第32話 生きてた

「んん…重い…」


 窓から差し込む光に眩しさを覚えながら意識を覚醒させると、背中にはベッドの柔らかさ、そして体全体には謎の重さを感じながらゆっくりと目を開ける。


 すると、布団に隠れた自身の胸元あたりには黒髪の頭頂部が見えており、本体は布団に潜っているのか、俺は何故か一緒に寝ていた彼女によって力強く抱きしめられていた。


「なんだ…この状況。てか、喉いてぇ」


 未だ状況が理解できていない俺は少しだけ困惑しながらそう呟くが、まるで久しぶりに喋ったかのような喉の痛みを感じながら、全く離れようとしない彼女の頭を思い切り叩いた。


「いたっ。え?なに?痛かったんだけど、どういうこと?」


「状況を尋ねたいのは俺の方なんだが。これはいったいどういう状況だ?」


「……え?」


 頭を抑えながら勢いよく体を起こし、周囲を見渡していたエレナに声をかければ、彼女はまるで幽霊でも見たかのように動きが固まり、今度はゆっくりと自身の頬をつねる。


「い、痛い…」


「何やってるんだ?」


「あ、あの…本当に、ノア様ですよね?生きているんですよね?」


「あぁ。俺は確かにノアだな。それに、見ての通り生きてもいるぞ」


「あの、確認ですが、ノア様は私のことなんて呼んでいましたか?」


「ワンコだろ。負け犬だろ。あとはペットかな」


「本当に…ノア様だ。ノア様、ノア様ー!!」


「うわ!?なんだよ!!」


 エレナは何故か泣きながら俺のことを抱きしめると、胸元に顔を寄せて俺の服を涙で濡らす。


(どうなってるんだ本当に)


『状況説明が必要ですか?』


『レシアか。可能なら頼む。エレナがこんなんじゃお前しか教えてくれそうにないし』


『かしこまりました』


 一向に状況が分からないでいると、レシアが自分から今の状況について説明してくれるというので、今回は彼女に任せることにした。


『まず、簡単にまとめるとノアは五日間眠った状態でした』


『は?五日も?』


『是。ノアとゲイシルの戦闘が行われた日から数え、今日で五日目になります』


『まじか。そんなに寝てたのかよ。そりゃあ喉が痛くなるよな』


 まさかあの戦闘から五日も経っていたなんて思ってもおらず、精々二日程度だと思っていたのでこれには驚いた。


『また、戦闘が終了後、あなたの体はゲイシルの毒により腐り、溶け、変色しておりました。それはもうグールと見間違えてしまうほど酷い状態であり、誰もが助からないと…いや、寧ろ死んでいるだろうと思っていました。それは目を覚ましたエレナも同じであり、あなたが死んだと思った彼女は泣きながらあなたに縋り付きました。そこで、彼女はあなたの心臓がまだ動いていることに気がつき、町の住民に手伝ってもらいながらこの部屋まで運んだのです』


『なるほど。なら、俺がそのまま死体として処理されなかったのは、エレナのおかげってわけか』


『是。その後、部屋に運ばれたノアの体は少しずつ回復していき、腐った肉は健康な状態に、溶けた肉は綺麗な状態に、変色した肌は元の色に戻ったのです』


『治ったということは、つまり俺はゲイシルの吸収に成功し、さらに奴のユニークスキルを獲得できたということか?』


『是。通常であれば、あの状況でユニークスキルを獲得できる可能性は2%ほどしかありませんでしたが、ノアの母親である幸運の巫女によって与えられた幸運の結果、ユニークスキル〈毒の王〉を獲得することができました。その後、私の方で〈毒の王〉を使い解毒薬を体内で生成し、毒の完治に成功したのです』


『なるほど。母上が…』


 どうやら夢で見たあれは、夢ではなく本当にあった出来事のようで、あの時に母上が言っていた通り、彼女が自身の命を削ってまで掛けてくれた幸運が、今回俺を助けてくれたようだ。


(母上には感謝してもしきれないな)


 俺はそう思いながら窓の外に目を向けると、町の住民たちが協力して建物の修復作業を行なっており、慣れているからか、もう少しでその修復も終わりそうな雰囲気があった。


「エレナ」


「は、はい……」


 レシアと話していた間もずっと泣きながら抱きついて離れようとしない彼女に声をかけると、目元を真っ赤にしながら俺のことを見上げてくる。


「今回はお前にも助けられたみたいだな。ありがとう」


「い、いえ。私はノア様が生きてるって信じてましたから。だから、当たり前のことをしたまでです……」


 信じていたとは言ってくれたが、それでもやはり不安だったようで、彼女の涙が止まらないのがそれを証明しているようだった。


「お前にはお礼をしないとな。何か考えておいてくれ」


「そんな、勿体無いです。私もノア様に助けられていますし、素晴らしい武器だっていただきました。今回はそれを返しただけです」


「いや。お前がゲイシルの足止めをしてくれてなければ、俺はあの後、奴の追撃を受けて死んでたかもしれない。その後もこうして看病してくれたわけだし、何か返さないと母上にも怒られてしまう」


「奥様にですか?」


「あぁ」


「わかりました。なら、何か考えておきます」


「そうしてくれ」


 母上には昔から恩はしっかりと返すように言われていたので、今回は命を助けてくれたエレナの恩に報いる必要があると考え、彼女の要望を聞くことにした。


「それでノア様。これからどうされますか?」


「そうだな。体自体は既に完治してるから、二日ほどリハビリを兼ねて体を動かして、あとは町の修復も手伝う。んで、次のところに移動しよう」


「わかりました。次はどちらへ?」


「ファルメノ公爵領」


「え……」


 次の目的地を聞いたエレナは驚きのあまり固まってしまうが、しばらくして落ち着いたのか、改めて確認のため同じ質問をしてくる。


「あの、もう一度お聞きしてもいいですか?ノア様の口がおかしくなったようなので」


「次はファルメノ公爵領に行くって言ったんだ。おかしくなっていないだろう」


「ど、どうしてですか?!ようやくここまで逃げてきたのに、何故また公爵領に戻るんですか!」


 エレナの疑問は尤もで、何週間もかけてこの町まで来たというのに、わざわざ敵の巣窟に戻るというのは自殺行為にも等しいが、これにはちゃんとした理由がある。


「落ち着けエレナ。ちゃんと理由を教えてやる」


「当然です。理由も教えてくれないようなら、今すぐにでもノア様の手足を切り落とし、私が担いで遠くまで逃げます」


「いや、それはそれでどうかと思うぞ」


「問題ありません。私がちゃんとお世話しますから」


「違う。世話とかの話じゃないんだけど…まぁいいや。とりあえず理由を話すぞ。俺がファルメノ公爵領に戻る理由は二つ。一つは俺が負けず嫌いだからだ。やられた分はやり返す。奴らもゲイシルの帰りを待っているだろうし、返してあげるのも悪くはないだろう?」


「ノア様が負けず嫌いなんて初めて知りましたが?それに、あの場所にゲイシルの死体はありませんでした。それなのにどうやって返すんですか?」


「それなら問題ない。ゲイシルの死体は俺のスキルで吸収したんだが、そのスキルと闇魔法を合わせれば複製体が作れる。それをお届けするだけさ」


 レシアに吸収したゲイシルの死体を複製することが可能か聞いたところ、闇魔法のドッペルゲンガーを使えば可能だというので、今回はそれを死体として公爵家に配達するつもりだ。


 もちろん、その時に他の暗殺者たちの死体をお届けするのも忘れない。


「はぁ。わかりました。それで、二つ目の理由とは?」


「そうだな。こっちが本命なんだが、俺の師匠に会いに行く」


「お師匠様ですか。あれ?でもノア様って、これまで一度も公爵邸を出たことありませんでしたよね。それに誰かに何かを教わったという話も聞いたことがありませんが、いったいどこでお知り合いに?」


「一度も会ったことないが?」


「は?」


「俺が一方的に知ってるだけで、あの人はまだ俺に一度も会ったことことがないぞ」


「……あぁ、これってデジャブってやつですか?例の大切な人と同じですよね」


「その通り」


 当然の話ではあるが、俺が師匠を知っているのはゲームの記憶があるからで、その記憶がない師匠は俺のことなど知るはずもない。


 だから、今回も俺が一方的にあの人を師匠と呼んでいるだけで、あの人は俺という弟子がいたことを知らないし、会ったことさえ一度もない。


「もういいです。ノア様が変な人だということはわかっていますから、これ以上は何も言いません。では、そのお師匠様がファルメノ公爵領にいらっしゃるのですね?」


「あぁ。ファルメノ公爵領にいるよ。それだけは間違いない」


 本来であれば、既に俺はあの人に拾われて指導を受けている時期なのだが、今回は俺が双子の森へと来たため師匠との出会いイベントが終わってしまっている。


 しかし、あの人には特殊な事情があり、余程の理由がない限りあの場所を離れることがないため、今もあの場所に一人で生活しているはずだ。


「ちなみにですが、お師匠様はどんな方なんですか?」


「お前も多分知ってるぞ?あの人は有名人だからな」


「そうなんですか?」


「あぁ。『宵闇の魔女』っていえばわかるよな」


「宵闇の魔女?え、嘘ですよね?宵闇の魔女って、あの不可侵の魔女ですか?!」


「そう。人間からも魔族からも嫌われる半魔族でありながら、混沌の魔導書に選ばれた闇魔法の天才。それが俺の師匠だ」


 今から約数十年前、闇属性の賢者の書に選ばれた半魔族の女性はその力を抑えきれず、一夜にして国を一つを滅ぼした。


 彼女の力を恐れた人々は彼女のことを宵闇の魔女と呼ぶようになり、排除しようとするも悉く失敗。


 彼女の絶対的な力の前に為す術を無くした人々は彼女のことを放置するようになり、関わることや名前を呼ぶことさえタブーとなった。


 幸いだったのが彼女には虐殺趣味が無いということで、手を出さなければ彼女が何かをしてくるということもなく、結果、不可侵の存在となったのが俺の師匠なのである。


「い、胃が痛いです。キリキリします…」


「可哀想に、胃腸薬でも作ろうか?」


「誰のせいだと思ってるんですか!」


 わざとらしくお腹を抑えるエレナに睨まれながら、そんな彼女の反応を見てしばらく笑ったあと、俺は自身が眠っていた間の話をエレナから聞きながら、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごすのであった。






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