第23話 責任。

 夢のような時間だった。

 だが夢ではという熱がまだ隣にいる。


「……もう、くたくたです……」

「……ああ、俺もだ……」


 お互いに天井を見上げながら疲労感に浸っていた。

 お互いが初めてだったので手探りだったが、その手探りも楽しかった。


 知らない一之宮を知っていく。

 一之宮も俺の知らないことを知っていく。

 言葉だけではどうしようもない事を知れた。


 事を終えたばかりの為、今はとても冷静な心持ちであるが、不思議と満たされていた。


「山田さん」

「ん?」

「今頃、九重はどうしているのでしょうか?」

「それは……考えない方がいい気もするな。後が怖い」

「ですね」


 イタズラに笑う一之宮。

 お金持ちのお嬢様が今現在こんな事になっているとは思っていないかもしれない。


 だが、これはもはや取り返しの付かない事をしてしまっている。主に俺が。

 一之宮の親からしたら、たぶらかしたのは俺になる。だからこれはかなりヤバい状況である。


「山田さん」


 もう1度一之宮は俺を呼んで手を握ってきた。

 指を1本1本絡めてきて、俺も同じようにその手を握った。


「私を、攫ってくれませんか?」

「ッ?! ……それは、どういう……」

「帰りたく、ないんです」


 そう言った一之宮は俺にしがみつくようにすがった。

 いつもお嬢様だった一之宮のか弱い姿だった。


 俺なんかよりも頭が良くて大体なんでもできる一之宮が、今はただの女の子でしかなくて、そんな一之宮が頼ってくるのが俺なんかでいいのかと心配になる。


 俺に何が出来るというのか。

 一之宮の為に出来ることなんでたかが知れている。


「理由、聞いてもいい?」

「……よくある話です。婚約者がいて、高校を卒業したら結婚する予定になってて……GPSなんて首輪も付けられてて、それが嫌で」


 絵に描いたような「よくある話」だった。

 ドラマとか漫画、創作でしかないような話。

 そもそも俺と一之宮の住む世界は違ってて、その違いはあまりにも違う。


 ある種のロマンでもあるが、現実においてそんな事をしたって幸せになれるなんて思えない。


「山田さんと出会う前、電子掲示板の存在を知って、私の知らない世界がたくさんあるのだと知りました」

「……そうだな」


 それこそ俺だって一之宮みたいな人が住んでる世界なんて知らなかった。架空の存在みたいなものだった。


「牛丼屋に初めて1人で行って、そうして山田さんが隣に座って……私は運命だと感じました」

「……運命の出会いが牛丼屋って、ロマンがないなぁ」

「私にとっては十分にロマンですよっ。あの時だってこっそり抜け出して分からない事だらけでしたし」

「お嬢様だもんな」

「結局私は世間知らずなんです。だから」

「俺だって世間知らずだ。同じだよ」


 お互いにたぶんそうだし、一之宮の感性を俺はよくわかってない。

 けど、知りたいと思えるだけでもいいのかもしれない。


 世の中なんて他人しかいなくて、思ってるほど誰も自分の事を気にしてなんかいない。

 その中で関わって、面白がって、話をして。


「攫ってほしいってのはさ、要するに駆け落ちって事だよな?」

「はい」


 真っ直ぐ俺を見て一之宮はそう答えた。

 その瞳から伝わってくる覚悟。

 その覚悟に俺は答えられるだろうか。

 答え続けることが出来るだろうか。


 それが怖かった。

 それでも握られたこの手を離す気にもなれなかった。


「……たぶん、さ。俺と一緒に居るより、婚約者と結婚した方がお金にも困らないだろうし、幸せになれる確率もある。後悔することも多いと思う」


 簡単な事は言えない。

 まだ高校を卒業してすらいない俺らに、安心安全で幸せな未来を堂々と示せる自信なんてない。


「駆け落ちして、幸せにしてやれる保証なんて微塵も出来ない」

「……はい……」


 一之宮の寂しい声が胸に響く。

 一之宮だって馬鹿じゃない。

 それなりの覚悟を持って今ここにいるのだろう。


「それに、貧乏ってのは思ってるより辛いぞ。食うもんにも困るし、金が無くて喧嘩だって増えるだろう」


 金銭問題は最もシビアだ。

 ましてや一之宮は立派な家のお嬢様。

 俺なんかが言っていいとも思えないが、金銭感覚は俺より庶民的ではない。


「俺なんかより他の男が良いって思うこともあるだろう。顔も見たくないって思うこともあるだろう」

「……そんなこと……」


 お互い熱に浮かされて、今に至る。

 一時の感情に身を任せて一之宮の手を取るにはあまりにも無謀だ。


「……なぁ一之宮」

「……なんですか?」

「それでもさ、一緒に居てくれるか?」


 幸せにしてやるなんて口が裂けても言えない。

 それでも今、隣に一之宮が居るこの心地良さはある種俺が求めていたものだった。


 1人でいるのは嫌だった。

 1人でいることを平気になっても、不意にそれは思い出す。


「はい。……ずっと一緒に居たいです。傍に」

「そうか」

「……今のは、プロポーズって事で、いいんですよね?」

「まあ、うん。そうだな」

「そこは「ああ、そうだよ」って言ってくれても良いと思うんですけどねっ」

「いやだって俺はまだ法律上は結婚できない歳だし」

「こ、これがマジレスというやつですか」

「まあ、そうだな」


 現状はお先真っ暗。

 これからどうしようか。どうしたらいいだろうか。


「まあ私、既に高校を退学してるので山田さんを口説き落とせなかったらどうしようかと思ってましたから安心です」

「はぁ?!」

「あの土地にもう戻るつもりはなかったですから」

「……思い切りが良過ぎて怖いな早くも」


 まあ結局、駆け落ちという事を踏まえるとどの道高校には戻らない事にもなっていただろうし仕方ないが……


「もしもそうじゃなかったら、一之宮はどうしてたんだ? ちなみに聞くが」

「それはもう傷心女の宛のない一人旅です。帰る場所はもう無いんですから」

「リスキー過ぎる博打バクチだなおい」


 それはそれで心配だな色々と。

 こんな事を平然と言ってのける一之宮の肝はある意味座っているのかもしれない。


「だから、離さないでくださいね」

「……ああ」

「未来の旦那様っ」


 無邪気にそんな事を一之宮を可愛いと思ってしまう俺は将来絶対苦労するのだろう。現実的じゃない。


 けれど、もう腹を括るしかないのだろう。

 現状中卒、金は当然無し。

 ついでに言うならアテもコネも無し。


 でもまあ、ろくに顔も見ない親よりも隣に一之宮がいる生活の方が幾分かマシかもしれない。金が無いのは変わらないし。


「とりあえず眠ろう。一之宮」

「はい。おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」


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