第42話 到着
「やっと着いた」
「疲れましたね」
ダークスネークとの戦闘から一時間ほどが経った頃。
ようやく丘を登り切った俺たちは、お互いに疲れた様子を見せながら地面へと座り、ここまでくる間に感じたことを言葉にし合う。
「けど、ダークスネークと戦った後は魔物が出なくて楽ではあったな」
「そうですけど、今度は周囲から向けられる魔物の視線によって死ぬかと思いましたよ」
「確かに。あの視線は尋常じゃなかったな。まるで虎に狙われるウサギのよう気分だった」
ダークスネークを倒してからは特に魔物から襲われるということはなかったが、その代わりさらに強力な魔物たちから熱烈な視線に晒され続け、それはさながら、捕食される前の小動物にでもなったような気分にさせられた。
「ほんとですよ。私はか弱い乙女なのに、あんな獣たちから今にも襲われそうな視線を向けられて可哀想でした」
「あはは。自分でそんなことを言う余裕があるなら、まだまだ大丈夫そうだな」
「はぁ。期待はしてませんでしたが、もう少し女の子として扱って欲しいものですね」
「はは。なら、まずは女として認識してもらえるようにならないとな。今のお前じゃ、まだペットって感じだからさ」
「酷いです。こんなにも頑張ってるのに」
エレナはそう言ってわざとらしく少しだけ頬を膨らませると、拗ねたような態度を見せながら顔を晒した。
俺はそんな彼女の反応を面白がりながらその場から立ち上がると、彼女にも手を差し出して立たせてやる。
「さて。休憩はここまでだな。あと少し歩けば師匠のいる家に着くから、もう少しだけ頑張れよ」
「無理そうだったらお姫様抱っこでもしてくれますか?」
「まさか。疲れたなら後から追いかけてくればいいから、体力が回復するまでここにいていいぞ」
「あっ!待ってください!冗談です!置いていかないでください!」
エレナがよく分からないことを言い始めたので、そのままこの場所に置いて行こうとすると、彼女は慌てた様子で俺の横まで駆け寄ってきた。
それからしばらく歩いていくと、少し離れたところに灯りが一つ見え始め、さらに近づいていけばそこそこ大きな家が現れる。
「ここですか?」
「そう。ここが俺の師匠、『宵闇の魔女』の住んでいる場所だ」
その場所には人が四人ほど暮らせる程度には大きい家と、近くには陽の光が当たらないにも関わらず、畑には変な植物や花が植えられていた。
「どうやら今は外出してるみたいだな」
「どうしてわかるんですか?」
「ほら。扉の方を見てみろ」
「扉ですか?………あ」
エレナが俺に言われて扉に目を向けると、そこには『ただいま外出中。用のある方は中で待つように』という看板が下げられていた。
「ということだから、中で待つとしよう」
「え?ですが、勝手に入っていいんですか?その、あとから殺されたりしませんか?」
「入っていいと書いてあるから問題ない。それに、あの人はむやみに人を殺す人ではないし、そもそも悪意のある奴はあの家に入ることすらできないからな。気にするな」
「そ、そうですか」
エレナは未だ不安そうな表情をしていたが、俺が扉に手をかけて中に入ったのを見ると、彼女も恐る恐るといった様子でついてくる。
「本当に大丈夫なんですか?急に魔法が発動して死んだりしませんか?」
「悪さをしようと思わなければ大丈夫だ」
「え。それってつまり、逆に悪さをしようとすれば死ぬと?」
「あぁ。この家には師匠が掛けた魔法がいくつかあるんだが、悪意を持った者が扉に触れた瞬間、そいつは強い幻覚を見ることになる」
「幻覚ですか?」
「そう。闇魔法の一つに『
誘う悪夢は指定した対象に悪夢を見させるという魔法で、直接的な攻撃力こそ無いが、その魔法を掛けられた相手は潜在的に恐れているものを幻覚として見ることになる。
その結果、その人は恐慌状態に陥ったり、幻覚と仲間を見間違えて殺害したり、恐怖に耐えきれずに自殺したりと、冷静な判断ができなくなるのだ。
「それと、あそこを見てみろ」
「え、あれってもしかして……魔物?」
「ケルベロスっていうSSSランクの魔物の変異体で、頭が一つしかない特殊な奴だ。まだ子供だから成体ほど強くはないが、今でもSランクの魔物くらいには強い」
俺が指差した先にいたのは、蹲ったまま眠っている黒いもふもふとした塊で、それは本来であれば頭を3つ持った地獄の番犬とも呼ばれるケルベロスの子供であった。
しかし、こいつはケルベロスの変異体で頭が一つしかなく、群から追い出されていたところを師匠が拾い、現在はペット兼番犬として飼われている。
「Sランク……」
「だから、俺たちが仮に悪意を持ってこの家に入れば、あれの餌になるということだ。けど、実際のところ俺たちは襲われてないから、入っても問題ないということだな」
「よ、よかったです。あんなのに襲われたら、私なんて即死でしたよ」
「だな。今の俺でも敵わない奴だし、本当に良かったよ。それより……」
俺はそこで一度言葉を区切ると、改めて家の中を見渡すが、俺は予想していた通りの状況に思わずため息を吐いてしまう。
「相変わらず汚い」
師匠はとても強くて頭も良いのだが、自身の生活に対してはあまり興味のない人で、さらに片付けるのも苦手でだらけるのが好きというだらしない人だった。
そのため、部屋の中には至る所に彼女の服や本、そして何かの資料のような物が散乱しており、ある意味では生活感を感じさせてくれるほどに散らかっていた。
「仕方ない。まずは片付けるか」
「ノア様がですか?というか、勝手に片付けてもよろしいのでしょうか」
「俺以外に片付ける奴なんて誰がいるんだよ。それに、あの人がこんなことで怒る性格じゃないのは理解してるし、あの人の好みもわかってる。だから、師匠に合わせて片付けることくらい難しくないさ」
俺がこの家にいたのはゲームの本編が始まる学園に入学する前までだったが、何故か俺には生まれてからゲーム本編が始まる前までの記憶も頭の中には存在しており、そのおかげで師匠の好みもしっかりと理解していた。
しかし、逆にゲームが終了後の記憶は頭の中には存在しない訳だが、理由はおそらく、そもそもゲーム完結後のストーリーが存在していないからだと思っている。
絵本に例えるのなら、物語の主人公が活躍する本編に対し、彼が活躍するに至った経緯や過去の記録はその主人公を形作る上で重要な情報となるが、逆にその後の物語というのはあまり重要ではなく、極端に言ってしまえば、その後は主人公が死のうが生きようがどうでもいいと言うことだ。
だから俺にも、ゲームの主人公であった俺がどういう過去を経て勇者となり世界を救ったのかという記憶はあっても、その後の俺が寿命で死んだのか、それとも誰かによって殺されて死んだのかという記憶は一切無かった。
「エレナは窓を開けて部屋の空気を入れ替えてくれ。俺は服とかを片付けるから」
「わかりました」
それから俺たちは、主人不在の部屋を勝手に片付けていく訳だが、床には服や本以外にも下着などが落ちており、俺はそれを呆れと懐かしい気持ちを抱きながら回収していく。
「ノア様。女性の下着を勝手に触るなんて失望しました」
「片付けてるんだから当然だろ。それに、今さら師匠の下着なんか見たところで何とも思わないよ。寧ろ自分で片付けて欲しいくらいだ」
俺が躊躇いなく師匠の服や下着を集めているところを見たエレナは、何故が軽蔑したような目で俺のことを見てくるが、今さらあの人の服や下着に触れたところで、彼女が思ってるような邪な考えなど生まれるはずもない。
(過去でも片付けや洗濯をしてたのは俺だったし、何なら拾われた最初の頃なんて一緒に風呂にも入ってたからな。今さら恥ずかしいとか得をしたなんて考え生まれる訳ないだろ)
その後、早く手を動かせとエレナに指示を出したあと、洗濯や皿洗い、そして床の掃除など全部終わらせ、最後に軽く料理を作って椅子に座った頃、タイミングよく家の扉が開かれる。
「あら?お客さんかしら。それに、何故かとってもいい匂いがするわ」
色気を感じさせる甘い声と共に中に入ってきたのは、膝の辺りまで伸ばされたウェーブの掛かった赤い髪に、空のように透き通った青い瞳をした20歳くらいの美女であった。
さらにその人は、腰の辺りまでスリットの入った黒いドレスを着ており、頭には魔女のような大きいとんがり帽子を被り、左目には赤い薔薇が彫られた美しい眼帯を付けるという特徴的な格好をしていた。
その人は不思議そうな顔をしながら家の中をしばらく見渡すと、椅子の前に立っていた俺たちを見つけ、綺麗な瞳でこちらを見てくる。
「師匠。お待ちしておりました」
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