第22話幕間 アピガの夜

 カシャーンという硬質な音が、灯りのない裏路地に響いた。


 レイピアの刃がぶつかる音だ。その後に続くスタッカートを刻む衝撃音は、間合いを取り、剣先で互いの攻撃を牽制しつつ剣が絡まるのを防ぐために受け流しているのだろう。

 ちなみに、レイピアは針のように細く鋭い剣身に、華やかな曲線の装飾を施したヒルトが特徴的な片手剣である。斬るよりも、相手の急所を突き刺して殺傷することに特化した武器だ。


 下町の入り組んだ狭い路地。周りの石造りの家々の壁や足下の石畳が金属音を反響させるので、どこから聞こえてくるのか判断に迷いそうなものだが、ギャレル・ダルシュの耳は方向を正確に割り出そうとしていた。


 シャーッと尾を引く刀歯の擦れる音。レイピアの一メートルを超える刀身は、見かけの繊細さとは裏腹に、骨まで切り込む切れ味を備えていた。その刃と刃がせめぎ合っている。

 ガシャッと響いた重たい衝撃音は、短剣マンゴーシュで相手の突きの攻撃を受け流した音であろうか。


 交差する路地に出たギャレルは、さらに耳を澄ます。


 再び、断ち切るような金属音。派手で規則的な鋼のぶつかる澄んだ音がしばらく続いている。

 左だ。このまま路地を左に進めば、その先に広場がある。剣戟の音はそのあたりから聞こえてくるのであろうと、彼は目測を付けた。


「その調子で、もう少し持ちこたえてくれよ」


 ギャレルは走り出した。






 ターレンヌ地方南部。

 大きな街道が交差する古都アピガは、レンブラント伯爵領の領都でもある。


 その西南区。三階建ての、材木と煉瓦と石を組み合わせた造りのアパート――主に庶民の住宅がごちゃごちゃと建ち並ぶ、俗に下町と呼ばれる一角にその酒場はあった。誘拐事件やそれに追随した領主の好ましくない噂のせいもあり、アピカ市の住人たちは夜歩きを控えるようになったのだが、どこにも例外はいるもので、この酒場もそういった連中が主な客筋だ。


 常連の客もいるし、中には仕事の都合で、遠方からやって来た客もいる。ふらりと立ち寄っただけの客でも、大歓迎だった。なぜならこの酒場では、知った顔でも見知らぬ顔でも、扉を潜れば皆同じ客で同じ酒飲みだという暗黙のルールがあったからだ。


 どこからか流れてきた元傭兵の男がこの店の主人で、今ではこのあたりの区のとりまとめ役もしているという。親分肌で面倒見がよい親父で、彼を慕って身分や年齢を問わず雑多な客たちで今日も溢れていた。

 

 そんな酒場「燕亭」の片隅。


 戸外の静けさが嘘のような喧騒に包まれて、店の一番奥のテーブルにふたりの男が座っていた。ひとりはスタビロ辺境騎士団でも一二を争う剣士でもある、ギャレル・ダルシュ。

 彼は、半分感心、半分呆れて、目の前に座るもうひとりの男を見ていたのである。


 この男こそが、この街、いや、今や王都の者さえその名を知らぬものはないだろう。

 幼い子供の奴隷を買っては、夜な夜な館で手足を切り刻んでいる――と噂される、モリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵だ。


 潜入捜査員エムリーヌ・ホルベインの報告によれば、それは伯爵が流したデマなのだと。

 人身売買組織の壊滅に自ら乗り出し、実態を探るためなら我が身を危うくさせる黒い噂を流すことさえ厭わない男。どんな英傑であろうかと期待したギャレルの目の前に現われたのは、予想に反して優男だった。


 しかしその見た目とは裏腹に、彼は舌を巻くほどのレイピアの使い手でもあり。

 伯爵を襲った海賊とみられる数人の男を相手に大立ち回りを演じ、ギャレルが助けに駆けつけたときには、最後のひとりを討ち取った後――という稀に見る名手だったのである。


「ここは憩いの場所だ。私も『忍び』でこの場に居るのだから、不粋な名は出さない方が良かろう」


 そりゃあ無理だ、とギャレルは思っていた。

 確かに仮面で顔を隠し、トレードマークの獅子のたてがみのような金髪は大きな黒いフェルト帽の影に収めて、目立たないようにはしている。が、生まれながらの高貴さとでも云うのだろうか、漏れ出すような、目に見えぬ特別な威圧感は隠しようもない。

 柱の陰に身を潜めていても、目敏い者……特に女たちは、隙あらば秋波を送ろうと必死になっている。気付いていないのか、わかっても応える気がないのか、伯爵の表情は変わらない。


(こいつは……、食わせ者かもしれねぇぜ。エム)


 ギャレルは、密かに伯爵の婚約者で彼の同僚でもある女騎士に対して、同情に似た感情を覚えた。


「あ~、それじゃあなんとお呼びいたしましょうか」

「そうだな……、では『燕』とでも」


 そりゃ、この酒場の名前でしょう! とツッコミを入れたいギャレルだが、相手は「伯爵様」で彼より地位も身分も雲の上の人物なので、そう易いことも出来ない。

 加うるに、この酒場をに指定してきたのは、伯爵であった。


(ははぁ~ん、すると。そういうことなのかねぇ……)


 ギャレルはレンブラント伯爵配下のナムーラ傭兵連隊には実働部隊のほかに諜報部隊があり、ふたつの部隊が連携して動くという話を思い出した。

 雑多な人たちが集まる酒場は、情報収集場所としても活用できるし、諜報部員質の秘密基地としてもいい隠れ蓑になるだろう。

 そして、伯爵のような身分の人間がお忍びで現われても人目につかない、かもしれない。


(この伯爵ひとの場合は、完全に「無理だろっ!」なパターンだけどなーー)


 鳶色の瞳が、くるりと動く。


(しかも偽名コードネームが「ツバメ」。どー見たって「ライオン」だろーがっ!)


 と、明後日の方向を見てこっそりと思うギャレル・ダルシュだが、それでも心の中で気持ちを仕切り直す。


「それじゃあ……燕卿、さっきの奴らのことですがね」

「ペンデルにベラス号という船が入港している。フィスカ号、アラソラ号、このあたりが奴らの偽造船だな」


 伯爵がワインの入ったグラスを傾けた。


「おやおや。もう調べはついているんですか」


 ギャレルがわざとらしく驚いた表情を作ってみせた。





 エムリーヌ・ホルベインからの報告を受けたタビロ辺境騎士団の団長エドメ・キャンデルは、極秘裏にレンブラント伯爵と接触を持った。そして奴隷虐待の噂はさておき、人身売買組織の壊滅の件では利害一致と手を組むことにしたのである。


 キャンデル団長は、この事件をいつまでも長引かせ、国王や宰相の不興を買いたくはなかった。

 仮面のレンブラント伯爵をどこまで信じて良いのか不安視はあったが、利用できなければ切り捨てればよし。上手く事が運べば組織の壊滅、我が国並びにクオバティス沿海から海賊船を一掃できて万々歳である。

 いかがわしい噂の真偽の調査なら、その後いくらでも出来る。


 伯爵側も結婚の儀を控え、厄介ごとなど早く片付けたいのだろう。話はトントン拍子に進み、双方から水面下での調査は進んでいった。


 ちなみに団長と伯爵の間の連絡係は、エムリーヌ・ホルベインと旧知の仲でもある騎士ギャレル・ダルシュである。




「ダーナー隊長率いる騎士隊が、ペンデルの街の隠れ家を次々と潰している。奴らは危機感に迫られ、動き始めた。行き場をなくした奴らは、海上へ逃げようとしている」


 仮面を付けているので、ギャレルには伯爵の表情はわからない。だが口元を歪めたので、不快または怒りの感情を抱いているのは間違いないと推測していた。 


「それで、その三隻に子供たちを乗せて、どこかへ連れ出そうということか」


 伯爵がうなずく。

 海賊船がペンデル港に来ている。ここまでの情報は昼間の内に伯爵側からの密書で知らされていたが、三隻という数は初耳だった。


「どうしてその船が海賊船だと見分けたんです?」

「ベラス号に乗っている奴と因縁があってね。あの顔は一生忘れない。

 他の二隻の船長も、見覚えのある顔だとクオバティスの猛者が証言した」


 伯爵の仮面の奥の瞳が冷たい光を放ったような気がした。


「へえぇ。そうだ。後学のためにお教え願えませんかね。その因縁の相手って奴の名前」

「知ってどうする?」


「なにかお役に立てる話が舞い込んできたら、お知らせしますよ」

「ナムーラの諜報部隊が嗅ぎつけられなかった話を、ダルシュ卿は知ることができるのか?」


 伯爵の挑発に、ギャレルはムッとした顔を作る。


「俺、伯爵の奥方ヨメになる娘をよく知っているんでね。あいつには幸せになって貰いたいんで、ちょっとお節介を焼いてみようかと思ったんですよ」


「ほう。それはそれはありがたい申し出ですな」


 その声は伯爵の形の良い唇から出たものではなく、背中から聞こえてきた。声を聴くまで、真後ろに迫られたのをギャレルは気付けなかった。

 振り返らなくてもわかる、腰のものを一振りすれば、彼の首が飛ぶほど近い距離に声の主は立っているだろう。


 伯爵とはまた違った圧を感じる。浅黒い肌をした、ひげ面の大男。

 傭兵連隊隊長のナムーラだ。


「――ベラス号の船長、名はハマフと云う」


 伯爵は静かに腰を上げた。


「エムリーヌは、私が責任を持って幸せにしてみせよう。そのためにも、まずは海賊ハマフ。

 そしてボドワン・ガランダッシュ宰相閣下の大いなる誤解を解かねばなるまい。協力してくれたまえ、ダルシュ卿」


 わかりました、とギャレル・ダルシュは右手を挙げた。

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