ツノあり令嬢、溺愛される(ツノが)

橙山 カカオ

第1話 角あり令嬢は誓わない

 午後の陽光が差し込む小部屋で、神官の厳粛な声が私の名を呼んだ。


「新婦、オリアーヌ」

「はい」


 この狭い部屋にいるのは三人だけ。神官と、私、そして今から夫になる男。


「神の名のもとに、病める時も健やかなる時も、夫を愛し、敬い、支え、慈しむことを誓いますか」


 神様に誓うのなら、嘘は言えない。私は一拍だけ置いて答えた。


「誓うわけねーだろ。愛とか何の冗談だ。妙なことをしくさったらこの角でぶっ刺す、って内容なら誓ってやる」


 私の頭には、一対の黒い角が生えている。両頭側から、赤髪を飾る冠のように額に向かう、湾曲した角だ。鋭い先端は前を向き、形としては牛のそれに似ている。そういう、獣の角や耳、尾を持つ人間は、『獣返り』と呼ばれている。

 神官は苦虫を十匹くらい一気に噛み潰したような顔をした後、神妙に頷き、私の隣に立つ男へと視線を移した。


「新郎、ジェラール」

「はい」


 隣に座った男、ジェラールの声は頭の上から降ってくるようだった。身長が高く、声は低い。灰色がかった黒髪を後ろに撫でつけ、服装も礼装を隙なく着込んでいる。……外見だけ見れば、私にはもったいないくらいの『夫』だった。


「神の名のもとに、病める時も健やかなる時も、妻を愛し、敬い、支え、慈しむことを誓いますか」

「はい。彼女の角は素晴らしい。人類の至宝と言っても過言ではないでしょう。生命を懸けて守り、慈しみ、その全てを解明してみせると神に誓います」


 熱のこもったジェラールの声を聞き、神官は苦虫をもう二十匹ほど噛み潰した上に苦草の汁を飲み干したような顔をした。多分、私も同じような表情をしている。

 結局、神官は全てを聞こえなかったことにすると決めたようだった。


「よろしい。それでは、この時を以て、オリアーヌ・メイターとジェラール・ガルニエは神の名の下に夫婦となった」


 何もよろしくない。睨みつけるが、神官は視線を中空に向けたままだ。神様でも見ているのか、意地でも現実を見ないという意思を感じる。

 いずれにしろ、この結婚を断るのは不可能だ。

 私は『獣返り』の角が生えた、弱小子爵の貧相な娘。

 相手は変人とはいえ天才と称される高名な学者であり、そして何より公爵閣下。

 私の立場なら泣いて喜ぶのが当然だ。結局断り切れないままに、噛み合わない二人の宣誓によって婚姻が結ばれたのだった。


「では、私は失礼する。……――全く、『獣憑き』のために儀式など……」


 神官が去り際に呟いた一言に、思わず苦笑する。何とも素直な神官様だ。『獣憑き』は、因果を過去に求める『獣返り』という呼び方よりも侮辱的な単語だが、もう聴き飽きてしまった。

 だが、なぜかジェラールの方が反応した。素早く腕を伸ばし、神官の肩に手を置く。


「お待ちを」

「な、何かね!?」

「『獣憑き』は不正確、かつ悪意のある表現ですね。獣相を持つ者たちに獣霊が憑いていると言う説はほぼ否定されていますし、神殿の見解では帝暦482年のクェロ公会議において『彼らもまた神の子羊である』と結論されています。よもや、神殿の見解に異論がおありか?」

「そのような……あるはずなかろう! 失礼する!」


 言外に異端扱いされて怒らない人間はいないだろう。神官ともなればなおさら。湯気が出そうなほど怒った神官は、しかしジェラールに反論することもできず部屋を出ていった。

 私はぽかんと、ジェラールは冷たい表情で、その背中を見送る。


「ふん。この私の前であのような単語を口にするとは」


 もしかして、今……庇われたのだろうか?

 『獣返り』を庇うような人間はほとんどいない。それも、神官相手に。聞き飽きたとはいえ、言われて気持ちが良いわけもない言葉に対して怒ってくれたのなら――


「その程度の見識だから、この角の至上の美しさを理解できないのだ。さあ、行くとしようか、角の君」

「誰が角の君だ」


 もちろん、それは私の浅ましい勘違いで。深々とため息をつき、差しのべられた『夫』の手を軽く叩く。


 私が、このいろいろな意味で不釣り合いな婚姻を結んだきっかけは、二週間前の夜会――

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