14:依頼者
「ユージン王子、それでは本日はこれで失礼致します」
「ダルネル、今日も遅くまでありがとう。おやすみなさい」
「ゆっくりお休みください」
笑みを浮かべた幼い王子に、自身も微笑んで、薄暗い部屋を退室する。廊下に出た足取りは非常に軽い。
ダルネル・ラブキンは今日の計画が滞りなく上手くいくことを確信していた。
特に腕が立つ輩だという話だ。ならば、失敗などあり得ない。翌朝には、襲われた馬車と死体が発見されるだろう。こんな嬉しいことがあるのに、浮足立たないわけがない。
気づくと、後ろに人影があった。びくりと後ろを振り向く。
「ダルネル様、驚かせてしまい申し訳ございません。本日は計画の日。護衛をするようにと主人より遣わされました」
「なんだ、お前か」
音もなく現れた顔見知りの護衛の姿に、胸を撫で下ろす。計画を立てた以上、いつ自分が同じ目に遭ってもおかしくない。人を殺すとはそういうことだ。
ユージンのためならば、これからの人生にのしかかるそんな罪の意識も甘んじて受け入れよう。
「よろしく頼むぞ」
「お屋敷に戻られますか?」
「いや、家に戻る」
「お供いたします」
その家は、王子の教育係になってから、朝早くから夜遅くまで王子の側で仕えるのに好都合だった。もともとは、裕福な商人が住んでいたらしいが、すでに他国へと移住して空き家となっていた場所だ。そんな場所に、ダルネルは現実から逃げるように入り浸った。
家の中では、ラブキン公爵家の三男という自分、そして二人の兄と違って、特に特徴もない自分という存在を見ないふりができた。何をしても両親からも注目を浴びることはできない。いてもいなくても、何も変わらない。屋敷にいると、ずっとそんな自分を責められているような気がしていた。
護衛と共に馬車に乗り込み、程なくして家に着く。
「悪いが、茶などは出せないぞ」
「お気遣いありがとうございます。こちらで、報告を待つのですか?」
「そうだ」
護衛の存在は無視して、自室へと進む。ぴったりと後ろをついてくる。
「なんだ、私室にまでついてくる気か?」
「主人より、見届けるまで今夜は側を離れるなと言いつけられております」
「……」
ダルネルは溜息をつき、護衛が部屋に入ることを許した。
「先に言うが、部屋の中の物に関しては何も言わないでくれ」
「……もちろん。そんな時間はございませんから」
その言葉が耳に入るのと、自分の胸に刺さる短剣が目に入るのと、どちらが早かっただろう。左胸が熱い。
「ゴホッ……」
口から赤い血が吹き出した。護衛が、表情も変えずにダルネルを見上げて、短剣を抑える手に力を入れた。力の入らない手で止めようとするが、そのまま勢いよく引き抜かれる。
力の入らない体は、護衛という支えを失い、そのまま床に倒れた。
「……な、なぜ……?」
掠れた声で、それだけ尋ねる。短剣を持ったまま、護衛はダルネルを見下ろす。
「計画が成功しようが失敗しようが、あなたの処分を主人はお望みです」
短剣が、音を立てて床に捨てられる。床には大量の洋紙が落ちていたため、あまり音は響かなかった。血溜まりは、紙に吸われながら広がっていく。
ダルネルは、部屋の中にあるイーゼルに手を伸ばす。あの絵を完成させなければ。ユージン王子と約束したのだ。何度も描き直したあの絵を。
私の太陽。そして、救い。何の特徴もない自分を気に入り、必要としてくれた小さな存在。絶対にこの方に皇太子になっていただくのだと、それが自分の役割だと、そう思っていた。それはダルネルにとっては恩返しに近いものだったのだろう。
茶会でユージンがねだったから描いたダルネルから見ればただの落書き。それにあんなにも瞳を輝かせて。今でもはっきりと思い出せる。
「ねぇ、ダルネル。ダルネルは本当に絵が上手だね!」
落書きを覗き込むように前のめりで話しかけてくる王子。絵を褒められるのは初めての経験だ。素直に受け取れず、謙遜してしまった。
「有難いお言葉ですが、こんなものは何の役にも立ちませんよ」
その言葉にきょとんと、王子は首を傾げる。
「どうして? 僕が感動したんだから、きっと良いって思ってくれる人がたーくさんいるよ」
「王子……」
王子が、落書きを手に取り誇らしげに掲げた。
「この絵ちょうだい! 僕が部屋に飾りたいんだ! それぐらい素敵だよ! いつか、僕の絵も描いてよ!」
落書きを大切そうに見つめて、ダルネルに微笑む姿。いい歳をした大人だというのに、救われた気がして、言葉に詰まってしまった。
「ダルネル、僕に絵の描き方を教えて!」
「……もちろんです。ユージン王子」
差し出された小さな手を取ろうとしたが手が上がらない。
動かなくなったダルネルを見届けて、護衛は静かに家を後にした。
イーゼルには、描きかけの優しく微笑んだユージンの姿絵がかかっていた。
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