魔獣骨肉店
九澄羊
第1話 魔獣骨肉店の代理店主
―――また、あの夢を見た。
汗が滲んだ額を拭う。
寝間着代わりのシャツまですっかり汗まみれだ。
張り付く前髪を除けつつ、体を起こしてベッドから立ち上がる。
カーテンを引くと、今日も鬱陶しいほどの青空が広がっていた。
こっちの気分なんかお構いなしの日差しが燦々と降り注ぐいい天気だ。
ため息を吐いて、簡単に着替えを済ませ、部屋を出る。
「あっ、師匠!」
最初に目に入ったのは忙しなくパタパタと駆けまわっていた小柄な姿。
黒髪の間から覗く三角の耳、尻には長く黒い尻尾を生やし、釣り目気味の目は赤い。
「おはよーございます!」
獣人亜種の娘、うちで手伝いをしているミアだ。
行き倒れていたところを拾って、以来すっかり居ついてしまった。
タダ飯食らいを住ませるほど俺はお人好しじゃないから店を手伝わせている。
簡単に説明しておこう。
世間にヒトは二種類いて、片方は俺のようにこれといった特徴を持たない『人』、もう片方はミアのような獣の特徴を持つ『獣人』
二足歩行で『人』に近い体形をしているが、獣人は外見的にはほぼ獣だ。
立って歩く猫なんかを想像してもらうと分かり易いと思う。
その獣人の中でも『亜種』、ミアのような例外は、獣の姿ともう一つの姿、人に獣の特徴が現れた姿という二つの姿を持っていて、意識的に切り替えることができる。
獣人姿のミアはデカい黒猫だ、毛並みは悪くないが、換毛期になるとやたら毛が抜けて鬱陶しいので、いつも人の姿でいるように言いつけてある。
見ないフリで放っておくわけにもいかず、仕方なく助けてやっただけだというのに、俺にやたら懐いて「師匠、師匠」とうるさいことの上ない。
俺は弟子を取った覚えも、まして、弟子を持てるような身分でもないというのに。
「おやおやン?」
パンの入ったカゴを抱えたミアは、鼻をクンクンと動かしながら傍に寄ってくる。
「師匠、お顔の色がすぐれませんよ、また悪い夢を見ましたね?」
「お前には関係ない」
「えーッひどい! ミアは敬愛する師匠を心配して差し上げただけなのに、そんな冷たい言い方ってあります?」
起き抜けの頭にこいつの声はやたらと響く。
返事をするのも面倒で、無視して居間へ向かう。
まだ背後から文句が聞こえてくるが、いつものことだ、放っておけばそのうち気が済む。
そういえば前髪伸びたな、そろそろ切らないと。
視界に入って邪魔だ。
俺は、エリアスという。
現在店主不在の、この魔獣骨肉店で代理店主を務めている。
この店の正式な店長の名はヨル。
両親が死に、身寄りを無くした幼い俺を育ててくれた恩人だ。
数年前に依頼を受け、魔獣の討伐に出掛けたきり戻らない彼女を、俺はこの店を守りながら待ち続けている。
ちなみに、彼女の失踪に関し、国の治安を司る機関は仕事の特性上事件性は無いと判断して、捜査どころか捜索さえもまともに行いはしなかった。
確かに魔獣の肉や骨を扱うこの店は、店主のヨル自ら仕入れを行うこともあり、俺も何度か同行したことがある。
討伐に失敗すれば最悪は死が待ち受ける、ある部分では危険と隣り合わせの仕事だ。
しかし彼女は強かった。
魔獣如きに後れをとるとは考えられない。
だが、もし生きているとして、連絡さえよこさない理由に見当もつかない。
討伐先に足を運んでみもしたが、僅かな痕跡さえも見つけられなかった。
だからいまだに割り切れない。
彼女が、ヨルが死んだと思えないんだ。
俺はずっと彼女の帰りを待っている。
そしてその頃から―――同じ悪夢を、もう何度も繰り返し見続けている。
「ししょーッ!」
居間の椅子に掛けて思索に耽っていた俺の耳に、また姦しい声が飛び込んできた。
「今朝のお茶はどっちにします? スーッとするやつですか? それとも胃に優しいやつ?」
「水でいい」
「了解しましたっ、胃に優しいお茶にしますね!」
ああ、まったく。
半年ほど前に拾って、傷が癒えてようやく自由に動けるようになったと思ったら、このありさまだ。
大雨の日、血まみれで街道に倒れていたミア。
怪我の理由、怪我以前のことも、何一つとして思い出せないらしい。
医者に診せていないから何とも言えないが、恐らくは心因性の記憶喪失といったところだろう。
自分の名前だけはかろうじて覚えていた。
そんな奴を放り出すわけにもいかず、こうして置いてやっているが、最近は日に日に厚かましくなるようだ。
まあ、それなりに便利ではあるが。
テーブルに置かれた新聞と見積書、そして依頼書に手を伸ばす。
一輪挿しに活けられた花。ミアが毎朝勝手に摘んできて、勝手に飾っている花だ。
俺は花には特に興味がない。
そしてこの新聞は、ここ商業連合ならではのもので、他国に新聞は無いらしい。
レヴァナーフ大陸に存在する五つの国家から成り立つ、エルグラート連合王国。
中央のエルグラート、東国ノイクス、南国ベティアス、北国ファルモベル、そしてここ、西国の商業連合。
かつて商人たちが起こした国で、実利主義を掲げ、ヒト、モノ問わず利益を生み出すことに何よりも価値が置かれる。
分かりやすく言うなら、金を生み出し、金を持っている奴が偉い、という思想の国だ。
―――だから、うちみたいな弱小業者は何かと軽んぜられやすい。
確かにたいして金は無い、売上だって満足にいかないことも多い、だがそれでも確実に需要があるから成り立っている。
顧客の信頼と実績を第一に、これからも手堅く商売を続けていくだけだ。
夢見が悪かったせいでまだ眠い。
欠伸を噛み殺していると、店の表の方から音がした。
足音、話し声、客か?
開店時間にはまだ随分早いが、駆け込むほど用のある客もいないだろう。
そう考えると、思い当たるのは一つ、時間もこっちの都合にも配慮しない厄介ごとの類だ。
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