第32話:役目と代償

 

 水門の破壊を終えて帰還した私たちは、街に残っているアルジェブラの部下に事情を告げた。魔女が現れないことと、貧民街を調査してほしいこと。ついでにアルジェブラが水路の入り口を監視していることとかも。つまり面倒事は全部任せたって感じ。


「さて、私たちは寮に帰ろうか」

「ちょっと私は用事があるので、エチェカーシカを連れて先に帰ってください」

「ふむ? 私もついていかなくて大丈夫か?」

「野暮用なので大丈夫ですよお、気にしないでください」


 エマが不思議そうな顔をしながら寮の方角へ歩いていった。私が行き先を告げないのは珍しいから心配なのかもね。私としてはエマとエチェカーシカが喧嘩しないかのほうが心配だけど。相棒の後ろ姿が見えなくなったのをちゃんと確認してから、私は反対方向へ歩き始めた。

 小雨がしんしんと降っている。雨が弱まったということは、エレノアは本当に流されたのかもしれない。まだ油断できないけど、今すぐ避難をする必要がなくなったから安心だ。


「少し、急ぎますか」


 適当に人通りの少なそうな路地へ入った。曇天も相まって不気味なほど暗い路地裏を進む。服がびしょ濡れなせいで寒い。魔女騒動のおかげで人がいないのは幸いだ。平時なら真っ先に絡まれていたかもしれない。


 ちょうど良い場所を見つけた。ドラム缶や鉄の廃材で人目につかず、軒先のおかげで雨も当たらない。ほっと一息をつきながら壁にもたれかかる。気を抜いたとたんに体が重く感じた。次第に呼吸も荒くなり、体中の血が熱に浮かれたように熱くなる。ずるずると腰が下がり、やがて冷たい路地に座り込んだ。


「ちょっと……頑張りすぎた……かも」


 俯くと鼻から血が垂れた。ぼたぼたと落ちて水たまりに広がる。血流が早すぎて頭が痛い。思わず頭をおさえてうずくまると、胃の中から熱いものがこみ上げた。ゲホッと勢いよく吐き出す。赤い、けど、少し黒い。腐りかけって感じ。

 昔からそうなのだ。私の魔術は腐敗。触れるものをすべて腐らせてしまう。人も、魂も……そして私自身も。力を使いすぎると自らの力で倒れてしまう。


「ゴホ、ガッ……こりゃあ、いつもよりひどい……ゲホッ……!」


 何が嫌かって、息苦しくなるのだ。痛いのは慣れているけど、苦しいのは嫌い。焦って、心細くなって、余計に心臓が早くなる。そうすると頭がガンガンと響いて、また熱いものがこみ上げる。

 ギュッと体を丸めた。お腹に力を入れて我慢する。そうすれば痛いのも苦しいのも過ぎ去っていく。

 今回は魔術を使いすぎた。地下の地盤を崩壊させたときも倒れたのに、回復しないまま貧民街で黒点を撃って、さらに水門の破壊までした。もしも私の呪痕が一級まで成長していたら反動に耐えられたかもしれないけど、今の私ではこれが限界だ。


「やあメヴィ。元気そう……では、ないね」

「……ルドウィックさん」

「そろそろルディって呼んでほしいな?」


 夜霧にまみれて新聞屋が現れた。いつもなら彼が来る予兆を感じ取れるんだけど、今日は弱りすぎてまったく気づかなかった。不覚である。

 私の周りは事件現場のように血まみれであり、しかも私の魔導元素が漏れているせいでシューッと腐る音がする。血溜まりどころか腐敗溜まりと呼べそうな有り様なのだが、ルドウィックは顔色を変えずに近寄った。ああ、高そうな革靴から煙が出ている。溶けても私は知りませんよ。


「また無茶をしたんだね。君、魔術を使いすぎないように言われてなかった?」

「ここなら、ルル婆に、怒られません」

「そういう問題じゃないんだけど、まあいいや。その様子だと治療が必要でしょ。君のところの祈祷士ちゃんを呼んでこようか?」


 彼の申し出をふるふると断った。エチェカーシカに知られると、相棒どころか弓騎士にまで伝わってしまうからだ。この事実を知れば、善良な彼女たちはきっと私を頼るのをやめるだろう。それだけは避けたい。私は望んで力を使っているのだから。

 私は自分の腰辺りを探った。こんなときのために治療薬を常備している。きちんと教会に高いお布施をしてから貰った高級品だ。金銭的な都合であまり使いたくないが贅沢は言えないだろう。


「私には、これが……」


 手に力が入らなくてうまく掴めない。見かねたルドウィックが「手伝ってあげるよ」と言って私の服をめくった。気持ちはありがたいけど、乙女の体に躊躇なく触れるのはいかがなものか?

 薬を飲むと少しだけ、ほんの少しだけ痛みが和らいだ。効き目が早すぎるからプラシーボかもしれないけど、心なしか息もしやすくなった気がする。


「メヴィちゃんは燃費が悪いよね。せっかく素敵な体をもらったのに、魔術を使うと腐っちゃうなんて。まあ五体満足で生まれただけ幸運か」

「なにしに、きたんですか?」

「野次馬だよ。ああ、安心してくれ。記事にするつもりはない」


 ぱちん、とウインク。もの申したいことは色々あるんだけど、あいにく声を発するのも億劫だ。無駄な会話はしたくない。


「うーん、話し相手になってくれないと暇だな。かといって君を放っておくほど僕は冷たい人間じゃないし……うん、それじゃあ、メヴィちゃんが回復するまで昔話をしようか」

「どんな、昔話、ですか?」

「なんてことはない。についてだ」


 頼んでもないのに彼は語り始めた。小雨の音と、私がえずく音と、新聞屋の穏やかな声が路地裏に響く。血塗れの少女を見下ろしながら嬉々として語る男、という構図は、誰かに見られたら勘違いされるだろう。


「パラアンコのずっと北東に大きな砂漠があるんだ。そこには古い少数民族が暮らしている。決して豊かな暮らしとはいえない。少ない食料に厳しい寒暖差、そして水不足。ずっと雨が降らないことも珍しくない。そんな土地で、彼女、エレノアは慈雨を願う巫女だった」


 ルドウィックの目は特別だ。詳しくは知らないが、彼は星を通じて様々なものが見えるらしい。どれだけ遠く離れた事象もたやすく観測し、記事にする。きっと私のことも見られていたのだろう。


「赤ん坊のときに特別な呪痕を刻み、成長するほど宿主の魔力を吸って雨雲を呼び寄せる。しかも本人は制御できないから、ほとんどの巫女は呪痕に力を吸われすぎて衰弱死する。生贄のために生まれた子どもなのさ、彼女は」


 痛みはまだ引かない。立ち上がることのできない私は、地面に這いつくばって話を聞く。なんだか見下されている感じがして嫌な気分だ。でも話に集中すると痛みを忘れられるからちょうど良かった。

 私が黙って聞いているのがお気に召したのか、ルドウィックは嬉しそうに目尻を下げた。不健康な青白い肌で、大きな隈を作って、暗い瞳をした男。地面から見上げる新聞屋の姿はより一層不気味だ。


「エレノアは運悪く……まあ巫女に選ばれた時点で運が悪いんだけど……彼女の世代は子運に恵まれず、巫女はエレノアしかいなかった。本来なら複数の巫女で負担を分けながら祈るのに、彼女は齢九つにして村の願いを一身に背負わなければいけなかった。そして日照りが続いた年、エレノアは族長に言われた。雨が降らないのはお前の祈りが足らないからだ」


 ルドウィックが現れたのはたぶん善意じゃない。助けようとしてくれたのも、私がいなくなると記事のネタに困るからだと思う。だから彼を信用してはいけない。悪意こそなけれど、害意に満ちた存在だから。


「前時代的な文明って面白いよね。天気を予言しただけで女皇になった人物もいるぐらい、神の存在は信じられ、神事に関わる人物は高い地位が与えられた。つまり族長の言葉は絶対だったんだ。そして役立たずの烙印を押された少女は迫害された。神を信じぬ不届者だって。閉鎖的な空間での孤立は恐ろしいものでねえ、怒りの矛先は彼女の家族にも向いた」


 外界から孤絶された集落ではよくある話だ。ひとたび村八分にされたら居場所がなくなってしまう。善とか悪とかじゃなくて、それが常識なんだろうね。


「満足な食事を与えられず、愛する家族が罪人のように扱われ、虐げられる日々の中……エレノアはどうしたと思う? 彼女はねえ、祈りを続けたんだ。来る日も来る日も祈った。飲まず、食わず、日の光を浴びず、神殿に閉じ籠められ、鍵をかけられ、誰とも喋らずに祈った。あまりにも長すぎて僕も見るのを飽きちゃったよ。しかも彼女、ずっと神殿に閉じ込められてたから、家族が他界したことも知らなかったんだよ」

「素晴らしい、献身です」

「そこにだけ反応するのが君らしいというか……まあいいや。面白いのはね、エレノアは族長を恨んでいないんだ。家族の別れに立ち会えなかったことも悲しんでいない。たぶん、祈ること以外は何も考えていないんじゃないかな。魔女になるって、そういうことなんだよ」


 ルドウィックが片腕をまくり、細い指先で呪痕をトントンと叩いた。暗い路地裏に魔女の呪痕が淡く輝く。まるで生き物のように魔力が脈打つ。


「理屈じゃないんだ。何物にも変え難い信念が、人を魔女に変えるのさ」


 軽い調子で語る魔女。彼は言う、「一種の才能だよ」と。その瞳は期待するかのように私を見ている。敵意も悪意もなく、ただ純粋に野次馬として彼は楽しんでいた。

 ルドウィックの真意はわからない。ルル婆に「厄介者」と呼ばれるほど掴みどころがない人物だ。でもたぶん、魔女について私に知っておいてほしかったんじゃないかな。エレノアの過去を記事にするつもりもなさそうだし。


「エレノアの集落は、どうなったのですか?」

「沈んだよ。エレノアが街の氾濫に気づかず、無心に祈り続けた結果ね。神殿から出て故郷が沈んでいるのを見た時、彼女はなにを思っただろうねえ」


 魔女の考えはわからない。ルドウィックもエレノアも自分本位な者たちだ。私のような一般人が理解しようとすること自体がおこがましい。

 でも、わかったことだってある。祈りに傾倒するエレノアがわざわざ水門を破壊するとは思えない。彼女の目的は雨を降らすことであり、街を沈めることじゃない。ならば水門が壊されていたのはなぜか。エレノアの行く先々で街が沈むのはどうしてか。


「ルドウィックさん」

「なんだい」


 私はずっと引っ掛かっていたことをルドウィックに尋ねる。聞いていいのか迷ったけど、今しか聞く機会がなさそうだ。


「水門は、本当にエレノアが壊したんですか?」


 エレノアと直接話してわかったことがある。彼女は決して周りくどいことをしない。街を沈めるだけならば水門を壊す必要はないのだ。エレノアはただ待てば良い。それだけで大雨が街を沈める。難点は時間がかかることぐらいだろう。

 そして彼女は急いでいなかった。だからこそ街に滞在し、自らの手ではなく大雨で沈めようとした。なのに水門が破壊されたということは、街があっという間に沈むのを望んでいる者がいるということだ。例えば「たった数日で沈んだ都市」なんて記事で話題を呼びたいような、誰かが。

 ルドウィックは目を細めて笑顔を作った。私の推測に満足したように。


「僕は仕事柄、色々な人を見た。心を震わせるような曲を作るために生まれた音楽家。民衆を導くために立ち上がった王女。魔導を解き明かすために地位を捨てた名門貴族。そして僕は気づいた。人は誰しも役目を持っているんだ」

「誰しも……私にも?」

「そうさ。君ならわかってくれると思うよ。役目というと大層に聞こえるけれど、言うなれば人生の指針になるものだね。僕の役目はなんだと思う?」

「真実を、伝えること?」

「ちょっと違う。現実も捨てたもんじゃないと思えるほど、刺激的で面白い記事を書くことだ。そしてそれは、僕が何よりも優先することだ」


 ルドウィックは何もない空間から新聞を取り出した。明日の日付が記されており、一面に『前哨都市カタビランカ、魔女の手によって沈む』と書かれている。彼は「この新聞はボツになっちゃった。また書き直しだよ」と残念そうに手を離す。血溜まりに落ちた新聞は、しゅわしゅわと音を立てながらゆっくりと溶けていった。


「覚えておきなさいメヴィ。役目というのはね、時に命の重みすら超えてしまうのだ」


 そう彼は言い残して消えた。雨がしんしんと降る路地裏で、私は痛みが消えるまでうずくまっていた。



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