第24話初めての恋文をいただきました

 レンブラント館へやってきて六日目の朝――。

 朝の支度にやって来たマルゴが、素敵な知らせも運んできてくれました。


「お待ちかねの物ですわ。ナムーラ隊長が領都アピガから戻る際に、をと託されたそうです」


 一通の手紙を、わたくしの目の前に差し出したのです。


 宛名も差出人の名前も書いてはありませんでしたが、それがリヨンからの返書であることはひと目でわかりました。

 待ち焦がれた手紙であるというのに、それを手にするのが恐ろしいなんて。こんな経験は初めてです。


 私が躊躇ためらっているものですから、マルゴたちがさあさあと駆り立てます。大きく息を飲んで、私はその手紙を手にいたしました。封を切るのももどかしいほどですのに、返事を読むのが怖くって。


 こんなに心臓がドキドキしたことなどありません。これでも私、騎士として厳しい訓練も受けておりますし、訓練学校を卒業する際には正式に騎士として叙任式だって経験しております。その時だって、もう少し冷静で沈着にやりおおせましたわ。

 なのに、どうしてこんなに胸が落ち着かないのでしょうか。


 一刻も早く、彼の返事を読みたいのです。でも封筒の端に便箋が引っかかるし、ようやく引っ張り出したと思えば、今度は床に落としてしまうし。これでは子供より始末が悪いですわね。

 手紙を読むまえから泣き出してしまいそうな私を、ロラとペラジィが両脇からなだめ、その間にマルゴが大切な手紙を拾ってくれました。


 手紙の内容は、突然アピガへ行ってしまったこと(伯爵様のご命令ですもの。伯爵様が悪いのであってリヨンに非はありませんわ!)の詫びと、当分レンブラント館こちらには戻れないということ。あの晩の出来事、私が悪いのではないから気に病まないで欲しいと、むしろ気持ちを思いやれず後悔しているとまで書かれておりました。


 そして最後に、また会える日を楽しみにしていると、「あなたのリヨンより」と彼らしい流麗な文字でサインがございました!


 あなたのリヨンより、です!!


 うれしさと喜びと安堵が一遍に押し寄せてきて、身体の奥底からシードルの泡のように軽やかで華やかな感情が弾け始め、気が遠くなりそう。心地よい酔いに腰が抜けそうです。

 ふわふわとあたたかい空気に包まれ、今なら空も飛べちゃうかも。

 ああ。でも、もうあの晩のような失敗はいたしません!


「あ……あなたのリヨンってことは、私のリヨンってことで、その……私の片思いの一方通行ってことじゃないわよね?」

「もちろんでございますわ!」


 マルゴたちが三人揃ってうなずきます。


「ほら、主人の奥方だから、致し方なくこう書いた……とか?」

「それはありえません!」


 今までこんな経験ないから、もう疑心暗鬼になっちゃって。こんなに幸せな気持ちなのに、どうして悪いことばかり想像してしまうのでしょう。


「よろしゅうございましたね、エムリーヌ様。愛する方から愛されるのが、一番の幸せですわ」


 この場に居るものの中では唯一の既婚者でもあるペラジィにそう言われ、私の目からは涙がこぼれてしまいました。でもそれは哀しみの涙ではなく、喜びの涙で。

 あの晩からずっと胸に抱いていた不安を溶かしてくれる、じんわりとした温かい涙でした。


「こんなにお美しくて愛らしい気立てのお方なのですもの、心奪われないわけがございません」

「しかも、勇敢でお優しいですわ」

「もうお泣きにならないでくださいまし」


 そういう皆の目にだって、光るものがありましてよ。私だって、自分がこんなに泣き虫だったなんて知りませんでした。リヨンが悪いのです。全部、彼のせいです!


 私は勇敢なタビロ辺境騎士団の女騎士、任務のためなら子供を切り刻む変質伯爵|(……ごめんなさい)に嫁ぐことも辞さないエムリーヌ・ホルベインでしたのに!


「でも、結構気が強くて意地っ張りのところもありましてよ」

「そのくらいで、丁度よろしいかと思いますよ」


 そうも言われて。えへへ。


 このあと「やった!」とガッツポーズをしたのは、この場に居た四人だけの内緒です。



 でもでも、本当にこれでいいのでしょうか?


 私の夫となるのは伯爵様です。そう、モリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント様です。私の実家ホルベイン男爵家を救ってくださった代わりに、私はこの家に嫁いできたのです。

 それなのに、結婚の儀を執り行う前から他の男性に心を奪われていているなんて。


 ギャレル・ダルシュの言葉がよみがえります。


「おまえ結婚前から浮気していても大丈夫なのかよ?」


 あの時は浮気ではないと言い張りましたが、傍から見れば、これは間違いなく「浮気」ではないのでしょうか。マルゴたちはいっさい咎めることをいたしませんけど、これは不貞とかになりませんか?


 貴族の結婚は家同志のもの。そこに本人の意志はないので、結婚後跡継ぎだけもうければ、あとはお互いの生活も干渉しないのがルールだという話は聞きますが、子供はおろか新床も迎えていないのに、他の男にうつつを抜かす奥方はさすがに許されないのでは?


 これって、やっぱり姦通罪が適応されるのかなぁ……。


 リヨンとなら、一緒に棒杭に繋がれて追放刑にされても耐えられちゃうかも、とか考えちゃう自分が哀しい。でもリヨンにそれほどの覚悟があるのか、確かめていませんし。


 まだ伯爵様と私は正式に結婚証明書にサインをしておりませんから、婚約破棄と云うことでカタを付けることも出来るはず。


 いやいや。私は良くてもホルベイン家はマズいです。契約不履行で、建て替えて貰った借金の全額返還を請求されても文句は言えない。返済出来ないよ。

 第一お金があったら借金なんかしないし、きちんと税金払っているわよ!


 結婚前から姦通罪で追放された娘なんて、家門の再興どころか面汚しでしかないじゃない。だとしたら、これは秘密の禁断の恋。ヘラヘラしている場合ではない、わよね。


 でも、頭の中はリヨンのことばっかりだし、顔は自然とにやにやしてしまって。重った~い前髪と口の端を上げて笑う、嫌味っぽい笑い方。でもその下には海よりも青い理知の光を宿した瞳と、高い鼻梁の整った顔立ち。

 額の大きな傷跡だって、本人は気にしている様子だけど私は気にならないわ。タビロ辺境騎士団には、もっと強面屈強のモンスターみたいなおじさんたちが一杯いたんだも~ん。

 あのくらい屁でもありません!(あ、淑女にあるまじき暴言ですわね。ごめんあそばせ)


 だから! それじゃない……って。

 はぁ。恋って、正常な思考も感情もぶっ壊すのね。ヤバ~い。


「もう、エムリーヌ様。さっきからずっとリヨンのことを考えていらっしゃいますでしょ? お顔が緩みっぱなしですわ」

「お気持ちはわかりますけど、さあ、お早く湯船に浸かってくださいませ。お湯が冷めてしまいます」


「朝餐の時間だと、家令のイサゴが呼びに参りますわ。急ぎませんと!」


 まあ大変! 湯を張った木桶風呂に入り、身体をハーブで擦ります。本日も「奥方様を麗しくしよう大作戦」が始まりました。

 カモミールの、果物のような甘い香り。大好きな香りを思う存分吸い込んで、深呼吸。


 まだお目にかかったことのない夫となる伯爵様と、恋するリヨン。ふたりのお顔(……といっても伯爵様のお顔は知らないので適当に厳めしいお顔を充てておく)を比べながら、頭の隅でうろつく「姦通罪」の文字。かぐわしい香りで消えてしまえばいいのに。



 ――ここで、ふと疑問が浮かんだのです。



 あの時、なぜマルゴはリヨンを止めようとしなかったのでしょう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る