優しいみんなにさよならを
島津宏村
秋の味覚
1
屋外へ出るなと言わんばかりの暑さだった夏が終わった。今は人々を外へと誘う秋。
秋田未来(あきたみらい)は早くも一年の終わりを感じていた。
中学最後の夏休みが終わり同級生は受験モードに切り替わる。冬休みには冬期講習があるし、受験も近い。そのため誰も冬に想いを馳せている生徒はいない。
彼らの心情を読み取るならば、このまま時間が延びればいいのに。もっと遊びたかった。といったところだろうか。
所々がひび割れた校舎を眺めながら秋田は眠そうな表情をしている。受験をして、高校に入ればあっという間に大学受験。周りはいつも『勉強! 勉強!』仕方なく机に向かうものの、やる気が起きるはずもない。そのため、ベッドで寝るか机で寝るかの違いでしかない。
「勉強は努力で、才能じゃない! だから馬鹿でも受験は受かるんだ」
と教師は言う。ではなぜ勉強をするのだろう。勉強とはすなわち、優秀な人材を埋めて蓋をするためのものではないのだろうか。ならば、勉強は社会の足枷になる。
学校はもっとするべきことがあるはずだ。
受験に追われてからはそんな風に感じるようになった。しかし組織というものは変えがたい。それも大きければ大きいほど。自分に変える力などないし、周りがそれを望むのだから従うしかないのだろう。
秋田は将来への希望が全くなかった。もっと言えば生への執着も。
よくインドにいる父親にも同じことを言ったものだ。未来の抽象的な質問に父は快活に答えた。
「じゃあ辞めちゃえ。退職願を突きだせー」
「いや、仕事じゃないし」
父の答えにいつも心が軽くなった。しかし、今の時代の中卒はなかなか大変なものがある。父の時代も中卒は大変だったろうが、今はもっと顕著だ。
父なら「ウジウジ考えてないで何かやっちゃおう!」と言う。仮にそうしても、未来は勉強以外の何かを見つけようにもすぐに飽きてしまうのだ。
初めは真剣に趣味を探そうとしていたものの、趣味探しにも飽きてしまい、もう誰も手が付けられない。
秋の気持ちのよい朝は自然と、やる気を起こす。秋田にとってはそれが不完全燃焼の原因だった。燃料があっても使うものがない、何かを成せる力はあるがその『何か』が見つからない。
キリストでも、アッラーでも、天照皇大神でもなんでもいい。このやり場のないやる気を消化させてくれ。究極の楽しみを俺にくれ。
秋田は天を仰ぐ。叶いもしない願いを……ただずっと。
始業を告げるチャイムが校舎から響いてくる。秋田はハッと顔を正面に向ける。騒がしかったはずの下足室には誰もいない。急いで靴を履き替え廊下を疾走する。
秋田は教室にたどり着くと、息を切らせながら教室を見渡す。何人かは秋田に注目するが誰も声をかけてこない。まだ教師が来ていないのだ。心の中でガッツポーズをしながら席に着く。先ほどまでの悩みが嘘のように嬉しい。
しかし、明日もギリギリを狙おうとは思わない。なぜなら直ぐに飽きてしまうからだ。これが彼の短所であり、長所でもある。
「おはよ」
秋田が鞄を下ろしていると、高山とかいう女子が挨拶をしてくる。名字を覚えているかも危ういのだが、性格は熟知している。女性版の始皇帝と言ったところか。傍若無人で自分の思い道理にならないと気が済まない人間。そのくせ、なぜか仲間が多いので敵に回すといじめられる。秋田の中では要注意人物だ。
「おはようございます。いい朝ですね」
秋田は普段、誰とも話さないのだが高山の機嫌だけは取るように努めている。そうでなくては、受験以前の問題なのだ。
「ふつうでしょ」
「そ、そうですね」
二人の間に沈黙が降りそうになるころ、数学担当の教師が入ってきた。背が低く猫背で細い眼鏡をかけている男が数学科の鶴下である。常に言いがかりをつけてくる教師なので生徒に嫌われているが、教室に入ってきたタイミングはベストだ。
秋田は初めて鶴下に感謝した。ふぅと安堵のため息を吐いて分厚い教科書を取り出す。もともと、数学は好きだったのだが授業という体制に飽きていたので他の生徒と同様眠そうな表情をして見せる。
「おはよう。授業はじめるぞ。今日の単元は二次関数だ。教科書の98ページを開いてくれ」
中三のこの時期にしてはいささか授業の進度が遅い気もするが、早くしろとでも言おうものなら一時間の説教が始まるので誰も口にしない。
「え~、比例定数をaと置き双曲線の式を求め……」
鶴下の声が右から左へと流れていく。まるで清流の音を聞いているようで気が付くと意識が取られてしまいそうになる。
授業が中盤に差し掛かったころには半数が眠気と闘っており残りは熟睡していた。鶴下の子守歌が心地よく聞こえる中、秋田も意識を完全に取られた。
目覚めたのは学校では全く聞こえないような、聞こえてはいけないような音を聞いた時だ。
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初回なのでもう一話公開します。
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