02:庭園にて


「伯爵、エルシー嬢と二人で庭を散策したいのですが、どうでしょうか」


 ライナスの申し出に、父親がエルシーを見る。エルシーは、深呼吸をして心を落ち着かせ、父親に頷いた。


「娘はまだ少し緊張しているようですから、少々でしたら、外の空気を吸うのはいいかもしれませんね。ぜひ、お願いいたします」

「ありがとうございます。そちらの庭を歩くだけですから、すぐにお返ししますよ」


 短時間であれば構わない、と遠回しに伝えてくれた父親に心中で感謝していると、ライナスが立ち上がり、エルシーに手を差し伸べる。エルシーは緊張した面持ちのまま、震えそうになる手を慎重に重ねた。


 庭園は相変わらず、すばらしい景色だ。花の香りが、ほんのりとしている。ライナスに手を引かれ、お披露目の時は人がいてよく見られなかった噴水や植物を見ていく。


「少し、緊張は和らぎましたか?」

「ええ、おかげさまで。……あらためて、素晴らしいお庭ですね」

「母が、とにかくこだわったのです。……エルシー嬢、あまり時間がありませんから、本題に入らせてもらっても?」

「婚約者候補の件ですね」

「いえ、あなたのスキルの件ですよ」


 にこりと、ライナスがエルシーを見る。エルシーは、一瞬絶句してその笑顔を見つめていたが、我に返って知らんぷりをしようと口を開いた。


「なんのことでしょう?」

「隠しても無駄ですよ。私のスキルは、他者のスキルを感知するものなんです」


 とんでもない自己紹介が始まってしまった、とエルシーは思わず後退りそうになる。それを咎めるように、ライナスに手を引かれ、逃げることはできない。

 

「殿下、これ以上のお話は……」

「私は今までこのスキルで、さまざまなスキルを持つ人材を見つけて、護衛や協力者として勧誘してきました」


 もうここまで聞いてしまったら、聞かなかったことにも、後戻りすることもできない。ライナスの企みにまんまと嵌ってしまったことに気づいた。


「エルシー嬢、あなたにも私に協力してほしいのです。表向きは、私の婚約者候補として」

「……婚約者候補である必要があるのでしょうか?」

「協力者になることで、あなたはここに来ることが増えるでしょう。それを他の貴族に嗅ぎ回られるのは困ります」


 なるほど、先程の部屋での口説き文句といい、婚約者候補というのは建前で、実際はスキルを使って王子に仕えることを求められているのか。エルシーは、「スキルだけを利用するなら……」という父親の言葉を思い出し、ライナスを苦々しく見つめる。

 ライナスは、それまで浮かべていた微笑みを消し、彼女をまっすぐ見つめ返した。

 

「エルシー嬢、私は今、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているのです」

「で、殿下……」


 重大な情報続きで、エルシーの声が震える。相手の怯えを感じ取ったライナスは、すぐに安心させるように微笑んだが、畳み掛けるのはやめない。


「端的に言うと、命を狙われています。だから、あなたの力を貸してほしい」


 きゅっとライナスがエルシーの手を握る力を強める。その手はライナスのものより小さく、指先はすっかり冷えていた。


「今、様々な秘密を聞いてしまいましたよね? エルシー嬢、あなたの選択肢は残念ながら、一つしかありません」

「……殿下、卑怯です。このような方法は」

「私も必死なのですよ。誰だって、死にたくはないでしょう?」


 エルシーは、小さく頷く。


「お返事は、今ですか?」

「おや、もう覚悟が決まりましたか?」


 明るいブルーの瞳がエルシーを意外そうに見つめる。


「選択肢が一つしかないとおっしゃったのは殿下ではないですか」

「……エルシー嬢、脅すようなことを言ってしまったことはお詫びします。ですが、最初にも言った通り、今日お返事をとは考えていませんよ。伯爵には婚約者候補として説明しますから、家族にも秘密が増えてしまいますし、なるべく無いようにはしますが危険もあるかもしれません。あなたが気持ちを固めるまで待ちます」


 そう言って、ライナスは、握っていたエルシーの手を自分の口元に近づけた。


「だから、また一週間後に会いにきてくれませんか」

 

 エルシーの指先に手袋越しに軽いキスを落とす。まるで、愛を乞うような姿にまたエルシーは顔を赤くして、狼狽えることとなった。


 ◇


 帰りの馬車の中でも、屋敷の自分の部屋に戻ってからも、エルシーはライナスに口付けられた指先をふと気づくと見つめていた。

 

 ニコニコと人の良さそうな笑顔で、悪魔のように脅しをかけてきたライナスにいい気持ちはしない。

 でも、エルシーがなんらかの方法でライナスから逃げたら?自分一人の力で何かが変わるとも思えないが、自分に助けを求めたライナスが死んだと知った時、平気でいられるだろうか。死にたくない、と言ったのは彼の本音だろう。彼を見捨てたことを後悔する日が来るかもしれない。

 それに、自分のスキルが誰かの役に立てるかもしれないなんて、これまでエルシーは考えてもこなかった。ニナのために使った時、初めて少しだけ誇らしく思えたのだ。

 ライナスを助けるための建前である婚約者候補という地位は、おそらく今の王子の危機的状況を脱すれば、お役御免となるはずだ。まさか本気でただの伯爵令嬢を迎える気はないだろう。


 ライナスがエルシーを自分の命のために利用するなら、エルシーも同じく自分の人生のためにライナスを利用する。

 本当に役に立つかなんてエルシーには想像もできないが、もし役に立てば、きっと何らかの褒賞がもらえる。それに、王子の元婚約者候補というだけで、他の令息からは引く手数多。エルシーにとっては全てが全て悪い話ではないのだ。

 

 エルシーは、指先から目を離し、父親の執務室へ向かうのだった。


 ◇

 

 エルシー達との茶会が終わった後、ライナスは、側近のトレイシーとともに、自分の執務室で書類の整理をしていた。

 

「殿下、かの令嬢のスキルは役に立つのですか?」

「役に立つよ。必ずね」


 トレイシーの言葉に、ライナスは手を止めて、薄く微笑む。エルシーが早々に返事をしようとした時の、ライナスを射抜くようなグレーの瞳はとても美しかった。会話の内容に怯え、赤面し狼狽えながらも、ライナスから一度も目を離さなかったことも高評価だ。以前のパーティーの時も思ったが、相当に肝が据わっている。


「一週間後には、こちらに来るからね。トレイシー、彼女のことを頼むよ」

「かしこまりました、殿下」


 トレイシーは、眼鏡のブリッジを指先で持ち上げ、頷いた。

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