第3話 不吉な数字



 入学式の日。姿見の前で紫紺色の学生服に袖を通す。

(これが。梅沢高校の制服)

 七音は、くるりと一回転をしてから、見慣れない恰好に、なんだか恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちになった。

 あれから。何度となく家族と話し合った。言葉の障害に対応してくれる学校を見つけてくれていた母親には、随分と反対をされた。しかし、いつもはうるさいことを言わない父親が、珍しく母親を窘めた。

「七音が、初めてやりたいって言葉を口にした。おれはそれを応援したい」

 彼はそう言った。高校二年生の姉のかなでも彼を応援してくれた。

「案外、頑固だったのね。かずちゃんって」と言って笑った母親は、結局は七音が「梅沢高等学校に行きたい」という希望を応援してくれることになったのだった。

 そして春。七音は無事に梅沢高等学校に入学することが許可された。

 母親の話によると、梅沢高等学校は学力重視。言葉に多少問題があっても、規定の学力を満たしているのであれば、特に問題ないということだった。

  姿見の前で、じっと自分の姿を見つめていると、「かずちゃん、早く」と母親の声が響く。階段を下りていくと、リビングでは淡い桃色の着物をまとった母親が立っていた。

 七音の父親は病院で精神科医をしている。年中忙しい彼は、「すまない」と何度も頭を下げながら出勤していった。この年にもなって、両親そろって入学式に来てもらいたい、などとは思ってもいない。

「ほら。行くわよ」

 玄関のチャイムが鳴った。迎えのタクシーが来たのだろう。梅沢高等学校は、七音の自宅から、歩いて20分の場所にある。七音は自転車か徒歩で通学をする予定だが、今日は着物姿の母親が同伴だ。行きも帰りもタクシーを使うと母親が言っていた。

 出かける間際、奏は「お母さんが緊張してんじゃないの?」と冷やかす。母親は「揶揄わないで」と朗らかに笑いながら自宅を後にした。


 梅沢高等学校は、創立百周年を迎える歴史の長い学校だ。創立当初から、優秀な人材を輩出し、それは今でも脈々と受け継がれている。県内で主要ポストにつく人材は梅沢高等学校出身者が多いという。

 タクシーを降りて、正門を抜けると、目の前には木造の校舎が見えた。正面には大きなアーチを描くバルコニーが見える。本校舎は昭和初期のものだそうだ。ただ、戦禍や天災などに見舞われ、何度も増改築や補修を繰り返しているとのことだった。

 正門周囲には梅の木が何本も植えられている。桜よりも先に開花する梅の木は、もうすっかり花開いていた。

 敷地内には、新入生たちが親同伴で押し寄せていて、まるで縁日のような騒動だ。七音たちもその流れに乗って、本校舎の昇降口にたどり着く。すると、そこには新入生のクラス分けが貼り出されていた。

 一年生は7クラスあるようだ。その中から自分の名前を探す作業は時間がかかりそうだった。七音は一組から。母親は七組から。手分けをして名前を探し始めるとすぐに、母親が声を上げた。

「あら。あったわよ。かずちゃん」

 あまりにも早い声に、七音は嫌な予感がした。

(七……組?)

 しかも出席番号も7番である。七音は軽くため息を吐いた。

 巷では「7」は幸運をもたらす数字として扱われている。しかし、七音は「7」という数字が嫌いだった。自分の名前に入っているからではない。小さいころから、なぜか「7」という数字に関わると、悪いことばかり起きた。

 小さいことかも知れないが、7がつく日には、クラスメイトから意地悪をされるとか、先生や親に怒られるとか。犬のフンを踏んでしまったり、落とし物をしたり、大事にしていた物が壊れたり。

 7歳の一年間は特に最悪で、自転車で走っていて転倒し骨折したり、インフルエンザが悪化して肺炎にまでなった。

 名前にも「7」は入っている。この「7」のおかげで、自分はうまく言葉が出てこないのではないか——。七音はそう思っていた。

(7は呪いの数字だ……。それなのに。一年七組七番だなんて……)

 そんないわくだらけの「7」が2つも重なっているとは——。七音は気が重くなった。

「えっと。保護者は先に体育館で待機するみたいね。じゃあ、お母さんは体育館に先に行っているから。後でね。かずちゃん」

 母親に背中を押され、仕方なしに上履きに履き替える。それから、一年七組を探して周囲を見渡した。

 一年生の教室は、昇降口を入って、右手にある北校舎にあるようだ。そろそろと足を向けると、すでに仲良しグループが出来上がっているようだ。あちらこちらで固まって、談笑している生徒たちの姿が見受けられた。みんな、同じ中学校出身の仲間たちなのだろう。

 高梨が言っていたように、大半が附属中生だとしたら、それも頷ける話だった。七音は軽くため息を吐いた。

(環境が変わったからって、僕の人生が変わるわけでもない。ここにきても、僕の過ごす時間は、なに一つ変わりはしないってことかな……)

 そんなことを考えて、七音ははったとした。

(え? 今のなに? まさか……僕は、今までとは違う生活を期待していた? 友達ができて、誰かと楽しく過ごす時間が持てるって……。期待していたというの?)

 笑い合っている人たちが、まるで自分のことを笑っているようにも感じられる。自分の話し方を真似て、友人同士で笑い合っていた高梨たちに見えた。

「——うう」

 胸が詰まってきた。息が苦しい。

(そんなことできっこないんだから。考えるのはよそう。ともかく。教室に行こう。席に座るんだ。そうすれば、少しは落ち着……え?)

 真っ白いプレートに「1―7」と書かれている教室の、その開かれた扉から中に足を踏み入れると、そこはまるで別世界のように異様な雰囲気に包まれていた。

 とある席に座っている生徒を避けるかのように、壁伝いに生徒たちが肩を寄せ合い、そしてひそひそと囁き合っているのだ。

 彼は、新入生には似つかわしくない、着古したような紫紺色の制服をまとい、両腕を胸のところで組んで、目を閉じている。

 短く切りそろえられた黒髪は、まるで濡れ羽色みたいに艶やかだ。その押し黙った姿からは、尋常ではないオーラが立ち上っているようだった。

 だがそれは、神々しい、輝かしいような。それでいて、人々を地面にひれ伏させるような恐れを含んだような——。そう。畏怖だ。畏怖という言葉が相応しい。ビリビリと張り詰めたような空気に、七音の膝がブルっと震えた。

 新入生たちは、七音と一緒で、その人に近づくことすらできないのだ。ただただ、その人を中心として、ぽっかりと穴が開いたみたいな空間ができあがっていた。

(あの人はなに? 新入生じゃないよね。って。え? ちょっと待って)

 七音は嫌な予感がして、その男が座る席を数えてみる。

(1、2、3……——7! そこって僕の席じゃないのー!?)

 その男が座っているのは、廊下側の先頭から数えて七番目の席だった。


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