第二章 失われた愛
2023年の夏、海の日が一歩ずつ近づいている。
「ああ……暑苦しい」
思わずぼやきを漏らした。梅雨明けの知らせが届いてからも、日差しは容赦なく肌を焦がす。エアコンの温度を下げても、私には一向に涼しく感じられない。
「どうしてこんなに……。息苦しいの」
二回目のぼやきを漏らした。ブラウスのボタンをひとつ外しても、暑さは変わらず、カーテン越しの光さえも、私には眩しく感じてしまう。
今年の夏は例年以上の猛暑が予想され、厳しい日々が続きそうだ。まだ、七月の末。温暖化のせいで地球が壊れたようで、先が思いやられた。
ところが、壊れたのは、地球ばかりではなかったのかもしれない。三年前の「失恋の傷跡」は、私の季節感まで壊してしまったのだろうか……。
私が気に入っていた真っ白なビキニの水着や向日葵の帽子、そして小さなスイカのようなバッグはすっかり忘れられ、タンスの奥深くに眠ったままだった。
なんとか留年せずに、私は大学生活と別れを告げられた。私は寂しくなかった。夏のキャンパスで恋人を見つけることができたからだ。あの三年前まで自分にとってその季節は恋に明け暮れ、どんなに暑くても爽やかで一番好きなものだった。
湘南の海から彼と帰る道すがら、風に乗って飛び交うカモメや青葉が作り出す爽やかな風景が、心に深く刻まれた大切なひとときだった。
しかし、どうしたことだろうか……。今ではその風薫る季節やカモメが戯れる青い海もただ暑くて退屈な景色に変わってしまった。それでも、心の奥底では燃え上がるような夏の記憶が、時おり甦ってくる。
先日見かけた元カレの姿が頭から離れなかった。三年前に別れた彼だった。同じ駅で何度も出会ってしまう運命的な偶然に胸がざわつく。彼はまた新しい恋人と手をつないで歩いていた。
彼は私に気づかなかったようだが、私は彼の横顔をはっきりと見ていた。彼の笑顔は変わっていなかったが、私の黒髪は短くなっていた。
けれど、三年が過ぎても、彼の笑顔とその別れの瞬間が頭から離れず、悔しさで涙が止まらなかった。
思い返すと、かつてフランスとイタリアの合作映画で人気を博した有名なラブシーンが脳裏に浮かんでくる。それは、元カレと一緒に初めて観た映画で、リバイバルで放映されたものだった。
実際は恋人の女性を殺してしまう男の苦悩を描いたものだったけれど、私にはラブシーンばかりが思い出されて目を潤ませていた。
その映画の舞台は、地中海に浮かぶ夏の美しい島々や港町だった。メイン舞台となるアマルフィの海は、透き通るような青色に燦々と太陽の光が降り注いでいた。それは、まるで無数の星が散りばめられたような美しさを放っていた。
白壁の街中を通る階段はどこまでも続き、その先に何が待っているのか想像もつかないほどの神秘性を感じさせた。視覚を刺激する豊かな色彩でまさに美しい絵画のような雰囲気を醸し出していた。それは自分の心を捉えて離さず、まるで夢の中にいるかのようだった。
そして、そのすべてを包み込む音楽は、甘美な旋律が心地よく響き渡ってきた。それは一度聞いたら忘れられない、心に深く刻まれる音楽だった。映画の美しい風景と完璧に溶け込んで、さらに感情的な高まりを引き立てた。
そのころ私たちの舞台は、夕暮れ時に赤く染まる湘南の海、若者たちの恋の聖地となるサザンビーチだった。
私と彼氏は学生時代の友人から誘われたヨットで、サーフィンに夢中な若者たちを羨ましそうに眺めていた。私たちは白波にうまく乗れるサーファーにいつまでも笑顔を向けていた。
湘南の夏の海は、美しさと活気に満ちていた。海面は太陽の光でキラキラと輝き、波立つ水面が金色に輝いていた。海岸線には白い砂浜が広がり、遠くの水平線の先には島々が連なっていた。空は広大で、雲ひとつない晴天が広がっていた。夕暮れ時には、空と海が赤く染まり、その美しさは言葉では表現しきれなかった。
そして、そこにそびえ立つえぼし岩は、湘南で恋に戯れる恋人たちにとって中心的存在だった。恋の神さまが舞い降りて、愛が壊れないようにしめ縄を結んでくれた。その姿はまるで私たちの愛を見守る神のような存在だった。岩の上から見る夕日は、その美しさと神秘性で私は目頭が熱くなっていた。
私は夢や希望に満ちあふれており、恋に燃え上がっていた。心から愛しているヒーローはギターの奏者となり、当時流行っていた湘南サウンドを歌い上げてくれた。
彼はサングラスがとても似合う魅力的な婚約者だった。そのギターの音色や歌声は海風に乗って広がり、そのメロディーは私の心を揺さぶっていた。私はそんな日に焼けた彼の横顔が大好きだった。
この湘南の夏の海は、甘酸っぱい思い出と共に、私の心に深く刻まれていた。
ところが、そんな映画のような幸せは、彼の裏切りと共に遥か彼方の景色となり、跡形もなく消えてしまった。まさか、私たちの愛が熱く燃えるような夏の景色から黄昏れが似合う秋になろうとは思いも寄らなかった。
彼と別れてから、楽しかった日々「失われた愛へのオマージュ」のまぼろしをずっと追いかけていたのかもしれない。
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