31:エピローグ(2)
「……それでもいいのではないでしょうか。殿下の衝撃や悲しみは、当たり前の気持ちだと思います。それに、殿下は王妃陛下を憎みたいとは思っていらっしゃいませんよね……?」
「どうでしょうね……憎んでしまえたらどれだけ楽かと思います。けれど、憎しみよりも、同情や虚しさが先に出てきてしまう。本当は、どうしてと怒って問い詰めたい気持ちもあるのに」
「……それは、王妃陛下が抱えていたものの片鱗を、殿下がきちんと理解しているからではないでしょうか」
理解できなかったと言うライナスは、きっと、自分の母親を、家族だからこそ、全て今すぐに理解しようとしているのだ。
それはライナスをひどく追い詰めることのように思える。
「王妃陛下の気持ちや真意は残念ながら、もうわかりません。だから、少しずつ受け入れていくのはどうでしょうか。考える時間はたくさんありますから。……その時に、周りにいる人や大切な人に話すことを忘れないでほしいです」
いつも大丈夫だと微笑んでしまう彼が、これから、少しでも誰かに寄りかかることができますように。
エルシーは心の中で密かに願う。
言い終えて、ライナスを見た。彼はいつのまにか膝の上で片手で頬杖をつき、微笑みながらエルシーを見つめている。
エルシーはその彼の見透かすような瞳に、心の中で思ったことが、言葉になってしまったかと少しだけ慌てた。
「……話を聞いてくれてありがとう、エルシー」
「いえ、臣下の務めですから」
わざとらしく真面目な顔をして言い返すエルシーに、ライナスは片方の口角を持ち上げる。そして、頬杖をやめて、体を起こした。
「なるほど。そういえば、話を聞いてくれる大切な人には心当たりがあるんです」
「え! ……もう後の婚約者候補が決まっていたのですか!?」
エルシーは今度は目を丸くした。その人物のことを詳しく聞きたいような聞きたくないような複雑な気持ちになる。いずれは知ることになるのだから、早いか遅いかの違いだが。
「いいえ、まだですよ。というか、決めるつもりもありませんが」
「うん? ……まあ、心当たりがあるのなら、ゆっくりでもいいかもしれませんね」
「全く気づいてないな、これは……」
何だか会話が噛み合っていないなとエルシーは首を傾げる。そんなエルシーを言葉とは裏腹に楽しそうに見つめながら、ライナスはエルシーの腰に腕を回して、ぐっと引き寄せた。
近すぎる距離に今度こそ、エルシーは慌てふためく。
「殿下!?」
「エルシー、あなたのことですよ。大切な人というのは」
「!?」
エルシーの顔から耳まで全てが赤く染まっていくのを、ライナスは愛おしげに眺めた。
エルシーはそのとろけるような視線から目を離せず、少し上にあるライナスの顔をただ見上げる。
「もう一度言いましょうか。私は、あなたを大切に思っています」
そうして、腰に回していないもう一方の手で、エルシーの頬を包む。
「エルシーのことが好きです。契約を破棄して、本当の婚約者になってほしい」
これは、現実だろうか。信じられないことが起きている。エルシーは、口を開くものの、言葉を紡げない。
そんなエルシーを見下ろし、ライナスは眉尻を下げて、いつかのようにさらに言葉を重ねる。
「約束を反故にしようとしている私を怒りますか?」
「……殿下……、卑怯です……その言い方は……」
こんな表情とこんな台詞、ライナスは絶対に分かっていてやっている。エルシーはそれを理解しながらも、それが嫌ではなかった。怒れるはずもない。
だって、ライナスが寄りかかれる誰かは、できるのならエルシーでありたかったから。
返事は今する? どうしよう?
そんな風にいっぱいいっぱいになっているエルシーを流石に見かねたライナスは、助け舟を出そうと口を開く。
「婚約者の件、返事はすぐでなくても――」
そう言われた時には、すでにエルシーの心は決まっていた。
「私も殿下のことが好きです。お傍でずっとお支えしたいです……」
ライナスの言葉を遮るようにエルシーが瞳を潤ませて返事を口にする。ライナスは一瞬驚いた顔をしてからまた微笑み、彼女の頬に添えた手で滑らかな肌を撫でた。
「相変わらず思い切りがいいね、エルシーは。そういうところが特に好きだよ」
「殿下、恥ずかしいので、もうやめてください……」
「ねえ、エルシー。名前を呼んで?」
そういえば、本人の前では名前をきちんと呼んだことがなかったとエルシーは気づく。好きな人の頼みだ。恥ずかしくて仕方がないことも、なんとか答えてあげようという気持ちになってしまう。
「……ら、……ライナス?」
あまりの可愛らしさにライナスは思わず、エルシーの額に口付けを落とした。
「エルシー、大好きだ」
歓喜の気持ちで、体が震えそうになる。恥ずかしさと嬉しさで、エルシーの瞳から、とうとう涙がポロポロとこぼれた。
「泣いている顔、やっと見れたよ」
ライナスは微笑んでその涙を指で拭う。エルシーは泣きながら、笑った。
庭園の入り口にいたフィルと、二人を部屋から見守っていたトレイシーとカーティスは、揃って安堵のため息をつく。
そして、机の上にあった契約書をトレイシーは懐に戻した。あとで、執務室で破って捨てようと背を向け、部屋を出ていく。
二人の幸せそうな笑い声が庭園に響いている。
◆◆◆
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本編はここで完結です。
次のお話から番外編となります。
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