01:王子の呼び出し
庭園お披露目パーティーの後、ニナとジョルジュの婚約はジョルジュ側の有責で破棄となった。アボット家は、ジョルジュと令嬢の家それぞれに多額の慰謝料の請求をしたそうだ。
さらに、エルシーの父親は、目の前で婚約破棄騒動を見せつけられたエルシーの心的負担を心配し、そんな騒動に大切な娘を巻き込んだジョルジュに立腹した。そして、最終的に見舞金まで請求してしまった。
実家にそんな多大な迷惑をかけたジョルジュ自身は、貴族社会から放逐され、浮気相手の令嬢と共に平民として暮らすことになったと風の噂で聞いた。
こうして、婚約破棄騒動が落ち着いた頃、エルシーは、ニナから茶会に呼ばれ、アボット家を訪れていた。
「エルシー、あの時はありがとう。私を庇ってくれて」
「なんだか無性にムカついたの! 役に立てたなら嬉しいわ。ニナはもう大丈夫?」
「ええ、もうなんとも。あんな男と結婚せずに済んでよかった」
優雅にカップを持ち上げたニナは、上品な笑顔を浮かべ頷く。
すっかり立ち直っている彼女の様子にエルシーは一安心した。今まで自分の屋敷の中でしか使ってこなかったスキルを使った甲斐があったと友人の笑顔に少しの達成感さえ感じていた。
◇
「王城から手紙?」
茶会から屋敷へ戻ると、父親に呼び出された。
「何か心当たりはあるかい?」
「何もなさそうなのはお父様が一番知っているのでは?」
と言いつつも、会場を後にする時のライナスの視線を思い出し、嫌な汗が背中を伝った。
「もしかしたら、例の騒動の時にスキルを使ったことに気づかれてしまったのかもしれないな……」
「でも、私のスキルは私以外の人の時間を止めてしまうから、気づかれる可能性なんて……」
「何はともあれ、王子殿下からの手紙だ。もしかしたら、本当に婚約者候補の打診かもしれないよ。読ませていただこう」
困惑するエルシーにソファに座るよう促しつつ、父親は王家のマークの封蝋がされた手紙を開封した。
手紙には、ライナスがエルシーに興味を持っていることが書かれており、王城への招待状が同封されていた。上質な紙に、金色の縁取りがされた招待状を父親が渡してくる。
「……エルシー。親として、王子殿下に興味を持たれたことは、とても誇らしいことだよ。ただ、スキルを利用されるだけなら、理由を作って領地に戻すこともできる」
「私だけを領地に?」
「療養でもなんでも、理由を作るよ。さすがに殿下も体調が悪いと言えば、遠慮してくれるはずだ。年頃の令嬢は、エルシーだけじゃないんだからね」
娘が、王子に興味を持っていないことをよく分かっていて、最終的には娘の意思を優先させようという父親の優しい言葉に、エルシーは頷く。
招待状を受け取ってしまった手前、さすがに今から領地に引っ込むなんてことは不敬すぎてできない。
一度は会いに行かなければならないだろう。招待状をじっと見つめ、エルシーは覚悟を決めた。
◇
王城へ招待された当日、またエルシーは朝早くから念入りに準備をしてもらった。艶のあるエメラルドグリーンの髪は、複雑に編み込まれて後ろでまとめられている。
父親と伯爵家の馬車に揺られながら、エルシーは緊張で心臓が口から出そうになっていた。庭園お披露目パーティーの時、料理だけを楽しみに馬車に揺られていた能天気な自分を恨めしく思う。
王城に到着すると、父親のエスコートで馬車を降りた。そのまま、待ち受けていた使用人の後をついていく。
待ち合わせの部屋に入ると、ライナスはまだ来ていないようで、自由に過ごして待っていてほしいとのことだった。
せっかくなので気を紛らわすために部屋の内装を確認してみる。さすが王城の一室、大きな窓から庭園をゆっくり眺めることができ、そのまま庭に出て行けるようだ。
父親とたわいのない会話をしていると、ノックの音が聞こえ、扉が開いた。殿下だわ、と、エルシーは身を固くして立ち上がり、カーテシーをする。
「顔をあげてください。クルック伯爵、そして、エルシー嬢」
耳障りがよく、優しげで少し低い声が聞こえ、エルシーは姿勢を戻した。輝くような金色の髪に、明るく澄んだ空のような青い瞳が目に飛び込んでくる。
まだ距離があるが、パーティーの時よりも近い。近くで見れば見るほど、美しく、どこに目をやればいいか分からなくなりそうだ。
「どうぞ、かけてください。今日は、城まで来てもらいありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、王子殿下からこのような場にお誘いいただき、恐悦至極にございます」
ライナスは、偉ぶったりしない物腰柔らかな人のようだ。
改めて席に着くと、使用人がお茶と菓子を運んでくる。緊張で全く味がしそうにないが、ライナスに勧められるがままに口をつける。
そんなエルシーをよそに、二人はクルック家がおさめる領地についての話を始めた。ライナスが一貴族の地方の領地について、すでにかなり詳しく学んでいることがうかがえる。興味深そうにエルシーの父親の話に耳を傾け、エルシーにもほどよく話を振ってくれた。
そうして、お茶が飲み終わる頃には、父親もすっかりライナスの人柄に安心しきっているのが分かった。
空気が和やかになるのを待っていたのだろう。ライナスがそれまでよりも真剣な眼差しをエルシーと父親に向けてくる。
本題が来る、とエルシーは居住まいを正した。
「クルック伯爵、実は、エルシー嬢を私の婚約者候補にと考えています。もちろん、まだお互いのことを詳しく知らないので、すぐにお返事をとは言いません」
「殿下、私どもにとっては身に余るようなお申し出です。一つ、質問をよろしいでしょうか?」
「もちろんです。どうぞ」
「娘のどんなところに興味をお持ちになられたのですか?」
その質問はエルシーも一番聞きたいとおもっていたものだ。目があったライナスは少し顔を赤らめて、エルシーに微笑みかけた。美しい笑みに、つられて顔が熱くなってしまう。
「とても、可愛らしい方だと思ったのです。……それに、先日の一件では、友人を庇い騒動の中から連れ出していましたよね。友達思いで、勇気のあるところを好ましく思いました」
やはり、ニナを背中に庇い、手を引いていたところを見られていたようだ。スキルに関しては何も言ってこなかったことに、エルシーが良かったと密かに安堵していると、ライナスは言葉を切り、彼女を真剣な顔で見つめた。
「エルシー嬢、どうか、あなたのことをもっと私に教えてくれませんか? もちろん、私のことももっと知って欲しい」
エルシーは、ストレートな口説き文句に言葉が見つからず、しかし、簡単に頷くわけにもいかず、狼狽えた。そんなエルシーを、ライナスは微笑ましげに見つめていた。
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