。ここに各人の名前と、登場人物にセリフを適当に付け加えるだけでいいのだ。簡単だ、と思ったが、書けない。自分が人間を観察する能力に欠けていて、登場人物に息を吹き込むことができないことに染谷将太は気がついた。まず名前を思い付けない。「クリン」の物語に、渓谷の長が出てくることにして、彼にセリフを付け加えようとした。そうだ、染谷将太が最近Spotifyで知ってお気に入りになったプログレッシヴ・ハウスのアーティストの名前から「サシャ」と名付けよう。「サシ」と入力して気がついた。時代が不明で限定された空間におけるファンタジー。そして「サシャ」と言う名前。これでは『進撃の巨人』のパクリのようになってしまうではないか!キャラクターに名前をつけることが、こんなに困難を伴うのかと知った染谷将太は、ノートパソコンを閉じた。彼自身も「染谷将太」と言う名前になんの違和感も抱いていなかった。取ってつけた名前でも気にも留めないほど名前というものに頓着していなかったから。ただ、現実にあるものをファンタジー化することは上手くいったかな、とベッドに転がって、天井を見つめながら思った。彼はレコード鑑賞が好きで、このレコードの溝に溜まっているカビや埃が人間だったらどうだろうと考えた。「レコクリン」というディスクユニオンで売られているレコードのカビ取り用の拭き取り紙。人間を拭き取る巨大なハンカチ。その後に渓谷、つまりレコードの溝に針(=ニードル)が落とされ、谷を削るその振動で音楽が奏でられる。谷の内側にある巨大な街は、レコードの中心にあるレーベル面だ。こう自分で解説してみると、途端に物語がつまらなくなるように思えた。染谷将太は、小説の「解説」があまり好きではない。「これはこういう意味があるんですよ」「歴史的背景にはこういうものがあるんですよ」と言われると、途端に物語の魔法が解けてしまう。そういえばハンカチをネタにして性的な物語を書いてしまったのは、中学校時代、鼻血が出た時に、好きな女子から白いハンカチを渡されて、そのまま捨てちゃっていいから、と言われたそのハンカチの匂いを嗅いだらとても甘美な香りがして、家に帰ったらすぐハンカチの匂いを嗅ぎながら、下校時にはむくむくと膨れていた陰茎を数回こすると、あっという間に絶頂に達した経験を、無意識に思い出したのだろう。しかし、その経験を思い出した後に物語を読み返すと、非常に凡庸な文章に思えてきて、文章を全選択してデリートしようとしたが、そうだ、これを「染谷将太という才能のない脚本家が書いた物語」ということにしてしまえば、本人が凡庸なのではなく「物語に出てくる凡庸な人間が書いた凡庸な脚本」ということになり、自分の文才のなさを誤魔化すことができる。誤魔化す? 誰に対して?そうだ、自分は原案者になれば良い。小説を書くには文才が必要だ。脚本家はキャラクターを生き生きと描くためにセリフを生み出さなくてはいけない。原案なら企画書みたいなものだ。アイデアだけ捻り出すことができればいい。アイデアは商品になる。物語を描くために細部を描く必要はない。あとは監督と脚本家が考えてくれる。そう考えたところで染谷将太はすぐに思った。この話を映画化するには膨大な予算が必要になる。やはり駄目だ。アイデアは出来ても提出する先がない。英語を勉強しながら原案を翻訳してハリウッドに送りつけようか。いやいや冷静になれ。今自分は誇大妄想的になっている。自分がせっかく高校生なのだから、高校を舞台にすればいい。学園モノなら、自分が今生きていることを表現すればいい。簡単だ。忘れていた、松岡茉優とのラブストーリーだ。単に相手と恋に落ちる話は染谷将太の好みではない。最近の映画だったら『勝手に震えてろ』や『寝ても覚めても』のようなちょっと捻ったものを参考にしよう。途中までは夢見心地で見ていられるが、後半、その生き方が果たして人生において正解なのかどうなのか、観客に考えさせるようなものがいい。前半と後半でギャップを生じさせるために、前半はなるべく多幸感に溢れるものがいいだろう。考えさせる、というのは生ぬるい。人生に絶望したくなるものがいい。染谷将太は極端に朝が弱く、家で朝ごはんを食べる時間がなく、食パンを一切れ口にくわえながら走って駅まで向かう。その時に反対方向から松岡茉優がやってきて、すれ違う。そちらの方向に彼女が通う学校があるのだ。彼女は、走っていく染谷将太を毎回見かけて、その姿がおかしくて、いつも微笑しながら染谷将太を見つめている。染谷将太は遅刻することを気にし過ぎて、松岡茉優とすれ違っていことに毎回気にせずにいる。染谷将太は男子校生であるからなのか、女性は自分のような人間に恋心を抱かれるなどということはあり得ないと思っている。だから、少しでも女子高生が視界に入ると地面に落としたものを探しているふりをして、じっと地面を眺めながら女子高生が通り過ぎるのを待つ。しかしある日、あまりに地面を凝視していたために松岡茉優が正面から近づいていることに気がつかず衝突してしまい、お互いに地面に叩きつけられた。染谷将太は顔を擦りむいて血が滲んでいる。松岡茉優はスカートについた汚れを払いながら、うずくまっている染谷将太に近づき「あ、あの…大丈夫ですか?」と声をかける。染谷将太は松岡茉優の顔を、苦悶の表情を浮かべながらじっくりみた。こんなに可愛い子がいるなんて(結局染谷将太は彼女に恋をしてしまったので、外見も好きになってしまったのだ)。松岡茉優は芸能人として生き残り、そこで成功しているのだからルックスが良いのは当たり前だが、染谷将太はテレビをほとんど見ておらず、暇さえあればお気に入りASMR(スライムをこねたりする音=耳に心地よいとされている音を作り出すだけの動画)のYouTubeばかり見ていて、可能であればASMRを顔を隠して配信している「はとむぎ」というYouTuberと結婚できないかと考え、彼女のTwitterアカウントを過去の投稿から何度も繰り返し読み、彼女は画面に首から下しか写っていないので妄想は膨らみに膨らみ、彼女の顔を想像し、全くいやらしい動画ではないのだが、彼女の囁き声を聴きながら何度もオナニーしていた。染谷将太が想像する「はとむぎ」の顔は、誰にも似ていない、それはもう美しく、この世のものとは思えないほど美しいものだった。しかし、松岡茉優の顔を見て驚いた。染谷将太が想像していた「この世で最も美しい」顔をしている女性が本当にこの世に存在していたのだ! 染谷将太は男子校だったが、女子と出会うという設定のために共学という設定にしよう。通学途中にぶつかった数ヶ月後、染谷将太の学校に松岡茉優が転校してくる。授業の前に彼女は自分の名前を書いて自己紹介する。なんと彼女の名前は「松岡茉優」というのだ!じゃあ、染谷の横の席が空いてるから、そこに座って、と担任が言う。彼女と目が合う。少し驚いた表情をする。染谷将太はぎこちない笑顔でぺこりと会釈する。その日の昼休み、松岡茉優は、その美しさのせいか、他のクラスメートに囲まれて質問攻めにされている。趣味は何?シャンプーは何使ってるの?音楽は好き?彼女は答える。趣味は、映画かな。好きな映画は何?『遊星からの物体X』かな、知らないと思うけど。染谷将太はその答えを聞いて高揚した。趣味の自己紹介としては最高の答えだ。下校する時に絶対に声をかけよう。最後の授業が終わる瞬間を見計らって、意を決して彼女に声をかける。あの、ジョン・カーペンター、好き、なの、ですか?彼女は言う。ジョン・カーペンターって誰ですか?あの『ゼイリブ』って知らないですよね。あ、今度30周年でリバイバル上映するやつ?あ、そうです。染谷将太は敬語で話してしまう。染谷将太は、趣味が完全に合致していない人としか上手く話せない。相手が何を考えているのかが分からず、心を許すことができないのだ。『ゼイリブ』が好きと言うなら大丈夫かもしれない。今度、DVD持っているので、よかったら貸しますよ、『レポマン』っていう宇宙人と車泥棒の話で、無茶苦茶面白いんです。あ、嬉しい、楽しみ、ありがとう。しばらくして、前の学校で彼女がいじめにあっていたという噂が広がり始めた。女クラスメイトの子高生たちは松岡茉優と距離を置くようになって、松岡茉優は昼食を一人でとるようになっていた。いつもとろろそばを食べている。気持ち悪い。ねえ、松岡さん、とろろ蕎麦食べてるよ。昼飯にとろろだって。クラスのリーダー格の女子高生が芝居掛かった声で大声を上げる。染谷将太は昼休みが終わる間際になって、こっそりと『レポマン』のDVDを渡す。あの、こないだ言ったDVD、良かったら見てみてください。染谷将太の父親は映画のDVDを大量に集めていて、ルノワールを見ろ、話はそれからだ、というのが口癖だった。一度『フレンチカンカン』を見てみたのだが、何が良いのかさっぱりわからなかった。週に一本は映画を見ろ、と父親から言われていたので、仕方なくコレクションの中から自分でも面白いと感じられるような映画を探して、見つけたのが『レポマン』だった。父親は同じ監督の『シド・アンド・ナンシー』のついでに買ったらしい。あとはオリジナル版の『宇宙戦争』を見た。これは面白かった。どうやら自分はSFが好きらしかった。というわけで、自分が好きな『レポマン』と、ついでに『ゼイリブ』を松岡茉優に渡した。その次の日の授業が終わると彼女がDVDを返してくれた。面白かったよ。『ゼイリブ』の方が面白かったかな。ただ、あの格闘シーンは長くない?なんでこんな無意味なシーンに時間をかけてるのかなって、思ったよ。あれがいいんです、映画はアンバランスな方がいいんです、現実ではありえないことを描くのが映画の一番面白いところなんです、と言いたかったが、あ、どうも、またなにかあれば、と答えてDVDをカバンの中に閉まった。リーダー格の女子高生が自分に冷たい視線を送っているのが視界の片隅に入っていた。松岡茉優は、休み時間になるとイヤホンをして校庭をじっと眺めている。また授業が終わると彼女に聞いてみた。何聞いてるんですか、と染谷将太は声をかける。フィッシュマンズ、昔のバンドだから知らないかもしれないですけど。あ、知ってる。えっと「あの娘が眠ってる」っていう曲が好きで……。そうそう、あの曲が一番好き!心が通じ合った。染谷将太もタメ口で、僕もあの曲好き!染谷くんは他に何を聞いてるの?うーん、今はZAZEN BOYSの「ASOBI」かな。あの曲いいよね、ハウスミュージックのスタイルを取り込んでて。これはもう大丈夫だ、この人は僕を裏切らない。そう確信して、今度オススメのYouTubeのリンク送るから、ライン交換しない?と聞いた。いいよ。夏休みになった。自治体主催の夏休み大会にトリプルファイヤーが出演するというので、思い切って松岡茉優を誘ってみた。トリプルファイヤーって知らないけど、いいの?電気グルーヴが真面目になってバンドをやったみたいな感じ。変な例えだね。でも面白そう、行く。当日、松岡茉優が染谷将太の家に迎えに来た。彼女はピングの浴衣姿だった。少し下半身が疼いた。そこから、会場までたわいもない話をして、射的をして、金魚すくいをして、すもも飴を食べて、トリプルファイヤーを観るのだが、ここは適当にダイジェストにして、音声を全部カットしスターシップの「愛はとまらない」を一曲丸々流そう。曲が終わるまでにはライブも終わり夜になっていて、空に花火が打ち上がる。ここから、ザ・カーズの「ドライヴ」が流れる。あなたを誰が送っていくの?という歌詞の曲だから、帰宅のシーンに使われない理由はない。30秒ほどして染谷将太の家に着く。今日はありがとう。ううん、誘ってくれてありがとう。沈黙。じゃ、またね。うん、また。松岡茉優が歩いていく。松岡茉優が二回染谷将太を振り微笑み合う。三回目に振り返った時は染谷将太はいなかった。ラインのやりとりはそれなりに続き、染谷将太はラインで自分が好きなアーティストの動のリンクを沢山送った。うん、これ好きかも、と言う返事が返ってきていたが、眉村ちあきをオススメしたところで急にラインが途切れた。これをオススメするのは早かったか。アイドルが好きなオタクだと思われたのかもしれない。自分の頭の中で、夏休みが明けたら口頭で、眉村ちあきがアイドルなのではなく、シンガーソングライターなのだ、と誤解を解くための会話を頭の中で何度もリハーサルをした。そして夏休みが明けた。松岡茉優が教室に入ってくる。それまで無視されていたはずのリーダー格の女子高生とケタケタと笑い合いながら。彼女は少し茶色に髪を染めている。彼女が隣の席に座ると染谷将太は彼女に声をかける。「おはー」と気だるい返事が返ってくる。昼休みになると、リーダー格の女子高生を含めた4人が松岡茉優とご飯を食べている。ディズニーランドはマジでやばかった。今度シーに行こう。新宿の駅構内にあるタピオカ屋が美味しいみたいだから今度一緒に行こう。そういえば茉優の彼氏ってむっちゃかっこいいよね、今度ダブルデートしようよ。高校デビュー。染谷将太の夏休みは音楽を聞くだけで終わった。Spotifyで見つけた、松岡茉優に好きそうな曲をラインで送るだけの日々だった。返事がなくなったのはこう言うことだったか。少し茶色がかった髪は彼女には似合っていない。髪も肩にかかるくらいの長さになっている。黒髪のショートが似合っていたのに。染谷将太は幻滅する。文科系の人間からは程遠い。染谷将太はクラスに友達がいない。中学生の時に仲良くなった(と染谷将太は勝手に思い込んでいた)ドラマーをやっている友達、東出昌大とはSpotifyのリンクを送り合う中だったが、理系のクラスにいる彼は勉強に忙しいのか返信がどんどん少なくなっていった。染谷将太は、自分と付き合いがあることが分かると東出昌大に迷惑がかかると思い、学校で直接会うことはしなかった。オルタナティヴロックの大御所がヒンヤリとしたポリリズムを奏でたソニックユースの1stアルバムをについてやりとりをしたのが東出昌大と交わした最後のやりとりだった。青春時代に音楽にハマりすぎるのは良くない、と私は思う。自分で楽器を弾かないのに音楽を趣味にすると言うのは、自分を孤独に追い込むだけだ。誰もわかってくれない。最初はピンとこなかった、当時はまだ今のような細々としたテクノを作っていなかったエイフェックス・ツインの「セレクテッド・アンビエント・ワークスvo.2」を聴きながら、いったいこの音楽はなんなのだろう、これがアンビエントなのか?「vol.1」の呑気さは微塵も感じられない。しかし何度も聞くと、全く高揚しない音楽が脳全体を包み込むような快感を覚えるようになった。しかし、全く高揚感がない音楽は誰にも勧められない。多分「良かった」と素っ気ない答えでさえも帰ってこないだろう。ところで、今学期から染谷将太に対する本格的ないじめが始まった。松岡茉優が、こちらを見て、キモいと小声でリーダー格の女性に声をかける。次第にクラスの誰も染谷将太に話しかけなくなった。自分の周りでジョン・カーペンターについて話が盛り上がっていたので、話に加わろうとすると、皆ばらばらになり教室に沈黙が訪れた。話題はホラー映画の監督、例えばトビー・フーパーについてであったりロブ・ゾンビについてであったりしたが、染谷将太が話に入ろうとすると、必ず同じ結果になった。しばらくすると文化祭の季節がやってきて、このクラスが学校を代表して開幕式で演劇をやることになった。ホームルームで何故か染谷将太が主役に抜擢された。演目は「ピーターパン」。ティンカーベルが瀕死になった状態で、ピーターパンが客席からの拍手をもらうことでティンカーベルが息を吹き返すというシーンだ。ティンカーベル役は松岡茉優。脚本担当は、例のクラスでリーダー格の彼女だ。あいつは漫画『ゴリラーマン』に出てきそうな今時珍しいヤンキー臭のする下品な女子高生で、しかし成績は学校で3本の指に入るというムカつくやつだった。彼女はピーターパンとティンカーベルが恋仲であるという設定にして、最後はキスシーンで終わる筋を書いた。脚本の概要が発表されると教室にざわめきが起きた。クラスで嫌われ者の染谷将太が学校で美しさにおいて一、二を争う松岡茉優がキスするというのだから。彼は、ある事を連想した。映画『キャリー』だ。主演のシシー・スペイセクがプロムクイーンに選ばれるものの、それは「仕込み」のイタズラで、舞台に立ち幸せの絶頂にあるシシーは、頭上から豚の血をぶっかけられるのだ。これは裏になにかある。染谷将太は確信した、これは、何か、ハメられる。しかし、自分は避けられているかもしれないが、松岡茉優としばらくは練習する時間を共有できるのだ。眉村ちあきについての誤解を解くくらいは仲良くなれるかもしれない。実際に染谷将太は、その機会を得た。彼女は、バカじゃないの、というような目で染谷将太を見つめ、微笑んだだけだった。舞台の練習は何の滞りもなく進んでいった。練習が始まってからは同級生から冷たい視線を浴びせかけられることもなくなった。誰もいない空間に向かって「拍手をください!もっと!もっと!」と叫ぶのは頭が張り裂けそうになる程恥ずかしかったが、皆真剣な表情で染谷将太を見つめていて、彼の助けを乞う声は回を重ねるごとに熱量を増していった。そして本番当日。体育館に全校生徒が集められた。舞台中央で染谷将太と松岡茉優は舞台が始まるのを待っている。観客の、何を言っているのかわからない囁き声がわずかに聞こえてくる。開始のアナウンスが流れる。ただいまから文化祭オープニングイベント、舞台ピーターパンを上演いたします。皆さん、お静かにお楽しみください。舞台装置担当の生徒がカウントダウンを始める。緞帳が上がっていく。念のため染谷将太は舞台の上を見上げる。豚の血が入ったバケツが用意されていないか。それらしきものは見当たらない。後は練習してきた通り、自分の中に染み込んだピーターパンを表現すればいい。松岡茉優が小さなベットの中で苦しそうに喘いでいる。染谷将太が観客に向かって「どうか、どうか、拍手をください!」と叫ぶ。拍手は起こらない。「拍手をください!」もう一度暗闇に向かって叫ぶ。沈黙。「ティンカーベルを助けてください!」観客から徐々にクスクスという笑いが起こり始める。舞台脇から同級生が指をさして、声を上げて笑い始める。すると、観客の一人が爆笑する。「ぎゃはは。助けてください!」全員が「助けてくださーい!」「今更セカチューかよ!」と笑いながら叫び始める。染谷将太の頭に血がのぼる。いや、一瞬、恥ずかしさで血は登ったが、後は血が下がっていく一方で、目眩がしてよろめいた。皆が指をさして暴力的な笑いを浴びせかける。リーダー格のヤンキー女が近づいてくる。おまえさあ、やっててはずかしくねえの?今度この動画YouTubeに上げてやるからさあ、閲覧数すっげえ伸びると思うよ、きゃはは。染谷将太は目をぎゅっと閉じる。身体中の細胞がプチプチと弾けていく音がする。その爆ぜる音が首筋に集まっていって、最終的に脳の真ん中、目の裏側で爆発した。うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。染谷将太が叫ぶと閉じた瞼から一筋の血が流れる。硬く固く握った拳からも赤い液体が滴り落ちる。染谷将太は、口を真一文字に結んでカッと目を見開く。彼の眼球が赤く光っている。リーダー格のヤンキー女の方に首を向ける。え?何?どうなってんの?彼女がその次の言葉を言い終わらないうちに、染谷将太は拳を彼女の頭に打ち付ける。途端に彼女の頭が西瓜を地面に放り投げたかのように爆発する。担任の教師が慌てて走ってくる。おいおい、ただの冗談だよ。なにを……。染谷将太の拳は教師の腹部を突き抜け、背中まで貫通する。きゃあああ。観客が恐怖におののきながら次々に出口へと駆けていく。うぉぉぉぉぉぉぉ。染谷将太が絶叫すると、体育館全体が震える。その場にいる全員が手で耳を塞ぐ。耳から血が流れ出す。そして彼らの頭が次々と爆発する。染谷将太が振り返ると、松岡茉優が中腰になってベッドから出て行こうとしている。染谷将太が近づいていくと松岡茉優は恐怖で身体中の筋肉が緊張して動くことができない。さらに近づいて両手で彼女の頭を抱える。染谷将太の頭の中で、彼女と始めて出会った時の記憶が何度もフラッシュバックする。そのまま顔を近づけていってキスをする。彼女は抵抗しない。染谷くんのこと、好きだったんだよ。震えながら蚊の鳴くような声で囁く。染谷将太が万力のように両腕に力を込めると、彼女の頭がぐしゃりと潰れた。


〈暗転。アコースティックギターのイントロ。エンドクレジット〉


知らない間に夜になっていたよ

瞬きしてる間に君はもう夢の中

空が泣き出して雨の音が近くまで

テレビを付けても窓の外は大騒ぎで

ホラホラ あの娘が眠ってる

ホラホラ 雨が降りしきる

ホラホラ 灯りも消えだして

ホラホラ 何処にもいけないよ

知らない間に部屋の中煙だらけで

あたたかい空気くもりがちの白い窓

眺めて1人であの娘が眠ってる

WOO WOO あの娘が眠ってる

WOO WOO あの娘が眠ってる


〈/DEL〉


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あの娘が眠ってる 原野誰 @akazawa_t

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