第21話 いやほらこういうのってさ、仕方ないじゃん?
「……」
「…………」
部屋に通されて10分。
俺らは終始無言であった。
俺と一之宮は横に並んで座ってて、その間には少しだけ隙間がある。
さっきからお互いにチラチラと見てしまっては目を逸らしての繰り返しで、ここからどうしたらいいと言うのだろうか。
べつに、そんなにいかがわしい所なんかじゃない。
ただ安全に眠るための宿泊施設である。
だから、べつに……べつに意識するような事は本来何一つないはずなのである。
「……ふ、風呂……どうするか?」
「どう、とは?」
「いやさ、露天風呂あるし、一之宮がそっち使いたいなら俺はシャワーで済ませようとかと、思って」
冬の名残りの寒さはあったとはいえ、歩いて多少の汗もかいていた。だから、風呂に入らないというのは少しばかり気持ちが悪い。
すでに布団は敷いてあって、風呂さえ入ればあとは眠れる。きっとぐっすりと。
「……山田さんは、どうしたいですか?」
「お、俺? 俺は……その」
女の子座りで上目遣いの一之宮に、そんな事をこんな状況で聞かれて素直に答えられる奴はそもそも童貞じゃない。
「……」
言葉に詰まっていると、不意に一之宮が俺の膝に手をそっと乗せてきた。
でも何も言わない。
下を向いて頬をやんわりと赤らめているだけだ。
その仕草が、俺からの言葉を待っているのだと訴えていた。
それは俺を立てるためなのか、単に恥ずかしいからなのかは俺にはわからなかった。
「俺はその……せっかくだし」
言葉という形の無いものが喉につっかえて、上手く話せない。それでも言葉にしなければならないのだろう。
「露天風呂を…………一之宮と一緒に…………」
精一杯のポーカーフェイスで一之宮の目を見て言った。
たぶん顔とか俺も赤いし、カッコつけれてないんだろうなぁと思って既に死にたくなった。
一之宮は自分の胸に手を当てて、少しだけの笑みを浮かべた。
「……見ちゃ、だめですからね。……恥ずかしいので」
「……善処します……」
見てはだめ、なんて言われて意識しない男はきっと地球外生命体か何かだろう。
色っぽくしっとりとそんな事を言う一之宮にグラつかない男はいない。
なぜか敬語になったし俺。
「…………」
「……………………」
体を洗ってふたり並んで湯船に浸かって、ただ夜空を眺めた。
体を洗っている間の記憶がない。
いや、洗ったんだが、全く記憶がない。
とにかく煩悩を必死に振り払おうとしていたという事だけはわかる。
お互いに一糸まとわぬ姿で、隣には当然一之宮の肌色があるわけで。
ある意味部屋に居た時と状況は変わってないような気すらする。
何かを話せるわけでもない。
でも幸いな事に、露天風呂の周りの照明はやわらかいオレンジ色の間接照明と三日月だけ。
だから一之宮の顔も、細かな体の艶もよくはわからない。
それでも一之宮の豊満な胸は暴力的な谷間が視界の端に見えていた。
「……」
「…………」
水の音だけで会話ができたらきっと楽だっただろう。
そのくらいしかこの場に音はない。
とても静かだ。
心臓の音を一之宮に聞かれていないかと心配になるほどに。
「月が、綺麗だな」
満月ではないけど、緊張感と煩悩のせめぎあいの最中の俺には三日月すら救いに感じた。
だからなんとなくそう言った。
「……そう、ですね」
俺の発した言葉に一之宮は俺の顔を見た。
俺は一之宮の方を見れなかったから表情はわからなかった。
だから、なんで一之宮が俺の肩にもたれかかってきたのかわからなかった。
細い指先や手が腕を掴んで、その感触が女の子だとわからせられた。
「……山田さんの、その告白はずるいです……」
「…………へ?! 告白?!」
「だ、だって今「月が綺麗」だって……」
急に話が飛んで意味がわからなかった。
一之宮は今何を言っている?!
いや、俺がなんか言っちゃったのか?
いやでもそれこそ「月が綺麗だな」しか言ってなかったぞ俺?
「……そうですよね、山田さんですし……」
「いやその、なんかごめん。よくわからないけど」
「……ふふっ。山田さんですからね」
「あ、今確実に馬鹿にしたよな?」
「ええそうですよ。だからあんまり他の女の子に簡単に言わないで下さいね」
「まあ、言う機会なんてそもそもないし」
「べつに私は、何度でも聴きたいですけど……」
「よくわからんから後でググろ」
「いえそれはなんか違いますっ」
「いやなんでだよ」
なぜだかよくわからないけど、少しだけ緊張は解けた気がした。
まあでも、それでいいのだと思った。
相変わらず一之宮は俺の肩にもたれかかっているから、それでもまだ心臓の鼓動は高鳴ったままだ。
「山田さん」
「なに?」
「月も綺麗ですけど……私のことも、見てほしいです」
「え、いや、そ、それは……」
いやさっき恥ずかしいから見ないでって言ってたじゃんとは言えなかった。
一之宮が俺と月の間に割って入るように俺と向き合うようにして太ももに跨ってきた。
水の滴り落ちる音と、一之宮の淫靡でやわらかな曲線から滑る水が三日月の光を歪めていた。
間接照明のわずかな灯りですら一之宮の胸や色が見えて、それはもうどうしようもないと言えた。
一之宮は俺の頬を両手で優しく包んでまっすぐ見つめてきた。
お互いに見つめあって、吸い込まれるようにおでこと鼻先が触れていた。
そのまま当たり前かのように唇が触れ合った。
滴り落ちる水滴の音も聞こえなくて、ただ気持ちが良かった。
触れ合っていたのが一瞬なのか、それとも数えないといけないほどに長かったのかはわからない。
けれど、この感覚に時間は必要無いのだと思った。
「……山田さん、肌寒いので、抱き締めてくれませんか?」
「……ああ……」
言われるがままに一之宮の華奢な背中に手を回して抱き締めた。
一之宮は俺の頬から今度は首に手を回して甘えるようにキスを求めてきた。
時間も脳も、理性さえもが溶けていく感じがした。
絡まる舌の熱がなにより熱くて、それ以外に考える事はできなかった。
息をするのもお互いに忘れてキスをして、それでも苦しくなって名残惜しく唇を離すと淫らに糸を引いた。
「一之宮……好きだ」
今なら、一之宮の為に死んでもいいとすら思えた。
だからか気持ちが言葉に出た。
「私もです」
一之宮は「やっと聴けた」と小さく呟いて、綺麗に笑った。
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